結論:綱吉は学問で世を治めようとした将軍で、生類憐れみの令は「犬だけの法」ではなかった
徳川綱吉は延宝8年(1680年)から宝永6年(1709年)まで江戸幕府の第5代将軍を務め、治世の前半は「天和の治」と称えられる善政、後半は生類憐れみの令などで評価が割れる。湯島聖堂を建てて学問を重んじ、勘定吟味役を置いて財政の監督を強めた一方、元禄期には貨幣の品位を下げる改鋳を行った。
生類憐れみの令は、犬、猫、鳥、魚、馬、牛のほか、病人や捨て子まで対象にした法令の総称だ。綱吉の死から10日後の宝永6年1月20日に禁令は解かれたが、牛馬の遺棄禁止や捨て子・病人の保護は残った。「天下の悪法」という評価は、1980年代以降、儒教にもとづく文治政治の一環として見直されている。
基本情報
- 生没:正保3年1月8日(1646年2月23日)〜宝永6年1月10日(1709年2月19日)、享年64(数え年)
- 時代:江戸時代前期〜中期(元禄期を含む)
- 身分:江戸幕府第5代将軍。第3代将軍徳川家光の4男で、幼名は徳松
- 将軍在職:延宝8年(1680年)8月21日に将軍宣下、宝永6年(1709年)まで
- それ以前の立場:寛文元年(1661年)に館林藩(25万石)の初代藩主となる
- 主な業績:文治政治の推進、湯島聖堂の建立、勘定吟味役の設置、生類憐れみの令
- 死因:江戸城中での麻疹(はしか)
- 墓所:寛永寺(東京都台東区)
徳川綱吉がしたこと:将軍就任から文治政治・財政まで
四男から将軍へ、大老・堀田正俊と「天和の治」
綱吉は家光の四男で、館林藩主だった。兄の4代将軍家綱の養嗣子となり、延宝8年(1680年)5月に後継者になり、同年8月に将軍宣下を受けた。
就任後は、家綱の時代の大老だった酒井忠清を退け、自分の将軍就任に功のあった堀田正俊を大老に据えた。この前半の治世は、基本的には善政として「天和の治」と称えられている。
転機は貞享元年(1684年)で、堀田正俊が若年寄の稲葉正休に刺殺された。以後、綱吉は大老を置かず、側用人の牧野成貞や柳沢吉保らを重用し、老中などを遠ざけるようになった。
湯島聖堂と学問重視の文治政治
綱吉は大変な学問好きで知られ、学問の中心地として湯島聖堂を建立した。林信篤らと経書について討論したことも記録されている。また、朝廷の領地にあたる御料を1万石から3万石に増やし、66の陵(天皇などの墓)を修復させた。
治世の後半の元禄期には、近松門左衛門、井原西鶴、松尾芭蕉といった文化人が現れ、儒学も隆盛した。綱吉は能を非常に好み、「能狂」と言われるほどで、自ら舞い、諸大名にも舞わせることを好んだという。後に吉宗が、綱吉の定めた天和令をそのまま「武家諸法度」として採用したことも、記録に残っている。
勘定吟味役と元禄の貨幣改鋳
財政面では、勘定吟味役を設置して荻原重秀を登用した。元禄8年(1695年)頃からは貨幣改鋳を始め、元禄金・元禄銀の品位を下げたため、経済に混乱を招いたとされる。さらに、災害の修復費用として40万両が全国に課されたと、『折たく柴の記』による記述だとされる。
生類憐れみの令とは?内容・処罰・犬小屋の真実
いつ始まり、何を命じたのか
生類憐れみの令は一つの法律ではなく、複数の触れの総称だ。幕府の法令に「生類あわれみ」の語が初めて出るのは貞享3年(1686年)7月19日の町触である。ただ、始まりには諸説あり、天和2年(1682年)10月の犬殺しへの極刑、貞享2年(1685年)2月の鉄砲規制、同年7月の御成道での犬猫の扱いなどが、起点の候補に挙がる。
年表から主な法令を拾うと、次のとおりだ。
- 貞享2年(1685年)11月7日:江戸城で鳥・貝・エビを料理に使うことを禁止
- 貞享4年(1687年)2月27日:魚や鳥を生きたまま食用に売ることを禁止
- 貞享4年:病気の牛馬を捨てることを禁止
- 元禄3年(1690年)10月25日:捨て子禁止令
- 元禄3年11月3日:7歳までの子どもについて届け出制を導入
- 元禄9年(1696年)8月22日:妊娠・出産・流産などを大家・地主に知らせる義務
貞享4年10月10日の町触で、綱吉は人々の仁心を育むための政策だと趣旨を説明している。元禄4年(1691年)には、老中も同じ説明をした。対象は動物にとどまらず、病人や捨て子の保護が含まれていた点が、「犬の法」というイメージとの大きな違いだ。
厳しい処罰と、確かめにくい逸話
処罰は重かった。山室恭子の調査では、処罰の事例は69件で、そのうち極刑は13件、前期に集中している。たとえば元禄4年6月26日には旗本の家臣(多々越甚大夫)が燕を吹矢で撃って死罪となり、同年11月22日には旗本の召使3人が鷺を殺して食べたとして死罪になった。元禄11年(1698年)2月15日には、犬を切り殺した谷口与右衛門が小塚原で磔になっている。
