樋口一葉

結論:代表作は『たけくらべ』『にごりえ』『十三夜』『大つごもり』の4作

樋口一葉の代表作として挙げられるのは、『大つごもり』(1894年12月)、『たけくらべ』(1895年1月〜1896年1月に連載)、『にごりえ』(1895年9月)、『十三夜』(1895年12月)です。これに『わかれ道』(1896年1月)を加えて数えることもあります。

どの作品にも、貧しさや身分、性別のために選べる道の少ない人々が出てきます。一葉自身が父の死後に戸主となり、針仕事や荒物屋の商いで家計を支えた経験が、作品の土台にあります。

なお、『たけくらべ』は結末で美登利が急に変わってしまう理由が明記されておらず、読み方が分かれています。この「たけくらべ論争」が、この記事の「諸説」にあたる部分です。

基本情報

  • 生没年:明治5年3月25日(1872年5月2日)〜明治29年(1896年)11月23日。24歳6か月で没
  • 本名:樋口奈津
  • 時代:明治時代
  • 立場:小説家。近代以降で最初の職業女流作家とされる
  • 死因:肺結核(当時は治療法がなかった)
  • 主な代表作:『大つごもり』『たけくらべ』『にごりえ』『十三夜』『わかれ道』
  • 墓所:築地本願寺和田堀廟所(杉並区永福)

樋口一葉の代表作とあらすじ

『たけくらべ』:吉原の裏手で育つ子どもたち

舞台は、吉原遊郭の裏手にある「大音寺前」の町です。主人公の美登利は14歳で、吉原の遊女を姉に持つ勝気な少女です。子どもたちの間では女王のような存在として描かれます。

相手役の信如は、龍華寺という寺の僧侶の息子です。俗っぽい父を恥じる内向的な少年で、美登利とは気まずい関係になります。町の子どもたちは、鳶の頭の息子・長吉を中心とする横町組と、金貸しの息子・正太郎を中心とする表町組に分かれて対立します。夏祭りの日には、表町組に属する三五郎が、横町組に襲われます。

物語は千束神社の夏祭りから、大鳥神社の三の酉の市まで、季節を追って進みます。雨の日に信如の下駄の鼻緒が切れ、美登利が端切れを投げかけるのに、信如は受け取らずに去ります。

酉の市の日、美登利は島田髷に結って着飾り、声をかけた正太郎を拒みます。その後は他の子どもとも遊ばなくなり、信如は僧侶の学校に入るため町を去ります。

『にごりえ』:酌婦お力と、ある男の破滅

『にごりえ』は1895年9月、『文藝倶楽部』に発表されました。一葉の作品の中で、もっとも写実的だとされています。

舞台は酒を出す店「菊の井」です。そこで一番の売れっ子のお力は、客の結城朝之助に心を寄せます。一方、お力に入れ込んで身を持ち崩した元蒲団屋の源七は、妻子と貧しく暮らしています。お力が源七の子に高価な菓子を与えたことをきっかけに口論になり、源七はついに妻子と別れます。物語の終わりにはお力と源七が亡くなりますが、その死が強いられたものか合意のものかは、作中でははっきりしません。

一葉は1894年に本郷の丸山福山町へ移りました。この一帯には私娼を置く飲み屋が多く、一葉が女性たちに頼まれて恋文を書くこともあったと伝わります。お力は、隣家の飲み屋の女性がモデルかもしれないとされています。

『十三夜』:実家に戻った女性と、再会した幼なじみ

『十三夜』は1895年12月、『文藝倶楽部』の女流作家特集号に載りました。貧しい士族の娘・お関は、役人の原田勇に嫁いで7年になります。子が生まれてから夫は冷たくなり、お関は十三夜の晩、幼い息子を置いて実家に戻ります。

両親は娘を迎えますが、父は運命を受け入れるよう諭し、お関は夫の家に帰ることにします。その帰り道、乗った人力車の車夫が、かつて結婚を望んだ幼なじみの高坂録之助だと分かります。録之助は、お関が別の人に嫁いだ後、身を持ち崩し、家庭も捨てていました。2人は冷えた秋の月の下で別れます。

『たけくらべ』の結末をめぐる諸説と、評価の広がり

美登利はなぜ変わったのか:初潮説と初店説

美登利が突然元気をなくす理由は、作中では明言されません。このため、「初潮説」と「初店(水揚げ)説」が対立する「『たけくらべ』論争」が起きました。どちらの説にも、現在も支持者がいるとされます。

資料の書きぶりでは、どちらかが定説になっているわけではありません。作中で確かなのは、酉の市の日に島田髷に結った美登利が、正太郎を拒み、その後は誰とも遊ばなくなる、という経過までです。

