伊達政宗 子孫

結論:政宗の血筋は、仙台藩主家と宇和島藩主家の二つに分かれて続いた

伊達政宗の跡を継いだのは、次男の忠宗である。忠宗は寛永13年(1636年)に家督を相続し、仙台藩の2代藩主になった。一方、政宗の庶長子(正室ではない女性との間に生まれた長男)の秀宗は、慶長19年(1614年)に伊予国宇和島を与えられ、宇和島藩の初代藩主になった。

つまり政宗の子孫は、仙台の「本家」と、宇和島の「分家」という二つの藩主家に分かれた。このほか、政宗の三男以下の男子には、各地の伊達家の当主になった人物もいる。この記事では、すでに亡くなった当主に限って、その系譜を整理する。

基本情報

  • 伊達政宗:仙台藩の藩祖。寛永13年(1636年)5月に死去
  • 仙台藩:慶長6年(1601年)に政宗が居城を仙台へ移し、城と城下町の建設を始めたことを藩の誕生とする。石高は62万石で、全国第3位とされる
  • 宇和島藩:秀宗が慶長19年(1614年)に入った藩。初め10万石で、のち分知により7万石になった
  • 仙台藩の2代藩主:忠宗(1600年〜1658年)。生母は政宗の正室・愛姫
  • 宇和島藩の初代藩主:秀宗(1591年〜1658年)。生母は側室の新造の方(異説あり)
  • 廃藩後:仙台伊達家は伯爵、宇和島伊達家は侯爵の華族になった

伊達政宗の子孫の系譜:仙台藩主・宇和島藩主の流れ

政宗の子どもたちと、家を継いだ二人

政宗の男子は、記録の上で十人を数える。長男が秀宗、次男が忠宗である。三男の宗清は吉岡伊達家、四男の宗泰は岩出山伊達家、五男の宗綱と六男の宗信は岩ヶ崎伊達家、七男の宗高は村田伊達家、九男の宗実は亘理伊達家、十男の宗勝は一関藩主となった。八男の竹松丸は早世している。

女子には、長女の五郎八姫(松平忠輝の室)、次女の牟宇姫(石川宗敬の室)、三女の岑姫(伊達宗実の室)、四女の千菊姫(京極高国の室)がいる。ただし、ここで確かめられるのは名前と嫁ぎ先までで、それぞれの母や生没年は、参照した資料に書かれていない。

長男・秀宗が宇和島へ入った経緯

秀宗は天正19年(1591年)、陸奥の村田城で生まれた。政宗の長男だが、母は側室である。文禄5年(1596年)に豊臣秀吉の猶子(相続権のない養子)になり、元服して秀宗と名乗った。慶長16年(1611年)に弟の忠宗が元服すると、秀宗は伊達家の家督を継ぐ立場から実質的に外れた。

転機は大坂冬の陣のあとである。大坂の陣への参陣の功により、伊予国宇和島10万石の藩主になった。藩主になったのは慶長19年(1614年)12月である(日付は資料により異なる)。経緯は、政宗に与えられた領地を別家として継いだとも、秀宗自身への恩賞ともされ、資料により書き方が異なる。

次男・忠宗が仙台藩を継ぐ

忠宗は慶長4年12月8日(1600年1月23日)の生まれで、生母は政宗の正室・愛姫である。寛永13年(1636年)5月に政宗が亡くなると、同年8月に藩主として初めて仙台へ入った。

忠宗の在職は1636年から1658年までで、寛永総検地の実施、買米制の導入、仙台城二の丸の造営、瑞鳳殿の建立などを行った。藩の基盤を固めたことから、「守成の名君」と評される。

仙台藩主の流れ(初代〜14代)

仙台藩の歴代藩主は、次のとおりである。

  • 初代 政宗、2代 忠宗、3代 綱宗、4代 綱村、5代 吉村、6代 宗村、7代 重村、8代 斉村、9代 周宗、10代 斉宗、11代 斉義、12代 斉邦、13代 慶邦、14代 宗基

忠宗の長男・虎千代丸、次男・光宗、四男・五郎吉は早世した。三男の田村宗良は田村家を再興して岩沼藩の初代藩主となり、五男の宗倫は登米伊達家を継いだ。仙台藩の家督は六男の綱宗が継いでいる。4代綱村は綱宗の長男で、亀千代の名で2歳のときに家督を継いだ。5代吉村は財政の立て直しを行い、「中興の祖」と称される。

