結論:初代首相として国の仕組みを整え、ハルビン駅で撃たれた人物
伊藤博文は、1885年(明治18年)12月22日に内閣制度ができると初代の内閣総理大臣になり、大日本帝国憲法の制定にもかかわった長州出身の政治家です。のちに初代の韓国統監を務め、1909年(明治42年)10月26日、満洲のハルビン駅で撃たれて亡くなりました。
撃ったのは朝鮮の独立運動家・安重根で、その場で取り押さえられています。ただ、体に入った弾の種類や撃たれた位置をめぐって、「別の場所からも撃たれた」という説が語られてきました。この説の根拠は、同行していた室田義文の後年の証言が中心です。一方で、安重根の供述や当時の報道とほぼ合うとして、単独犯とみる見方もあります。
この記事では、伊藤が何をした人なのかを年を追って整理したうえで、暗殺をめぐる説を、どこまでが記録で言えることなのかを分けて見ていきます。
基本情報
- 生没年:天保12年9月2日(1841年10月16日)〜明治42年(1909年)10月26日。満68歳で亡くなりました
- 出身:周防国熊毛郡束荷村(現在の山口県光市束荷)。百姓・林十蔵(のちに重蔵)の長男として生まれました
- 時代:幕末〜明治時代
- 立場:長州藩出身の政治家。初代内閣総理大臣、初代枢密院議長、初代貴族院議長、立憲政友会の初代総裁、初代韓国統監
- 最期:1909年10月26日、ハルビン駅で安重根に撃たれ、約30分後に死去
- 墓所:東京都品川区西大井六丁目の伊藤家墓所
伊藤博文は何をした人?生涯と功績をたどる
農家の子から松下村塾、そして英国へ
伊藤は農家の長男として生まれました。1857年(安政4年)ごろ、来原良蔵の紹介で吉田松陰の松下村塾に入ります。身分が低かったため、塾の中では戸外で講義を聴いたと伝わります。
1862年(文久2年)12月には、英国公使館焼き討ち事件に加わりました。その翌年の1863年(文久3年)5月12日、「長州五傑」の一人として英国へ密航留学に出ます。ロンドンに着いたのは同年9月23日でした。
ところが翌1864年(元治元年)、四国連合艦隊が長州を攻撃するという情報を知って帰国を決め、6月10日に横浜に上陸しています。同じ年の12月には、高杉晋作が挙兵した功山寺の戦いにも参加しました。外国を焼き討ちした若者が、外国に学んで戻ってくるという、振れ幅の大きい青年期でした。
岩倉使節団から憲法調査へ
明治政府に入った伊藤は、1871年(明治4年)11月、岩倉使節団の副使として欧米に向かいます。1873年(明治6年)10月に参議兼工部卿となり、1878年(明治11年)に大久保利通が亡くなると、内務卿の職を引き継ぎました。
1882年(明治15年)3月には、憲法を調べるために欧州へ渡ることを命じられ、3月14日に出発しています。国会開設に向けて、どのような憲法をつくるかを調べる旅でした。
初代首相、そして憲法・議会
1885年12月22日、太政官制に代わる内閣制度が始まり、伊藤は初代の内閣総理大臣に就きました(第1次伊藤内閣)。1888年4月30日には首相を辞して枢密院議長となります。憲法の草案を審議する役目でした。
大日本帝国憲法が発布されたのは1889年2月11日です。この日の内閣は黒田内閣で、伊藤は枢密院議長の立場でした。翌1890年10月24日からは、初代の貴族院議長として最初の帝国議会に臨んでいます(1891年7月21日まで)。
4度の内閣と立憲政友会
伊藤が率いた内閣は4つあります。
- 第2次伊藤内閣:1892年8月8日〜1896年8月31日。日清戦争の講和にあたった内閣です
- 第3次伊藤内閣:1898年1月12日〜6月30日
- 第4次伊藤内閣:1900年10月19日〜1901年5月10日
第4次内閣の直前、1900年9月15日に立憲政友会が結成され、伊藤は初代総裁になりました。第1次から第4次までの内閣を合わせると、首相を4度務めたことになります。
初代韓国統監として
1905年12月21日、伊藤は初代の韓国統監に就きます。1907年6月にはハーグ密使事件が起き、1907年9月21日には公爵に叙せられました。統監を辞任したのは1909年6月14日です。辞任からわずか4か月余りで、ハルビンへ向かうことになりました。
伊藤博文の暗殺は本当に安重根だけの犯行だったのか
1909年10月26日、ハルビン駅で何があったか
伊藤は、ロシアの蔵相ココツェフと会談するため、ハルビン駅に着きました。到着は午前9時とされます。群衆を装って近づいた安重根が発砲し、その場で逮捕されました。
伊藤は約30分後に亡くなりました。「三発貰った、誰だ」と叫んだと伝えられ、最期の言葉は「俺は駄目だ。誰か他にやられたか?」だったとされます。位階は従一位でした。枢密院議長の在任もこの日で終わっています。
国葬は11月4日に東京の日比谷公園で営まれました。