鷗外・露伴・緑雨の称賛

『たけくらべ』は1896年4月に『文藝倶楽部』へ一括で掲載され、評判になりました。森鷗外、幸田露伴、斎藤緑雨の3人による匿名の合評「三人冗語」でも高く評価され、一葉の名は一気に広まったとされます。一葉が亡くなったのは、同じ1896年の11月です。

『大つごもり』:西鶴を意識した最初の作品

『大つごもり』は、1894年12月に『文學界』第23号で発表されました。井原西鶴の文体や発想を意識的に取り入れた最初の作品とされます。

主人公のお峰は18歳の女中です。高利貸しへの借金に追われる伯父のため、奉公先の山村家に給金の前借りを頼みますが、御新造に冷たく断られます。追い詰められたお峰は、硯の引き出しから札を2枚抜き取ってしまいます。大晦日の夜、この件が発覚しそうになりますが、山村家の放蕩息子・石之助が札束ごと持ち去っていたため、お峰は結果として救われます。

萩の舎で2円がなくなった際に一葉自身が疑われた、という逸話が背景の一つとされています。

作品を生んだ生涯と時代背景

父の死と戸主としての暮らし

1889年(明治22年)7月、父の則義が負債を残して亡くなり、一葉は17歳で戸主になりました。これに先立ち、長男の泉太郎が肺結核で亡くなっています。1890年9月に本郷菊坂へ移ってからは、針仕事などで生計を立てました。

半井桃水への師事と原稿料

1891年4月、一葉は半井桃水を訪ねて師事します。1892年3月に『武蔵野』へ『闇桜』を発表し、同年6月には桃水と絶交しました。同年11月には『都之花』に『うもれ木』を発表し、初めて原稿料として11円50銭を得ています。

荒物屋の経験と「奇跡の14ヶ月」

1893年7月、一葉は吉原遊郭に近い下谷龍泉寺町で、荒物や駄菓子を扱う店を開きました。店は1894年5月に閉じ、本郷区丸山福山町に移ります。この龍泉寺町での体験が、『たけくらべ』の題材のもとになったとされています。

『大つごもり』から『裏紫』までの期間は、和田芳恵によって「奇跡の14ヶ月」と呼ばれました。1895年には博文館の大橋乙羽らの支援を受けて、『たけくらべ』『にごりえ』『十三夜』などが発表されます。同じ4月頃から、馬場孤蝶や島崎藤村らが樋口家を訪れ、文学サロンのようになったといいます。

文体と日記

一葉の文体は、井原西鶴風の雅俗折衷体とされます。また、『若葉かげ』『筆すさび』など題名を変えながら日記をつけており、没後に発表された『一葉日記』は日記文学として高く評価されています。1896年8月には、斎藤緑雨の依頼で森鷗外が医師を往診させましたが、回復は絶望的と診断されました。一葉は同年11月23日に亡くなりました。

ゆかりの地と関連する人物

台東区立一葉記念館

台東区竜泉3-18-4にある、一葉の資料館です。1961年(昭和36年)5月に開館し、2006年(平成18年)11月にリニューアルオープンしました。展示室は3つで、『闇桜』と『たけくらべ』の原稿、短冊、書簡、龍泉寺町時代の店の「仕入帳」、紅入れや櫛などの遺品を見られます。開館日や料金は、訪れる前に公式の案内で確認してください。

墓所と紙幣

墓所は築地本願寺和田堀廟所(杉並区永福)です。2004年(平成16年)11月1日発行分から五千円紙幣の肖像となり、2024年7月の紙幣刷新で津田梅子に替わるまで使われました。女性の紙幣肖像は、1881年発行の神功皇后以来123年ぶり2人目でした。

関連する人物

  • 半井桃水:一葉が師事した人物
  • 森鷗外・幸田露伴・斎藤緑雨:『たけくらべ』を高く評価した作家たち
  • 馬場孤蝶・島崎藤村:樋口家を訪れた文学仲間

よくある質問

樋口一葉の代表作は何ですか?

『たけくらべ』『にごりえ』『十三夜』『大つごもり』が代表作です。『わかれ道』を加えることもあります。

『たけくらべ』の美登利が変わった理由は?

作中に明記がなく、初潮説と初店(水揚げ)説が対立しています。現在もどちらの説にも支持者がいます。

『たけくらべ』の舞台はどこですか?

吉原遊郭の裏手にある「大音寺前」です。一葉が1893年に荒物駄菓子の店を開いた下谷龍泉寺町の体験が、題材のもとになったとされます。

樋口一葉は何歳で亡くなりましたか?

1896年(明治29年)11月23日、24歳6か月で、肺結核のため亡くなりました。