結論:国宝は「燕子花図」「紅白梅図」「八橋蒔絵螺鈿硯箱」の3点
尾形光琳の代表作としてまず挙がるのは、国宝に指定されている『燕子花図』(根津美術館)と『紅白梅図』(MOA美術館)の2つの屏風です。工芸品では、東京国立博物館が所蔵する国宝『八橋蒔絵螺鈿硯箱』があります。
このほか、『風神雷神図屏風』(東京国立博物館)や、弟・乾山の焼いた角皿に光琳が絵付けをした作品、衣装に絵を描いた『冬木小袖』などが重要文化財に指定されています。
代表作の中には、制作の技法や、元になった絵をめぐって説が分かれるものもあります。この記事では、分かっていることと議論が続いていることを分けて紹介します。
基本情報
- 生没年:万治元年(1658年)〜享保元年(1716年)。京都の生まれ
- 時代:江戸時代
- 身分:呉服商「雁金屋」の次男で、のちに絵師。1701年に法橋の位を得た
- 国宝の代表作:『燕子花図』(根津美術館)、『紅白梅図』(MOA美術館)、『八橋蒔絵螺鈿硯箱』(東京国立博物館)
- 重要文化財の代表作:『風神雷神図屏風』(東京国立博物館)、『冬木小袖』(東京国立博物館)、『太公望図』(京都国立博物館)など
- 弟:陶工の尾形乾山
尾形光琳の代表作:国宝の屏風と硯箱
燕子花図屏風:群青と緑青で描いた燕子花
『燕子花図』は紙本金地著色の六曲一双の屏風で、縦150.9cm、横338.8cmです。金地の画面に、カキツバタの群生を群青と緑青の色で、リズミカルに並べて描いています。根津美術館の所蔵で、国宝です。
背景には『伊勢物語』第9段の東下りで、カキツバタの名所として語られる八つ橋の場面があるとされています。
根津美術館では毎年春の約1か月間、この屏風を見せる「燕子花図屏風展」が開かれてきました。2004年発行の五千円札(E号券)の裏面にも、この図柄が使われています。
紅白梅図屏風:流れを挟んで向かい合う2本の梅
『紅白梅図』は紙本金地著色の二曲一双で、大きさは156.0cm×172.2cmです。金地の背景に、紅梅と白梅が向かい合い、その間を銀地で描いた流れが通っています。津軽家の江戸藩邸に伝わり、1950年代に岡田茂吉が入手して、現在はMOA美術館に収蔵されています。国宝で、光琳の最高傑作、琳派様式の到達点と位置づけられています。
中央の川は、銀地に金泥を塗り、硫黄をまぶして銀を黒く変色させる技法で表されています。
八橋蒔絵螺鈿硯箱:絵画のモチーフを漆工芸に
『八橋蒔絵螺鈿硯箱』は、上段に硯、下段に紙を収める二段の箱です。外側は黒漆の地で、橋には鉛、杭には銀、花には螺鈿(貝の細工)を使い、茎や葉は金の平蒔絵で表しています。表面と側面には、咲き誇るカキツバタの間に八橋が架かる意匠があり、内側には力強い「光琳波」の文様があります。
文化庁の国指定文化財等データベースによると、1949年に重要文化財、1967年に国宝に指定されました。『燕子花図』と共通するカキツバタの意匠を、屏風から漆工芸へと展開した作品です。
代表作をめぐる諸説と、屏風以外の作品
紅白梅図屏風の謎:金地の作り方と梅の色
『紅白梅図』には、まだ決着していない論点があります。
- 金地は金箔を貼ったのか、金泥で描いたのか。2003〜2004年に東京文化財研究所が行った蛍光X線調査では、金泥で描き、箔の継ぎ目(箔足)をあえて描いた可能性が指摘されました。一方、2011年にMOA美術館などが発表したX線回折法による再調査では、金箔を貼ったとする結果が出ています
- 現在は白く見える梅は、本来は桃色だったとされています。有機染料で描かれたため、褪色したと説明されています
- 中央の川の見え方についても、実験が行われています。森山知己は、銀箔に膠を主成分とするドーサ液で防染の模様を描いて硫化させる方法で、実物大の再現を試みました。その結果、ドーサを施した部分は初期には群青色や玉虫色のような発色を見せ、かつては青く見える箇所があった可能性が示唆されています。ドーサの効力が失われる「ドーサ抜け」で、意図しない黒変が起きた可能性も検討されています
解釈の面では、小林太市郎が、中央の川を女体、両側の梅の木を男性と見る説を示しています。
風神雷神図屏風:宗達の絵を見て写した作品
