結論:本居宣長記念館は1970年開館。旧宅「鈴屋」とセットで見る施設
本居宣長記念館は、三重県松阪市殿町にある国学者・本居宣長の顕彰施設で、1970年(昭和45年)に開館した。宣長の旧蔵書や自筆本を保存・公開しており、所蔵品のうち467種1,949点が国の重要文化財に指定されている。
入館料は、同じ敷地にある旧宅「鈴屋」との共通料金で、大人400円。開館は9時から17時(最終入館16時30分)、休館日は月曜日(祝日の場合は翌日)と年末年始だ。松阪駅からはバスで約5分乗って「市役所前」か「市民病院前」で降り、徒歩約5分で着く。
ただし、2026年10月から旧宅と記念館をつなぐ連絡通路が3年以上通行止めになると、Wikipedia に書かれている。見学の順路が変わる可能性があるので、行く前に公式サイトか電話で確認してほしい。
基本情報
- 名称:本居宣長記念館(運営・管理は鈴屋遺蹟保存会)
- 所在地:三重県松阪市殿町1536-7(松阪城跡の敷地内)
- 開館:1970年(昭和45年)11月5日(宣長の命日、旧暦9月29日にあたる日)
- 開館時間:9:00〜17:00(最終入館16:30)
- 休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始
- 入館料(旧宅「鈴屋」と共通):大人400円、大学生など300円、小人(小学4年生〜高校生)200円。障害者手帳の提示で無料、介護者は2名まで無料
- 電話:0598-21-0312
- 人物:本居宣長(1730〜1801、江戸時代の国学者・医師)
料金や時間は変わることがある。出かける前に記念館へ確かめてほしい。
本居宣長記念館の歴史・見どころ・アクセスと所要時間
記念館ができるまで:鈴屋遺蹟保存会の歩み
記念館より先にできたのは、旧宅を守る動きだった。1906年に鈴屋遺蹟保存会が設立され、旧宅の保存を進めた。記念館は、その保存会が運営・管理している。
開館の日付にも意味がある。11月5日は宣長の命日(旧暦9月29日)にあたる。記念館は2016年に改修工事のため一時休館し、2017年に新装開館した。休館中も旧宅だけは有料で公開されていたという。
見どころ:重要文化財1,949点を伝える収蔵品
記念館には、宣長の実子・本居春庭の子孫の家に伝わった資料や、養子・本居大平の子孫の家に伝わった資料などが収められている。このうち467種1,949点が国の重要文化財で、20種31点が三重県の有形文化財に指定されている。
宣長は『古事記』の注釈書『古事記伝』を約35年かけて書き、1798年に完成させた。源氏物語の研究では『紫文要領』『源氏物語玉の小櫛』を著し、「もののあはれ」を日本文学の核心と説いた。膨大な資料が家に残ったのは、こうした著作活動の積み重ねがあったからだ。
宣長は、相続や葬儀、墓の形まで細かく定めた遺言書も残している。公式サイトには「過去の展示」「収蔵品」「有形文化財」のページがあるので、どんな資料が出ているかは出かける前にそこで見ておくとよい。秋には企画展が開かれ、展示説明会や「宣長十講」といった催しも行われている。
旧宅「鈴屋」:2階の書斎は入れないが、のぞける
記念館と同じ敷地にある旧宅は、1691年に宣長の祖父が隠居所として建てた家だ。
2階の書斎「鈴屋」は、1782年に2階の物置部屋を改造してつくった。弟子の三井高蔭が増築の費用を助けている。広さは約4.5畳で、床の間がある。階段は8段で、下の3段は取り外せる箱になっていた。書斎を日常の暮らしから切り離す工夫だったとされる。「鈴屋」という名は、宣長が書斎に掛けた鈴に由来する。
この書斎は保存のため立ち入れない。石垣の上から内部をのぞくことができる。1階は、宣長が医療に使った「店の間」と、講釈や歌会に使った「奥の間」の一部が公開されている。旧宅は1909年(明治42年)に、鈴屋遺蹟保存会が松阪城跡の二ノ丸へ移して復元した。1953年(昭和28年)に、元の魚町の敷地とあわせて国の特別史跡に指定されている。
アクセスと所要時間
公共交通機関なら、JR・近鉄松阪駅から三重交通バス(松阪中央病院行きまたは嬉野一志行き)か、鈴の音バス(市街地循環線)に約5分乗る。「市役所前」か「市民病院前」で降り、徒歩約5分だ。車なら伊勢自動車道の松阪ICから約10分で、記念館の敷地内に専用駐車場がある。満車の場合は、徒歩約5分の松阪市駐車場が使える。
見学の所要時間について、公式の目安は見つけられなかった。閉館が17時で最終入館が16時30分なので、そこから逆算して余裕をもって入りたい。
記念館をめぐるよくある誤解と、宣長の学問・家のその後
誤解1:旧宅は昔からこの場所にあった?
