このまとめは、日本史トリビアで取り上げてきた歴史上の人物のうち、飛鳥時代の中大兄皇子から昭和の田中角栄まで、死因・最期の記事35人分(36本)を時代順に並べたものです。人物ごとに、何歳で、何が原因で、どこで亡くなったかを1〜2文で示し、詳しい経過は各記事へ案内します。
並べてみると、時代ごとの違いが見えてきます。平安時代から安土桃山時代にかけては、病名が分からない、あるいは諸説あって定まらない人物が目立ちます。戦国期には本能寺の変や関ヶ原の敗戦のように、戦いや処刑で命を落とした人も多くいます。一方、明治以降は、樋口一葉、正岡子規、国木田独歩、石川啄木が結核で亡くなるなど、病名がはっきり記録に残る例が中心になります。
年齢は、数え年と満年齢で数字が違う人物がいるため、各記事の書き方に合わせています。「〜とされる」と書いた箇所は、資料によって説が分かれる部分です。
飛鳥時代と平安時代:病名が残らない最期
中大兄皇子(天智天皇)
天智10年12月3日(672年1月7日)、近江大津宮で崩御しました。宝算は46とされます。病床についたことは確かですが、病名は確かめられる範囲では分かりません。 詳しくは中大兄皇子の死因の記事。
紫式部
死因を記した同時代の記録は伝わっておらず、「病死」と言い切る根拠もありません。生年は970年から978年の間で説が分かれ、没年も1013年説、1014年説、1019年説、1031年説などがあります。 詳しくは紫式部の死因の記事。
清少納言
本名も死因も分かっていません。病死か老衰かを記した同時代の記録はなく、没年・没地は伝承が残るだけです。 詳しくは清少納言の本名と死因の記事。
鎌倉時代:戦いと謎が残る最期
源義経と弁慶
義経は文治5年閏4月30日(1189年)、奥州平泉の衣川館で藤原泰衡の軍勢に襲われ、31歳(満30歳)で自害したとされます。弁慶は義経方の一人として防戦し、戦死したと伝わりますが、生没年は同時代の記録からは分かりません。 詳しくは義経の死因と最期の記事、義経と弁慶の記事。
源頼朝
建久10年1月13日(1199年2月9日)、数え年53歳で亡くなりました。「落馬」が通説ですが断定はできず、病気が先にあった可能性も指摘されています。京都側の史料は「病死」と記します。 詳しくは頼朝の死因の記事。
和田義盛
建暦3年5月3日(1213年5月24日)、鎌倉で起きた和田合戦の最中に討たれ、享年は67でした。北条義時との対立の末に一族で挙兵し、二日間の戦いに敗れた最期です。 詳しくは和田義盛の最期の記事。
南北朝・室町時代:腫れ物と高齢の終わり
足利尊氏
延文3年4月30日(1358年6月7日)、京都の二条万里小路第で亡くなりました。享年は数え年で54。死因は背中の腫れ物とされますが、最期の様子を詳しく伝える資料は乏しいとされます。 詳しくは足利尊氏の死因の記事。
雪舟
死因を記した史料は見つかっていません。1506年に87歳で亡くなったとする説が多く、1502年説もあります。没地は石見国益田の大喜庵とされます。 詳しくは雪舟の死因の記事。
戦国・安土桃山時代:戦いに倒れた人、病に倒れた人
織田信長
天正10年6月2日(1582年6月21日)、京都の本能寺で明智光秀の軍に襲われ、49歳で亡くなりました。切腹とする史料が中心ですが、焼死とする見方もあり、最期の細部は史料で食い違います。 詳しくは信長の死因の記事。
津田信澄
本能寺の変の3日後、天正10年6月5日(1582年6月24日)に大坂城で討たれました。享年は25または28とされます。明智光秀の娘婿だったことから謀反の噂が立ち、織田信孝と丹羽長秀に襲われたとされます。 詳しくは津田信澄の最期の記事。
豊臣秀長
天正19年1月22日(1591年2月15日)、居城の大和郡山城で病死しました。享年52。病名を特定できる記述は確かめた範囲では見つかっていません。 詳しくは豊臣秀長の死因の記事。
豊臣秀吉
慶長3年8月18日(1598年9月18日)、伏見城で亡くなりました。享年は数え年で62。病名は特定されておらず、脳梅毒、大腸癌、痢病、尿毒症などの諸説があります。 詳しくは豊臣秀吉の死因の記事。
小西行長
関ヶ原の敗戦後に捕らえられ、慶長5年10月1日(1600年11月6日)、京都の六条河原で石田三成・安国寺恵瓊とともに斬首されました。キリシタンで自害を禁じられていたため、切腹を拒んだとされます。 詳しくは小西行長の最期の記事。
前田慶次
死因は確かな史料に病名つきでは残っておらず、「病死」と伝わる程度です。没年は1605年説、1612年説、1613年説に分かれ、没地も米沢、会津、大和国刈布と史料によって違います。 詳しくは前田慶次の死因の記事。
徳川家康
元和2年4月17日(1616年6月1日)、駿府城で亡くなりました。数えで75歳、満年齢では73歳4か月です。死因は胃癌説が主流で、長く語られた鯛の天ぷらによる食中毒説は、発病から死去までの長さと合わないとされます。 詳しくは徳川家康の死因の記事。
伊達政宗
