結論:樋口一葉の五千円札は、新札が出た今も使える
樋口一葉の五千円札は、2024年7月3日に津田梅子の新しい五千円札の発行が始まったあとも、これまでどおり使えます。財務省は「現行の日本銀行券は、新しい日本銀行券が発行されたあとも、引き続き通用します」と案内しており、日本銀行も新券への交換は不要としています。使える期限は決まっていません。
「旧札は使えなくなる」という話は、日本銀行が注意を呼びかけている内容です。ただし、紙幣が使えなくなった例が過去にないわけではありません。一葉の札がなぜ大丈夫と言えるのか、いつ発行されたのか、どんな仕掛けがあるのか、一葉自身はどんな人生を送ったのかを、順に確かめます。
基本情報
- 人物:樋口一葉(本名は樋口奈津)
- 生没年:明治5年3月25日(1872年5月2日)〜明治29年(1896年)11月23日。24歳6か月で亡くなった
- 時代:明治時代
- 立場:小説家・歌人。下級役人の家に生まれ、父の死後に17歳で戸主となった
- 代表作:『たけくらべ』『にごりえ』『十三夜』『大つごもり』
- 死因:肺結核
- お札:E号券の五千円札。2004年(平成16年)11月1日に発行が始まり、表面の肖像になった
- 裏面:尾形光琳の「燕子花図」
樋口一葉のお札はいつまで使える?「使えなくなる説」を検証
新札が出ても、旧札は通用し続ける
財務省の2023年12月の発表によると、新しい五千円札は2024年7月3日に発行が始まり、表の肖像は津田梅子、裏の図柄は藤です。同じ発表で、現行の券は新券の発行後も引き続き通用すると明記されています。日本銀行の案内も同じで、従来の日本銀行券は新券が発行されたあとも引き続き通用するため、交換の必要はなく、「旧券が使えなくなる」といった情報には注意するよう呼びかけています。
使えなくなった紙幣は、法令による特別な措置の結果
では、使えなくなったお札はないのでしょうか。日本銀行によると、1885年以降に発行された銀行券は56種類あり、そのうち25種類が今も有効です。残る31種類は、過去の特別措置で通用力が失われました。特別措置は、1927年(昭和2年)の関東大震災後に焼失した兌換券の整理、1946年(昭和21年)の終戦直後のインフレを抑える新円切り替え、1953年(昭和28年)の1円未満の小額通貨の整理の3回です。
つまり、新しい券が出たから古い券が使えなくなったのではなく、法令による特別な措置があったから使えなくなりました。一葉の五千円札についてそのような措置は出ていないので、有効です。
交換と両替で知っておきたいこと
日本銀行が引き換えに応じるのは、汚れや損傷で使いにくくなった券です。新券への単純な交換や両替は行っておらず、引き換えには事前予約が必要だと案内されています。なお、発行されなくなって流通に不便な古い券(聖徳太子の一万円券など)は、日本銀行の本支店で現在発行中の券と引き換えられるとされています。手元の一葉の札を使うだけなら、特別な手続きは要りません。
一葉の五千円札はどんなお札か:発行の経緯と技術
2004年11月1日に発行、表面に女性は初めて
一葉の五千円札は、2004年11月1日に発行が始まり、それまでの新渡戸稲造に代わって表面の肖像になりました。Wikipediaによると、発行は当初2004年7月ごろの予定でしたが、肖像の彫刻に時間がかかり、約3か月遅れたとされています。
日本銀行券の表面に女性が描かれたのは、これが初めてとされています。
裏面は尾形光琳の「燕子花図」
裏面の図柄は、国宝の屏風絵である尾形光琳の「燕子花図」(かきつばたず)です。表の肖像が小説家の一葉、裏が江戸時代の画家の作品という組み合わせになっています。
偽造を防ぐ仕掛け
Wikipediaには、この札に使われた主な偽造防止技術が書かれています。
- すかし:一葉の肖像のほか、表から見て右側に2本の縦棒のすかしがあります
- ホログラム:見る角度によって、桜、日本銀行のマーク、「5000」の数字が見えます
- 特殊発光インキ:紫外線を当てると、表面の「総裁之印」がオレンジ色に光ります。表裏の地模様の一部も、それぞれオレンジ色と黄緑色に光ります
