徳川家康 日本史トリビア

結論:家康の墓所は久能山と日光の2か所。どちらも「本物」として扱われる

徳川家康の墓所として知られるのは、静岡市の久能山東照宮と、栃木県日光市の日光東照宮です。家康は元和2年4月17日(1616年6月1日)に駿府城で亡くなり、遺言どおりまず久能山に葬られました。翌年に日光へ改葬(あるいは分霊)され、日光には銅製の宝塔が立つ奥社があります。

「どちらが本物か」という問いは、片方を偽物と決める話ではありません。久能山には家康を葬った場所に建つ廟があり、日光には改葬後の墓所があります。どちらも家康の遺命と、その後の経緯に基づいて成立した場所です。

基本情報

  • 没年月日:元和2年4月17日(1616年6月1日)、駿府城で死去
  • 年齢:数え75歳(満73歳4か月)
  • 時代・立場:江戸時代の初期、江戸幕府の初代将軍
  • 神号:東照大権現(元和3年〈1617年〉に後水尾天皇が与えた)
  • 戒名:安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士
  • 墓所:久能山東照宮(静岡市駿河区根古屋390)、日光東照宮(栃木県日光市山内2301)。Wikipedia の墓所欄には、ほかに大樹寺と高野山も挙げられている

徳川家康の墓地はどこ?久能山東照宮と日光東照宮の歴史

遺言は「久能山に葬り、日光に堂を建てよ」

Wikipedia は、『本光国師日記』に基づく家康の遺言を次のようにまとめています。臨終のあと遺体は久能山に納める、葬儀は増上寺で行う、位牌は三河の大樹寺に立てる、一周忌を過ぎたあとに日光山へ小さな堂を建てて勧請する、という4点です。久能山東照宮の公式サイトも、遺命により駿河国の久能山に葬られたこと、下野の日光山に小堂を建てて勧請するよう命じられたことを伝えています。

遺体は死去した日の夜のうちに久能山へ移されました。葬儀は5月17日に増上寺で行われています。神として祀る前提だったため内々の葬儀とされ、諸大名の参列や香典は不要で、僧も近国から集まるにとどめたと記されています。

久能山の神廟:家康が最初に葬られた場所

久能山東照宮は、家康の死後に東照社として着工され、元和3年12月(1617年1月)に創建されました。正保2年(1645年)に朝廷から「東照宮」の宮号が与えられ、現在の呼び名になっています。

家康が葬られた場所に立つ廟は、本殿の裏手、山頂付近にあります。この廟所宝塔は国の重要文化財です。また、極彩色の漆塗りの社殿は、本殿・石の間・拝殿が2010年12月に国宝に指定されました。公式サイトによると、これらの社殿は日光東照宮より19年前に造られています。

日光への改葬:奥社の宝塔

日光東照宮の記事によれば、2代将軍秀忠が天海に命じて、家康を日光へ改葬させました。奥院廟塔への改葬は4月8日(5月12日)、遷座祭は家康の一周忌にあたる4月17日に行われたと記されています。日光東照宮の創建は元和3年(1617年)です。

日光の奥社には銅製の宝塔があり、これが家康の墓にあたります。奥社には、銅製の唐門・拝殿・神庫・鳥居などが付属しています。

なぜ2か所に?「改葬」か「分霊」かという諸説

資料ごとに言い方が分かれる

日光への移動を、日光東照宮の記事は「改葬」と書きます。一方、家康の Wikipedia 記事は、一周忌を経て日光の東照社に「分霊」されたと書いています。日光東照宮の公式サイトは「家康公の御遺言により、久能山より現在の地に移されおまつりされました」と説明します。

一方、久能山東照宮の記事は、久能山の廟が家康を埋葬した場所に立つと記しています。私が確認した範囲のページには、日光へ何がどれだけ移されたかを具体的に述べる記述はありませんでした。「遺骨の一部が日光に移された」という説明をよく見かけますが、今回確かめたページでは裏づけを取れなかったため、ここでは断定しません。

家康は「東照大権現」になった

神号をめぐっては、側近の天海が「権現」、以心崇伝が「明神」を主張しました。豊臣秀吉に「豊国大明神」が贈られたあと豊臣家が滅んだため、明神は不吉だとする天海の主張が採られ、秀忠が「権現」と決めています。朝廷に出された案は「日本大権現」「東光大権現」「東照大権現」「威霊大権現」の4つで、秀忠はこの中から「東照大権現」を選びました。元和3年(1617年)2月21日に後水尾天皇が神号を与え、3月9日には正一位の神階が贈られています。

