結論:1552年12月3日、46歳で病没。病名は資料に書かれていない
フランシスコ・ザビエルは1552年12月3日、中国・広東省沿岸の上川島で亡くなりました。享年46です。中国への入境が思うように進まないなか、病を発症したと日本語版Wikipediaは記しています。英語版Wikipediaも、小屋で病に倒れたと書くだけで、熱病などの具体的な病名は挙げていません。そのため、この記事でも病名は断定しません。
遺体は石灰を詰めて海岸に埋葬され、のちにマラッカ、ゴアへと運ばれました。現在はインドのゴアにあるボム・ジェズ教会に安置されています。「ミイラ」という言葉で語られることの多い遺体ですが、資料に書かれているのは、掘り出したときの遺体の状態についての記述です。ここでは、その範囲だけを整理します。
基本情報
- 生年:1506年4月7日(ナバラ王国のハビエル城で生まれた)
- 没年:1552年12月3日(享年46)。英語版Wikipediaは、正確な日付ははっきりしないとしつつ、記念日は12月3日と書いている
- 日本滞在:1549年から1551年
- 立場:カトリックの宣教師。イエズス会の創立メンバーの一人
- 死去の場所:明の広東省沖にある上川島(広東省台山の近く)
- 死因:病を発症して亡くなった。病名は資料に記載なし
- 列福:1619年10月25日(教皇パウルス5世)/列聖:1622年3月12日(教皇グレゴリウス15世)
- 遺体の現在地:インド・ゴアのボム・ジェズ教会
ザビエルの死因と最期:上川島で迎えた終わり
日本を離れてから上川島まで
ザビエルは1534年8月15日、パリのモンマルトルでイグナチオ・デ・ロヨラら7人とともに誓いを立てました。これがイエズス会の創立とされています。1537年に司祭となりました。
1549年8月15日には鹿児島に到着し、薩摩、平戸、山口、京、豊後と巡って宣教しました。日本での滞在が2年を超えた1551年11月15日、インドへ戻ることを決めて日本を離れます。種子島と上川島を経て、1552年2月15日にゴアへ着きました。
日本語版Wikipediaによると、ザビエルは日本の宣教には中国での宣教が欠かせないと考えていました。1552年4月にバルタザール・ガーゴ神父を日本へ送り、自分は中国を目指します。同年9月に上川島へ着きましたが、入境は思うように進まず、病を発症して12月3日に亡くなりました。
死因は何か:資料に書かれていること、書かれていないこと
死因について、確かめられたのは「病を発症した」ことまでです。日本語版も英語版も、熱病や肺炎といった病名は記していません。そのため「〇〇で死んだ」と言い切る記述は、この記事では採りません。
英語版Wikipediaには、最期に立ち会った人物の記述があります。António(アントニオ)という中国人が、ただ一人そばにいたというものです。彼は埋葬用の布を手に入れ、遺体を木の棺に納めたと書かれています。なお、ザビエルが1551年に日本からインドへ連れて行った日本人の青年4人の中にも「アントニオ」という名前の人物がいます(日本語版Wikipedia)。名前が同じなので、混同しないよう注意が必要です。
ザビエルの遺体はどうなったか:石灰、マラッカ、ゴアへの旅
上川島での埋葬と石灰
英語版Wikipediaによると、遺体の棺には石灰が加えられました。求めがあれば骨をインドへ持ち帰れるようにするためだったと説明されています。遺体はまず島の海岸に埋葬されました。日本語版Wikipediaも、石灰を詰めて納棺し、海岸に埋葬したと書いています。
掘り出された遺体の状態
1553年2月、ポルトガル商人らが遺体を掘り出しました。英語版Wikipediaは、臭いがなく、遺体は損なわれていなかったと書いています。商人の船長のために、腿の一部が切り取られたという記述もあります。船長は遺体を運ぶことに同意しました。
同じく英語版によると、遺体は1553年3月22日にマラッカの丘の上の聖母教会へ運ばれました。ここでは作業員が小さな穴に遺体を埋めたため、骨が折れ、鼻が潰れるなどの損傷が生じたとされます。このときイエズス会士は立ち会っていませんでした。
1553年8月15日ごろ、イエズス会士が遺体を再び掘り出しました。英語版は、このとき遺体が腐敗していなかったと記しています。ここには、当時の人の描写が引かれています。
こうした記述が「遺体が腐らなかった」という話の土台です。ただし、これは当時の人々が見た状態の記録であり、日本語版・英語版Wikipediaのいずれにも、遺体がミイラ化した仕組みを科学的に説明する文章はありません。この記事では、「ミイラ」かどうかを断定せず、記録に残る遺体の状態の記述だけを紹介します。
ゴアでの公開と、現在の安置