- マイクロ文字:「NIPPON GINKO」の文字が、大小の文字で表裏に入っています
- 識別マーク:表の左右の下隅に、深凹版印刷で盛り上げた八角形のマークがあり、指で触れて金種を見分けられます
このほか、深凹版印刷、潜像模様、パールインキ、ユリオンは、前の券であるD号二千円券の技術を引き継いでいます。一方、D号券で使われた光学的変化インキは、この札には使われていません。額面の数字が色を変える札だと思われがちですが、Wikipediaの記述にはその特徴はありません。
2014年5月12日には改良が加えられ、ホログラムの透明な層が楕円形から大きめの丸みのある四角形に変わりました。視覚に障害のある人が、一万円札と手触りで区別しやすくするための変更です。同時に、記番号の色が黒から茶色になっています。
お札の顔になった樋口一葉とは:貧しさと「奇跡の14か月」
17歳で戸主になり、借金と賃仕事に追われた
一葉は東京府の官舎で生まれました。父の樋口則義は下級役人で、母は多喜です。和歌と古典を中島歌子の萩の舎で学び、小説は半井桃水に指導を受けました。
1889年に父が借金を残して亡くなり、一葉は17歳で戸主を継ぎます。兄の死もあって、一家は借金と、針仕事や洗い張りなどの賃仕事に追われる暮らしになりました。お札の肖像になった人物が、生前はお金の苦労を重ねていたことになります。
吉原近くで開いた店と『たけくらべ』
1893年、一葉は吉原に近い下谷龍泉寺町(現在の台東区竜泉)で雑貨店を開きました。経営は行き詰まり、翌1894年には店を閉じています。この町での経験が、『たけくらべ』の題材になったとされます。
奇跡の14か月と24歳での最期
1894年12月に『大つごもり』を発表してから『裏紫』までの14か月余りの間に、『たけくらべ』『にごりえ』『十三夜』など、後世に残る作品が次々と発表されました。批評家の和田芳恵は、この時期を「奇跡の14ヶ月」と呼んでいます。没後に刊行された『一葉日記』も、日記文学として高く評価されています。
一葉は1896年11月23日、本郷区丸山福山町(現在の文京区西片)の自宅で、肺結核のため亡くなりました。当時は有効な治療法がなく、1896年8月には森鷗外の手配で一流の医師が診察しましたが、回復は絶望的と判断されました。
ゆかりの地と関連する人物
ゆかりの地
- 台東区立一葉記念館:1961年に、一葉が暮らして『たけくらべ』の舞台にもなった竜泉に開館。日本初の女性作家の単独資料館とされています
- 山梨県立文学館:一葉関係資料の国内有数のコレクションを所蔵しています
- 慈雲寺(甲州市):一葉の両親の故郷にあり、1922年に建てられた一葉女史碑があります
- 一葉の井戸(文京区本郷菊坂町):旧居跡付近に残っています
- 墓所:はじめは樋口家の菩提寺である築地本願寺別院に葬られ、のちに杉並区永福の築地本願寺和田堀廟所へ移されました
関連する人物
- 中島歌子:一葉が和歌や古典を学んだ萩の舎の主
- 半井桃水:一葉に小説の指導をした人物
- 森鷗外:病床の一葉のために、医師の診察を手配した
- 津田梅子:2024年7月から新しい五千円札の表面を飾る人物
よくある質問
樋口一葉の五千円札は、いつまで使えますか?
期限はありません。財務省と日本銀行は、現行の券は新券の発行後も引き続き通用すると案内しています。法令による特別な措置がない限り、通用力は失われません。
新札に交換しないと損をしますか?
交換は不要です。日本銀行は、新券への単純な交換や両替は行っていないとしています。旧券が使えなくなるという情報には注意するよう呼びかけられています。
樋口一葉の五千円札はいつ発行されましたか?
2004年(平成16年)11月1日です。新渡戸稲造の五千円札に代わって発行され、日本銀行券の表面に女性が描かれた最初の例になりました。
裏面の絵は何ですか?
尾形光琳の国宝の屏風絵「燕子花図」です。新しい五千円札の裏面は藤の図柄に変わりました。
樋口一葉は何歳で、何が原因で亡くなりましたか?
1896年11月23日に、24歳6か月で亡くなりました。原因は肺結核です。