13代慶邦は、戊辰戦争のあとに謹慎を命じられ、領地を没収された。その後、慶邦の子・宗基に28万石が与えられて家名の再興が許された。維新後の仙台伊達家は、伯爵家に列している。

宇和島藩主の流れ(初代〜9代)

宇和島藩の歴代藩主は、初代秀宗、2代宗利、3代宗贇、4代村年、5代村候、6代村寿、7代宗紀、8代宗城、9代宗徳と続いた。

秀宗は万治元年(1658年)に江戸の藩邸で68歳で亡くなっている。次男の宗時が後継ぎとして藩主の務めを代行していたが、承応2年(1653年)に父より先に亡くなった。そのため宗利が世子となり、秀宗は明暦3年(1657年)に宗利へ家督を譲った。宗利を2代藩主とするが、宗時を2代とする史料もある。

藩主家の廃藩後については、「宗城の功績で侯爵になった」とされる。宗城は旗本・山口家の出身で、宇和島藩主・伊達宗紀の養子となり、天保15年(1844年)に8代藩主になった。安政の大獄の時期に隠居謹慎を命じられ、宗紀の実子である宗徳に藩主の座を譲った。

仙台と宇和島、二つの伊達家の関係:養子と爵位の違い

仙台藩主の子が宇和島藩主になった

二つの伊達家は、分かれたあとも縁が切れたわけではない。3代宗贇は、仙台藩3代藩主・綱宗の三男で、宇和島藩2代の宗利の婿養子として入り、宇和島藩の3代藩主になった。仙台藩主の子が宇和島藩主を継いだ例である。

秀宗と政宗の不和と和解

親子の関係は、いつも穏やかだったわけではない。元和6年(1620年)、家老の山家公頼が一族とともに討たれた件を、秀宗が幕府や政宗に報告しなかった。このため政宗の怒りを買い、秀宗は勘当された。翌1621年には、政宗が土井利勝に宇和島藩の返上を申し入れるところまで話が進んだが、利勝のとりなしで取り下げられ、親子は和解した。

廃藩後の爵位は宇和島が上

明治になると、伊達氏からは侯爵1家、伯爵1家、子爵1家、男爵4家の合計7家の華族家が出た。そのうち仙台の本家は伯爵、宇和島の分家は侯爵である。本家より分家の爵位が高くなったのは、宗城の功績が評価されたためとされる。

ゆかりの地と関連する人物

瑞鳳殿(仙台市青葉区)

政宗の霊屋は、仙台市青葉区の瑞鳳殿である。仙台市の案内では、政宗が時鳥の初音を聞きに訪れた際、この地を自分の墓所とするよう家臣に命じたと伝えられる。「豪華絢爛たる桃山風の建築物」と紹介されている。寛永14年(1637年)10月、忠宗が建立した。昭和20年(1945年)の戦災で焼失し、現在の建物は昭和54年(1979年)に仙台市が再建したものである。

仙台市の案内では、2代忠宗の霊屋「感仙殿」と、3代綱宗の霊屋「善応殿」も、政宗の瑞鳳殿とともに挙げられている。

宇和島のゆかりの地

秀宗の墓所は、愛媛県宇和島市の等覚寺である。東京都港区の東禅寺にも墓がある。

関連する人物

  • 愛姫:政宗の正室で、忠宗の生母
  • 伊達綱宗:仙台藩3代藩主。万治3年(1660年)に幕命で隠居させられた。墓所は善応殿
  • 伊達宗城:宇和島藩8代藩主

よくある質問

政宗の跡を継いだのは長男ではないのですか?

長男は秀宗ですが、慶長16年(1611年)に正室の愛姫が産んだ忠宗が元服したあと、秀宗は伊達家の家督を継ぐ立場から実質的に外れています。仙台藩は次男の忠宗が継ぎました。

宇和島藩はなぜ伊達家の藩になったのですか?

大坂の陣への参陣の功により、秀宗が伊予宇和島10万石の藩主になったためです。慶長19年(1614年)12月に秀宗が藩主になりました。

仙台と宇和島で、爵位が違うのはなぜですか?

仙台伊達家は伯爵、宇和島伊達家は侯爵です。宗城の維新時の功績によるものとされます。

政宗の子孫は、いまも続いているのですか?

この記事で確かめた資料には、現在も家が続いていると明記した記述がありません。そのため、ここでは江戸時代から廃藩後の華族までの当主の流れにとどめています。