結論:代表作は『南総里見八犬伝』。読本の『椿説弓張月』も欠かせない
滝沢馬琴(曲亭馬琴)の代表作は、文化11年(1814年)に刊行が始まり、天保13年(1842年)に完結した長編読本『南総里見八犬伝』です。全98巻106冊、9輯という大作で、執筆に28年がかかりました。
これに次ぐ人気作が、文化4年(1807年)から文化8年(1811年)にかけて出た『椿説弓張月』です。葛飾北斎が挿絵を描き、馬琴を読本作者として確立させた作品とされています。
なお「滝沢馬琴」という呼び方は明治以降に広まったもので、近世文学の研究者の間では、本名は滝沢興邦、作家名は曲亭馬琴と区別すべきだと指摘されています。この記事では題名に合わせて「馬琴」と略して書きます。
基本情報
- 生没年:明和4年6月9日(1767年7月4日)〜嘉永元年11月6日(1848年12月1日)、享年82
- 時代:江戸時代後期
- 立場:戯作者。『南総里見八犬伝』の大ヒットで原稿料だけで生計を立てられたことから、日本初の専業作家とされる
- 本名:滝沢興邦
- 代表作:『南総里見八犬伝』(1814〜1842年)、『椿説弓張月』(1807〜1811年)
- 墓所:東京都文京区の深光寺
滝沢馬琴の代表作一覧:南総里見八犬伝と椿説弓張月
『南総里見八犬伝』のあらすじ
舞台は嘉吉元年(1441年)、里見義実が勢力を築く安房です。義実の飼い犬の八房が敵将の首を取り、褒美として義実の娘の伏姫を与えられます。伏姫は八房との婚姻を避けて富山に籠もりますが、懐妊し、自害します。このとき数珠の八つの大玉が飛び散り、それぞれに「仁義礼智忠信孝悌」の文字が浮かびました。
その後、八人の犬士が、玉を持ち、牡丹の形の痣を身に着けて登場します。名字にはいずれも「犬」の字が入り、犬塚信乃、犬川荘助、犬飼現八、犬田小文吾、犬山道節、犬坂毛野、犬村大角、犬江親兵衛の八人です。物語は、文明15年(1483年)に扇谷定正らの連合軍と里見家が戦う関東大戦を経て、大団円を迎えます。
八つの文字は儒教の徳目がもと
玉に浮かぶ八つの文字のうち、仁・義・礼・智・信は儒教の五常にあたり、これに忠・孝・悌を加えたものが元になっています。物語には一人ひとりの伝記(犬士列伝)が並びます。名はその本性を表すという「名詮自性」の考え方も使われています。
『椿説弓張月』は為朝の冒険譚
主人公は、『保元物語』に出てくる弓の名手・源為朝です。前編・後編は『保元物語』にほぼ沿って為朝の活躍を描き、為朝は伊豆大島へ流されます。大島を脱出した為朝は琉球に漂着し、続編以降では琉球王国の混乱を収めて王国を再建するという創作が展開します。為朝が琉球に逃れ、その子が初代琉球王の舜天になったという伝説が、後半の下敷きになりました。
全5編29冊で、前篇・後篇・続篇・拾遺・残篇からなります。当初は前篇と後篇の全12巻で完結する予定でしたが、反響が大きかったために延びたとされます。
代表作が生まれた背景:挿絵・資料・失明後の執筆
挿絵を描いた絵師たち
『椿説弓張月』の挿絵は葛飾北斎で、大弓を引く為朝の姿は作品を代表する図として知られます。一方の『南総里見八犬伝』では、柳川重信(二世を含む)、渓斎英泉、歌川貞秀などが挿絵を担当しました。版元も山青堂、涌泉堂、文渓堂と移っており、28年という長い刊行期間の長さがうかがえます。
史実と中国小説を材料にした創作
『椿説弓張月』は、前半の種本に、水戸の彰考館で編まれた『参考保元物語』を採りました。『保元平治闘図会』も部分的に用いています。後半の琉球の部分は、為朝が琉球に逃れたという伝承を基にしています。そのうえで、中国の『水滸後伝』が後半のネタ元に、『中山伝信録』が琉球の人名・地名などに使われています。史実と伝説、外国の書物を混ぜ合わせて、独自の物語に仕立てた作品です。