室田義文の証言:弾の種類と撃たれた位置
複数犯説の中心にあるのは、随行していた室田義文の話です。室田は後年、伊藤の体内にあった弾は安重根の拳銃のものではなく、フランス騎馬隊のカービン銃用の弾だったと語りました。また、弾の痕が下向きだったことから、命中した弾は駅の上階にある食堂付近から撃たれた可能性があると指摘しています。
ここで押さえておきたいのは、室田が裁判では別の証言をしていることです。後年の語りと当時の証言が食い違うため、この説は、そのまま事実として扱える段階にはありません。
『高松宮日記』の注釈にも、近くの二階の窓から撃たれた可能性を示す当時の話が引かれています。コートの弾痕から発砲した位置を割り出し、併合に強硬だった側による謀殺だとする説もあります。ただ、これらはいずれも「説」として紹介されているものです。
単独犯とみる側の見方
反対に、安重根の供述、複数の新聞報道、関係者の電報を合わせると、単独犯の話とほぼ合うとされています。何発撃たれたのか、撃った人物は1人か複数かについては異説があり、資料の上でも決着はついていません。ロシア国籍の人物がかかわったとする説など、背後関係をめぐる別の説もあります。
刑事手続きの面では、安重根の身柄はロシア側から日本側に引き渡され、関東都督府地方法院で裁かれて、1910年2月14日に死刑の判決を受けました。処刑は1910年3月26日の午前9時、旅順監獄で行われ、伊藤の月命日と死去の時刻に合わせたとされています。
暗殺の背景と、死後に残ったもの
安重根が語った動機
安重根は、伊藤が天皇や外国の列強をあざむいて奸計を弄したと非難しました。法廷で述べた主張として、「この賊を誅殺しなければ、韓国は必ず滅び、東洋もまさに亡びる」という趣旨の言葉が伝えられています。
併合との関係:事件の前から決まっていた方針
伊藤の死が韓国併合の引き金になった、と説明されることがあります。しかし、併合の方針は1909年7月6日の閣議で、事件の前に決定されていました。事件のあとに親日派が併合を加速させたとされる点は、別に分けて考える必要があります。
評価は割れていた
同時代の評は一様ではありません。中江兆民は伊藤を「第一流の政治家」と評し、ベルツは、伊藤が韓国統治で穏健な方針をとったと評価しました。一方、宮武外骨は伊藤の死を「日本の小損失」にすぎないと書き、同時に、伊藤を「大偉人」と評する人々がいたことも記しています。
トリビア:倒された銅像
1904年10月22日、神戸の湊川神社に伊藤の銅像が建てられ、除幕式が行われました。ところが1905年9月7日、群衆によって、この像は引き倒されています。像は伊藤の死の2年後、1911年10月26日(命日)に、大倉山に新しくつくられて再建されました。伊藤の肖像は後に千円紙幣にも用いられています。
ゆかりの地と関連する人物
ゆかりの地
- 山口県光市束荷:生誕地。伊藤公記念公園があり、生家(復元)、銅像、伊藤公記念館などがあります。園内の伊藤神社は、1959年(昭和34年)に近くの束荷神社の境内へ移されました
- 東京都品川区西大井:伊藤家墓所
- 神戸市・大倉山:1911年に再建された銅像の場所(湊川神社に建てた最初の像は1905年に倒されました)
関連する人物
- 吉田松陰:伊藤が入った松下村塾の主宰者
- 高杉晋作:英国公使館焼き討ち事件や、功山寺の挙兵でともに動いた長州の同志
- 大久保利通:1878年に亡くなり、伊藤が内務卿の職を引き継いだ
- 安重根:ハルビン駅で伊藤を撃った人物。1910年3月26日に旅順監獄で処刑された
- 室田義文:暗殺の場に随行し、後年、体内の弾や撃たれた位置について語った人物
よくある質問
伊藤博文は何をした人ですか?
1885年に初代内閣総理大臣となり、枢密院議長として大日本帝国憲法の審議にあたり、貴族院議長や立憲政友会の総裁も務めました。晩年は初代韓国統監でした。
伊藤博文は何回、首相になりましたか?
第1次から第4次まで、4つの伊藤内閣を率いました。第1次は1885年12月22日、第4次は1900年10月19日から1901年5月10日までです。
伊藤博文を撃ったのは誰ですか?
安重根です。1909年10月26日にハルビン駅で発砲して逮捕され、1910年2月14日に死刑判決を受けて、3月26日に処刑されました。
暗殺に別の犯人がいた説は確かなのですか?
確かとは言えません。室田義文が弾の種類と弾痕の向きから、駅の上階からの発砲を指摘しましたが、室田は裁判で別の証言をしています。安重根の供述や報道とほぼ合うとして、単独犯とみる見方もあります。
伊藤博文の死が韓国併合の原因ですか?
併合の方針は、事件前の1909年7月6日の閣議で決まっていました。事件後に併合が加速したとされる点とは分けて考える必要があります。