東京国立博物館が所蔵する光琳の『風神雷神図屏風』は、紙本金地着色の二曲一双で、重要文化財です。俵屋宗達の原画(国宝、建仁寺蔵)を見て写したものとされ、光琳が原画に出会ったのは宝永末年(1711年)頃と推測されています。当時の所蔵先は、建仁寺の末寺・妙光寺と解されています。
輪郭線は非常に忠実に写されていますが、改変もあります。
- 風神・雷神の全身が画面に収まるように配置されている
- 二神の視線が互いに交差している
- 屏風の寸法が宗達作より大きく、二神が相対的に小さく見える
- 雲や輪郭の墨が濃くなり、二神の動きを抑える効果がある
光琳の模写も傑作とされますが、「宗達の画のほうが迫力がある」と見る人も多いと記されています。
この光琳本を、のちに酒井抱一が模写しました。抱一は宗達の原画を知らず、光琳の作品を光琳自身の創作だと考えていたとみられています。
冬木小袖と乾山との合作:衣装と焼き物のキャンバス
『白綾地秋草模様小袖』は、通称『冬木小袖』と呼ばれます。白い綾地に、菊・桔梗・萩・薄などの秋草を墨と淡い彩色で描き、金泥で葉脈や蕊を添えています。江戸の材木商・冬木家の妻のために、1704〜1705年頃に光琳が描いたと考えられており、冬木家に伝わったことがこの名の由来です。1877年に、のちの東京国立博物館にあたる機関が購入し、1974年に重要文化財に指定されました。
ただし、署名も印もありません。光琳作とする根拠は、作風と、箱書きが光琳の真筆だと記していることです。光琳と冬木家の関係がどのようなきっかけで始まったかは明らかになっておらず、茶道を通じた縁だとする説や、中村内蔵助の紹介だとする推測があります。
陶器では、乾山が作った器に光琳が絵付けをした合作があります。『寿老図六角皿』(大倉集古館)や『銹絵観鴎図角皿』(東京国立博物館)などが重要文化財で、1710年の『銹絵松鶴図六角皿』も指定を受けています。乾山は兄について、何を描いても模様になると評したといいます。
八橋図屏風:海外にある、橋の描かれた屏風
国宝『燕子花図』と同じ主題の『八橋図』(六曲屏風一双)は、メトロポリタン美術館が所蔵しています。こちらは金地に燕子花を描くとともに、橋をジグザグに描いています。
ゆかりの地と関連する人物
ゆかりの地
- 京都:光琳の生地。新町通り二条下ルに1711年、新居を構えた。その屋敷の図面が残り、MOA美術館の構内に「光琳屋敷」として復元されている
- 江戸:1704年頃から約5年間滞在し、姫路藩主の酒井家などと関わった。1709年に京都へ戻った
- 熱海(静岡県):MOA美術館があり、『紅白梅図』を収蔵している
- 東京・上野:東京国立博物館が、『八橋蒔絵螺鈿硯箱』『風神雷神図屏風』『冬木小袖』を所蔵している
- 京都市の妙顕寺塔頭・泉妙院:「尾形光琳・乾山 菩提所石碑」がある
関連する人物
- 尾形乾山:弟の陶工。1663年生まれ、1743年没。光琳の絵付けによる角皿が代表的な合作
- 俵屋宗達:光琳が影響を受けた先行の絵師。直接の師弟関係はないが、『風神雷神図』と『槙楓図』は宗達の原画に基づく
- 酒井抱一:光琳に傾倒し、江戸で琳派を定着させた絵師
- 中村内蔵助:銀座の役人で、光琳のパトロン
光琳と宗達の間に、直接の師弟関係はありません。琳派は、本阿弥光悦と宗達が創始し、光琳・乾山が発展させ、抱一と鈴木其一が江戸に定着させた流派です。特徴は、時間や場所の離れた人が、先人に傾倒する「私淑」で受け継いでいったことにあります。同じ主題や技法を踏襲しながら、絵師ごとの解釈が加わりました。
よくある質問
尾形光琳の国宝は何点ありますか?
この記事で確かめられた国宝は、『燕子花図』『紅白梅図』『八橋蒔絵螺鈿硯箱』の3点です。『風神雷神図屏風』や『冬木小袖』は重要文化財です。
『燕子花図』はいつでも見られますか?
根津美術館が毎年春の約1か月間、「燕子花図屏風展」として公開してきました。展示の時期は年によって変わるため、美術館の公式サイトで確認してください。
『紅白梅図』の梅は、もともと白かったのですか?
現在は白梅とされる梅は、本来は桃色だったとされています。有機染料で描かれたため褪色したと説明されています。
『風神雷神図屏風』は光琳の独創ですか?
いいえ。俵屋宗達の原画を見て写したものとされています。ただ、輪郭は忠実に写しつつ、配置や視線、墨の濃さなどを変えています。
光琳と乾山はどんな関係ですか?
兄弟です。乾山が作った陶器に光琳が絵付けをした合作が残っています。