失明と嫁・お路の口述筆記
馬琴は天保10年(1839年)に失明します。『八犬伝』の執筆は天保11年ごろには自分では不可能になり、息子の嫁のお路(土岐村路)が口述筆記を担いました。息子の興継(宗伯)は天保6年(1835年)に亡くなっており、妻のお百も天保12年(1841年)に没しています。身の回りの人を次々に失いながら、天保13年(1842年)に全巻の刊行が完結しました。
その他の主な作品
- 読本:『三七全伝南柯夢』(1808年)、『近世説美少年録』(1829〜1830年)、『開巻驚奇侠客伝』(1832年、未完)
- 合巻:『傾城水滸伝』(1825年、未完)、『風俗金魚伝』、『新編金瓶梅』
- 随筆・評論:『燕石雑志』(1811年)、『近世物之本江戸作者部類』(1833〜1834年)、『兎園小説』
- 俳書:『俳諧歳時記』(1803年)。季語2600余を収め、「歳時記」を名乗った最初の例とされる
後世への影響と、よくある思い込み
歌舞伎・映画・人形劇への広がり
『八犬伝』は歌舞伎にもなり、嘉永5年(1852年)に江戸市村座で初演された作品があります。映画では1954年の東映版、1983年の角川映画版(深作欣二監督)、2024年の『八犬伝』(曽利文彦監督)があります。テレビではNHKの人形劇『新八犬伝』(1973〜1975年)が知られています。
『椿説弓張月』も、歌川国芳や月岡芳年が着想を得た錦絵を残し、三島由紀夫が書いた歌舞伎(1969年初演)が上演されました。1914年と1955年には映画にもなっています。
「八犬伝のほうが有名」は後の評価
『椿説弓張月』は商業的に成功した作品でしたが、後に書かれた『八犬伝』のほうが、現在では有名になっています。また、明治中期に来日したフレデリック・イーストレイクは、馬琴を「日本のシェークスピア」と称賛しました。
作中の館山城は史実とは別
里見氏は実在の戦国大名で、戦国末に本拠を移した館山城(館山市)も実在します。ただし『八犬伝』に出てくる館山城は上総国にある別の城として描かれており、史実の城とは区別されています。作中の話をそのまま史実の里見氏の事績として読むと、取り違えが起こります。
ゆかりの地と関連する人物
- 深光寺(東京都文京区):馬琴の墓所があります。
- 富山(千葉県南房総市):作中の聖地とされ、伏姫籠窟などがあります。
- 館山城(千葉県館山市):史実の里見氏が戦国末に本拠を移した城です。
- 葛飾北斎:『椿説弓張月』の挿絵を描いた絵師です。
- 山東京伝:寛政2年(1790年)、24歳の馬琴が弟子入りを請うた戯作者です。京伝は断りましたが、親しく出入りすることは許しました。文化13年(1816年)に没しています。
- お路:馬琴の失明後、『八犬伝』の口述筆記を担った息子の嫁です。
よくある質問
滝沢馬琴の一番の代表作はどれですか?
『南総里見八犬伝』です。文化11年(1814年)から天保13年(1842年)まで28年かけて刊行された、全98巻106冊の長編読本です。
『椿説弓張月』の挿絵は誰が描きましたか?
葛飾北斎です。大弓を引く源為朝の姿が、作品を代表する図として知られています。
『南総里見八犬伝』は馬琴が最後まで自分で書いたのですか?
いいえ。馬琴は天保10年(1839年)に失明し、息子の嫁のお路が口述筆記を担い、天保13年(1842年)に全巻の刊行が完結しました。
八犬士の八つの文字は何ですか?
仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌です。伏姫の数珠の大玉が飛び散ったときに現れた文字で、八犬士がそれぞれ一つずつ持ちます。
馬琴の墓はどこにありますか?
東京都文京区の深光寺にあります。