一方、「蚊を殺して閉門になった」という有名な逸話は、貞享3年6月6日の『御当代記』が伝える噂の一つにすぎない。史料としての信頼性に疑問が示されており、事実として扱えない。
元禄7年(1694年)3月11日の「馬のもの言い」事件も、世を騒がせた。浪人の筑紫団右衛門が斬罪となり、落語家の鹿野武左衛門が伊豆大島に流罪になった。この件で口書(供述書)を取られた江戸の町人は35万人を超えたとされる。
犬小屋と「御犬上げ金」
犬の保護策として、元禄8年(1695年)6月1日に四谷・大久保の犬小屋が落成し、同年11月14日には中野犬小屋への犬の送り込みが始まった。『徳川実紀』は、犬の数が「十万頭」に及んだと記している。
費用は町々から集める「御犬上げ金」で賄われ、元禄9年5月18日に制度化された。小間1間(20坪)あたり年3分とされ、元禄10年5月18日には年1分に減額された。元禄12年(1699年)には世田谷の20か村に犬の養育が持ちかけられ、宝永3〜5年(1706〜1708年)の養育金は合計35,430両、1年平均では11,810両に上った。この額から計算すると、15,747匹を養っていた計算になる。
犬公方の由来と「天下の悪法」の評価の移り変わり
なぜ「犬公方」と呼ばれたのか
「犬公方」の名は、犬の保護が特に知られたことに由来するとされる。また、綱吉が丙戌(ひのえいぬ)年の生まれだったためともされる。ただし、法令の対象は犬に限らない。
動機をめぐっては、複数の見方がある。天和3年(1683年)に綱吉の子の徳松が亡くなったことが、綱吉の生類への思いを強めたとする見方(根崎光男)がある。母の桂昌院が信頼した僧・隆光の勧めで始まったという従来の説は、隆光が江戸に来る貞享3年より前に政策が始まっていたため、近年は支持を失いつつある。また塚本学は、綱吉個人の嗜好というより、当時の社会状況への対策だったと指摘している。
綱吉の死と廃止:何が残り、何が消えたか
綱吉は宝永6年1月10日、江戸城中で麻疹のため亡くなった。遺言で、後を継ぐ家宣に政策の継続を託したとされる。しかし同月20日、町奉行の触れで禁令は解かれた。2月1日には鳥獣の死の検死や将軍家の食材制限が廃止され、3月2日には酒運上金が廃止されて、鳥・ウナギ・ドジョウの商売が解禁された。
牛馬の遺棄禁止や、捨て子・病人の保護は続いた。御成の際の犬猫の規定は吉宗の代に廃止され、綱吉の時代に止まっていた鷹狩も吉宗の代に復活した。
「天下の悪法」から再評価へ
生類憐れみの令は、庶民の生活に大きな影響を与えたため、「天下の悪法」と評されることが多く、綱吉の評価を下げる原因となった。新井白石や戸田茂睡の批判が悪評を広めたが、白石は家宣を顕彰する立場、茂睡は政権を批判する立場だったため、誇張された可能性が指摘されている。
1980年代以降は、儒教にもとづく文治政治の一環と位置づける見方が出ている。元禄3年の捨て子禁止令が綱吉の死後も続いたことから、子どもを捨てることが許される社会から、許されない社会への転換点だったとする評価もある。
ゆかりの地と関連する人物
ゆかりの地
- 寛永寺(東京都台東区):綱吉の墓所
- 湯島聖堂:綱吉が学問の中心地として建立した
- 中野犬小屋:元禄8年に犬の送り込みが始まった施設
関連する人物
- 堀田正俊:綱吉を大老として支えたが、貞享元年に稲葉正休に刺殺された
- 柳沢吉保・牧野成貞:堀田の死後に重用された側用人
- 荻原重秀:勘定吟味役として登用され、貨幣改鋳に関わった
- 徳川家宣:綱吉の甥。後継者となり、将軍就任後の1月20日に禁令が解かれた
- 徳川吉宗:綱吉の定めた天和令を「武家諸法度」として採用し、鷹狩を復活させた
よくある質問
徳川綱吉はなぜ「犬公方」と呼ばれたのですか?
犬の保護が特に知られたことが一因とされ、綱吉が丙戌年の生まれだったためともされます。法令の対象は犬に限りませんでした。
生類憐れみの令はいつ出されたのですか?
一つの法ではなく、複数の触れの総称です。「生類あわれみ」の語が幕府の法令に初めて出るのは貞享3年(1686年)7月19日の町触ですが、始まりには諸説あり、天和2年(1682年)や貞享2年(1685年)の法令を起点とする見方もあります。
犬以外にどんな生き物や人が対象でしたか?
猫、鳥、魚、貝、虫、馬、牛のほか、病人や捨て子も対象でした。元禄3年(1690年)には捨て子禁止令が出されています。
生類憐れみの令はいつ廃止されましたか?
綱吉の死から10日後の宝永6年(1709年)1月20日に禁令が解かれ、3月2日には鳥・ウナギ・ドジョウの商売も解禁されました。ただし牛馬の遺棄禁止や捨て子・病人の保護は残りました。
綱吉は何が原因で亡くなったのですか?
宝永6年1月10日、江戸城中で麻疹のため亡くなりました。享年は64(数え年)です。