寛永13年5月24日(1636年)、江戸の仙台藩外桜田上屋敷(現在の日比谷公園内)で亡くなりました。享年70(満68歳)。死因は食道噴門癌による癌性腹膜炎とされます。 詳しくは伊達政宗の終焉の地と死因の記事。
フランシスコ・ザビエル
1552年12月3日、中国・広東省沿岸の上川島で、46歳で亡くなりました。病を発症したとされますが、病名は資料に書かれていません。 詳しくはザビエルの死因の記事。
江戸時代:病と処分と事件
徳川綱吉
宝永6年1月10日(1709年2月19日)、江戸城中で亡くなりました。享年は数えで64、満で62。死因は当時流行していた麻疹とされます。 詳しくは徳川綱吉の死因の記事。
田沼意次
天明8年7月24日(1788年8月25日)、江戸で亡くなりました。享年は70とされます。確かめられた資料には病名の記載がなく、意次本人が暗殺されたという記録も確認できません。 詳しくは田沼意次の死因の記事。
平賀源内
安永8年11月20日の刃傷事件の翌日に投獄され、同年12月18日(1780年1月24日)に獄中で亡くなりました。死因は破傷風とされます。享年は資料により48、51、52と分かれます。 詳しくは平賀源内の死因の記事。
杉田玄白
文化14年4月17日(1817年6月1日)、83歳で亡くなりました。病名は確かめた資料に書かれておらず、「老衰」と断定できる材料もありません。 詳しくは杉田玄白の墓と死因の記事。
伊能忠敬
文化15年4月13日(1818年5月17日)に亡くなりました。満73歳(数え年では74歳)。前の年の秋ごろから喘息が悪化して病床につき、死因は慢性気管支炎が悪化した老人性肺炎とみられています。 詳しくは伊能忠敬の死因の記事。
吉田松陰
安政6年10月27日(1859年11月21日)、江戸の伝馬町牢屋敷で斬首されました。享年29とされます。安政の大獄のなかで死罪となった最期です。 詳しくは吉田松陰の死因の記事。
明治・大正時代:結核と近代の病
樋口一葉
明治29年(1896年)11月23日、本郷区丸山福山町の自宅で肺結核のため亡くなりました。享年は24歳6か月です。 詳しくは樋口一葉の死因の記事。
正岡子規
1902年(明治35年)9月19日に、満34歳で亡くなりました。病名は結核で、肺結核から脊椎カリエスへと進んだ闘病の末でした。 詳しくは正岡子規の病気と死因の記事。
小泉八雲
明治37年(1904年)9月26日、東京・西大久保の自宅で亡くなりました。満54歳。日本語版Wikipediaは死因を狭心症としています。 詳しくは小泉八雲の死因の記事。
国木田独歩
1908年(明治41年)6月23日、満36歳で肺結核のため亡くなりました。晩年は神奈川県茅ヶ崎の結核療養所「南湖院」で療養していました。 詳しくは国木田独歩の死因の記事。
石川啄木
1912年(明治45年)4月13日、東京市小石川区久堅町の自宅で亡くなりました。満26歳。死因は肺結核です。 詳しくは石川啄木の死因の記事。
徳川慶喜
大正2年(1913年)11月22日、小日向第六天町(現在の文京区春日2丁目)の自邸で、満76歳で亡くなりました。風邪が悪化して急性肺炎を併発したとされます。 詳しくは徳川慶喜の死因の記事。
昭和時代:病と戦争と事件
野口英世
1928年、研究に赴いたガーナのアクラで黄熱病のため亡くなりました。 詳しくは野口英世の死因の記事。
山本五十六
1943年4月18日、前線視察の途中で搭乗機がブーゲンビル島付近で迎撃され、撃墜されて戦死しました。 詳しくは山本五十六の死因の記事。
島崎藤村
1943年8月22日、神奈川県大磯町の自宅で、71歳で亡くなりました。死因は脳溢血です。 詳しくは島崎藤村の死因の記事。
三島由紀夫
1970年(昭和45年)11月25日、東京・市ヶ谷の陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で、三島事件のなかで45歳で亡くなりました。 詳しくは三島由紀夫の最期の記事。
川端康成
1972年(昭和47年)4月16日、神奈川県逗子市の仕事部屋で亡くなっているのが見つかりました。72歳。死因はガス中毒で、自殺と報じられましたが、遺書は見つかっておらず見方は分かれます。 詳しくは川端康成の死因の記事。
田中角栄
1993年12月16日、東京の慶應義塾大学病院で、75歳で亡くなりました。死因は肺炎で、1985年に倒れた脳梗塞から8年の療養を経ての最期でした。 詳しくは田中角栄の死因の記事。
まとめ
死因は、病気、戦い、処刑、事件、そして病名が残らない最期と、時代によって姿が大きく変わります。平安から安土桃山にかけては、病名が分からない、あるいは諸説あって定まらない人物が目立ち、明治以降は結核や肺炎など病名が記録に残る例が中心になります。
気になる人物がいれば、上のリンクから各記事へ進んでください。亡くなった日付、場所、諸説の食い違いなど、このまとめでは省いた事実も確かめられます。
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