こうして神となった家康は、東照神君、権現様、神祖、烈祖などと尊称され、諸大名の勧請によって各地に祀られました。

よくある誤解:死因を食中毒とする説

墓所の話題とあわせて、死因も誤解されやすい点です。鯛の天ぷらによる中毒とする説が長く知られてきましたが、天ぷらを食べたのは1月21日の夕食で、死去まで約3か月あります。そのため無理があるとされ、現在は『徳川実紀』が伝える吐血、黒い便、腹部のしこりの記述を根拠に、胃癌説が主流です。

久能山と日光、それぞれの見どころと現地の概要

久能山東照宮

  • 所在地:静岡市駿河区根古屋390
  • 行き方:日本平山頂西側の日本平駅から、日本平ロープウェイで約5分。公式サイトは久能山下から歩くルートも案内している
  • 表参道は駿河湾に面した南斜面にあり、1159段の曲がりくねった石段が続く
  • 見どころ:国宝の本殿・石の間・拝殿、重要文化財の唐門・東門・廟門など計13棟、家康を葬った場所に立つ廟所宝塔

拝観の時間や料金は変わることがあるため、公式サイトで確認してください。

日光東照宮

  • 所在地:栃木県日光市山内2301
  • 世界遺産「日光の社寺」の一部(東照宮、輪王寺、日光二荒山神社の二社一寺)
  • 見どころ:国宝は本殿・石の間・拝殿、唐門、東西透塀、陽明門、東西回廊などの5件8棟、そして奥社の銅製宝塔

陽明門は寛永13年(1636年)の造替で、極彩色の彫刻で覆われています。見ていて一日中飽きないことから「日暮御門」とも呼ばれ、彫刻は全部で5173体、うち508体が陽明門にあります。現在の社殿群は、3代将軍家光が寛永11年(1634年)に日光社参を行い、家康の21年神忌に向けて進めた大規模な改築(寛永の大造替)によるものです。

三猿は神厩舎にある8枚の猿の浮彫のうちの1枚で、猿の一生を描いた連作の一部で、人間の平和な生き方を説いたものとされています。拝観時間と料金は公式サイトの案内で確認できます。

ゆかりの地と関連する人物

  • 久能山東照宮(静岡市):家康が最初に葬られた地。遺体は駿府城から久能山へ移された
  • 日光東照宮(栃木県日光市):改葬後の墓所の奥社と、寛永の大造替でできた社殿群がある
  • 増上寺(東京):遺言に従い、5月17日に葬儀が行われた寺
  • 大樹寺(愛知県):遺言で位牌を立てるよう指示された三河の寺。Wikipedia の墓所欄にも名がある
  • 天海:秀忠の命で日光への改葬を担い、神号では「権現」を主張した側近
  • 以心崇伝:神号では「明神」を主張した側近
  • 徳川秀忠:2代将軍。神号を東照大権現と決め、日光への改葬を命じた
  • 徳川家光:3代将軍。寛永の大造替で日光の社殿を整えた

よくある質問

家康の墓は結局どこにあるのですか?

久能山東照宮と日光東照宮の2か所です。久能山には家康を葬った場所に立つ廟があり、日光には奥社の銅製宝塔があります。Wikipedia の墓所欄には大樹寺と高野山も載っています。

なぜ最初に久能山に葬られたのですか?

家康の遺言に「遺体は久能山に納める」とあったためです。そのうえで、一周忌を過ぎたら日光山に小さな堂を建てて勧請するようにも指示していました。

日光へ移されたのは、いつですか?

日光東照宮の記事によると、奥院廟塔への改葬は4月8日(5月12日)、遷座祭は一周忌にあたる4月17日です。年は元和3年(1617年)です。

「東照大権現」とは何ですか?

家康に与えられた神号です。元和3年2月21日に後水尾天皇が与えました。久能山の社は、正保2年(1645年)に朝廷から「東照宮」の宮号が宣下され、現在の呼び名になりました。

2か所の墓所を比べてどちらから行くべきですか?

順序に決まりはありません。家康の足取りで辿るなら、最初に葬られた久能山、次に日光の順が自然です。久能山は日本平ロープウェイで上がれ、石段を歩く方法もあります。