そうではない。旧宅はもともと松阪の職人町に建ち、のちに魚町へ移っていた。いまの松阪城跡の位置に来たのは1909年で、移築・復元されたものだ。移す先として、当初は市役所に近い山室山神社の境内も考えられていたという。
特別史跡の指定は、移築後の建物と元の魚町の敷地の両方についてである。建物と土地の歴史は、少し分けて考える必要がある。
誤解2:宣長は最初から学者を目指していた?
宣長は松阪の商家・小津家に生まれた。1752年に医師を志して京都へ学びに出て、のちに松阪で40年以上、医師として働いた。学問は、医業のかたわらで続けたものだった。旧宅の「店の間」が医療に使われたことは、この暮らしを物語っている。
転機は1763年、伊勢参りで松阪に来た賀茂真淵との出会いだ。「松阪の一夜」と呼ばれる。これをきっかけに宣長は真淵の弟子となり、『古事記』の研究に本格的に取り組んだ。真淵、荷田春満、平田篤胤とともに「国学の四大人」とされる。
誤解3:記念館の収蔵品は宣長一人の遺品だけ?
収蔵品は、宣長の子や養子の子孫の家に伝わった資料が中心にあり、宣長だけのものではない。家を継いだのは、実子の春庭と養子の大平だ。春庭は1791年ごろから眼病を患い、1795年ごろには完全に失明したと考えられている。それでも宣長の手伝いを続け、『古事記伝』の版下書きなどを担った。のちに動詞の活用を体系化した『詞八衢』を著している。家督は大平に譲られた。
大平は、和歌山の本居家の系譜の祖となった。宣長自身も1792年に紀州藩に召し抱えられている。
見学前に確認したい、通路の通行止め
Wikipedia によれば、2026年10月から3年以上、松阪城跡の石垣整備工事のため、旧宅と記念館をつなぐ連絡通路が通行止めになる。その間は城跡の外に出て迂回する必要がある。記念館の公式サイトでも、石垣整備工事に伴う通行止めのお知らせが9月から出ている。
公式サイトの該当ページは確かめられていないため、実際の順路や通行できる範囲は、出かける前に記念館へ問い合わせるのが確実だ。
ゆかりの地と関連する人物
宣長ゆかりの地
- 本居宣長旧宅(鈴屋):記念館と同じ敷地。国の特別史跡
- 妙楽寺(山室):宣長自身の墓がある
- 樹敬寺:本居家の墓がある
- 本居神社(松阪):宣長を祀る神社
関連する人物
- 賀茂真淵:1763年の「松阪の一夜」で出会った師
- 本居春庭:実子。失明後も学問を続け、『詞八衢』を著した
- 本居大平:養子。和歌山の本居家の系譜の祖となった
- 三井高蔭:弟子。書斎「鈴屋」の増築を助けた
よくある質問
入館料はいくらですか?
大人400円、大学生など300円、小人(小学4年生〜高校生)200円で、旧宅「鈴屋」と共通だ。障害者手帳の提示で無料になり、介護者は2名まで無料。
休館日はいつですか?
月曜日(祝日の場合は翌日)と年末年始だ。開館は9時から17時で、最終入館は16時30分。
駐車場はありますか?
記念館の敷地内に専用駐車場がある。満車などの場合は、徒歩約5分の松阪市駐車場を使える。
鈴屋の2階書斎には入れますか?
入れない。保存のため立ち入りできず、石垣の上から内部をのぞく形になる。1階の「店の間」と「奥の間」の一部は公開されている。
開館したのはいつですか?
1970年(昭和45年)11月5日だ。宣長の命日(旧暦9月29日)にあたる。2016年に改修で休館し、2017年に新装開館した。