遺体は1554年3月16日にゴアへ着きました。英語版は、約4,000km離れた地で、約6,000人の群衆が迎えたと書いています。日本語版によると、1554年3月16日から3日間、ゴアの聖パウロ聖堂で棺から出されて一般の拝観が許されました。
その後、1637年12月2日に遺体はボム・ジェズ教会へ安置され、1659年には銀の聖遺物容器に納められました(英語版)。現在はガラスの容器に入れられて銀の棺の中にあります。この棺はゴアの銀細工師が1636〜1637年に作ったもので、2021年に修復されました。棺を開く大公開は、おおむね10年に1度です。直近は2014年11月22日(日本語版は11月23日)から2015年1月4日までと伝えられています。両版で開始日が1日異なるため、ここでは「2014年11月下旬から2015年1月4日まで」とします。
ザビエルの聖遺物はなぜ各地に分かれたのか
右足の指をめぐる話
日本語版Wikipediaには、ゴアでの公開の際に、一人の婦人が右足の指2本を噛み切って逃げたという記述があります。その指は婦人の死後に聖堂へ返され、うち1個が1902年にハビエル城へ移されたと書かれています。
右腕のローマ送付
1614年、ローマのイエズス会総長の命により、右腕の下の部分(下膊)が切り取られました(日本語版)。切断したのはセバスティアン・ゴンザーレスと記されています。死後50年以上たっていたのに血が流れ、これが「奇跡」とされたと日本語版は書いています。英語版は、この右前腕がイエズス会総長クラウディオ・アクアヴィーヴァの求めで取り外され、ローマのジェズ教会の銀の聖遺物容器に納められたと説明します。
英語版によれば、右腕のそれ以外の部分は1619年に取り外され、コーチン、マカオ、マラッカのイエズス会の学院へ分けられました。内臓は1620年に取り出され、聖遺物として分けられたとあります。日本語版は、右腕の上の部分がマカオに、耳と毛がリスボンに、歯がポルトに、胸骨の一部が東京などに保存されていると書いています。
日本にあるザビエルの遺骨
日本語版Wikipediaによると、遺骨が納められた聖堂として、カトリック神田教会(東京都千代田区)、関町教会(東京都練馬区)、山口サビエル記念聖堂(山口市)、鹿児島カテドラル・ザビエル教会(鹿児島市)が挙げられています。カトリック関口教会(東京都文京区)には胸像型の容器があり、腕の遺骨の小片が納められているとあります。大分県日出町の大分トラピスト修道院の展示室には、2008年にイエズス会ローマ本部から右腕の小片(皮膚)が贈られ、常時展示されています。
右腕は、1949年(来日400年)と1999年(450年)に日本へ運ばれて展示されたと日本語版は書いています。2018年にはカナダでも展示されました。
聖人としての扱い
ザビエルは1619年10月25日に教皇パウルス5世によって列福され、1622年3月12日に教皇グレゴリウス15世によって、イグナチオ・デ・ロヨラとともに列聖されました(両版)。カトリック教会での位置づけであり、この記事はその宗教的な評価の当否には立ち入りません。
ゆかりの地と関連する人物
- ハビエル城(スペイン・ナバラ):ザビエルの生地。足の指の1個が1902年に移されたと日本語版にある
- 上川島(中国・広東省):最期の地
- ゴアのボム・ジェズ教会(インド):遺体の安置先
- ローマのジェズ教会:右前腕の安置先
- 山口サビエル記念聖堂(山口市)・鹿児島カテドラル・ザビエル教会(鹿児島市):遺骨が納められた聖堂
- 大分トラピスト修道院(大分県日出町):右腕の小片を常時展示
- 島津貴久、大内義隆、大友義鎮:日本滞在中に会見、または保護を受けた人物
- イグナチオ・デ・ロヨラ:イエズス会をともに創立し、同じ日に列聖された
よくある質問
ザビエルはどこで、何歳で亡くなりましたか。
1552年12月3日、中国・広東省沖の上川島で、46歳で亡くなりました。
ザビエルの死因は何ですか。
病を発症して亡くなった、とWikipediaにあります。日本語版・英語版とも具体的な病名は書いていないため、この記事では病名を断定しません。
ザビエルの遺体はミイラになったのですか。
石灰とともに埋葬された遺体を掘り出したとき、臭いがなく損なわれていなかったと英語版Wikipediaは書いています。ただし、ミイラ化したと説明する文章は、確かめられた資料にはありませんでした。
ザビエルの遺体は今どこにありますか。
インド・ゴアのボム・ジェズ教会に、ガラスの容器に入れられ、銀の棺の中に安置されています。右前腕はローマのジェズ教会にあります。
日本にザビエルの聖遺物はありますか。
あります。日本語版Wikipediaによると、東京、山口、鹿児島などの聖堂に遺骨が納められ、大分トラピスト修道院では右腕の小片が常時展示されています。
ほかの人物についても知りたいときは、歴史上の人物の死因一覧から探せます。





