結論:「雪女」の舞台は東京・青梅市とする説がある。ただし出典には疑問も出ている
小泉八雲の「雪女」は、1904年に刊行された『怪談』に収められた一編です。英語版の序文は、この話を「武蔵国西多摩郡調布村」の百姓が土地の言い伝えとして語ったものと記しています。この調布村は、現在の東京都青梅市の南部にあたるとされます。雪国の話ではなく、東京の多摩川沿いが舞台とする説です。
注意したいのは、調布村が今の調布市ではないことです。調布市にあたる地域は、当時は北多摩郡の調布町で、別の土地でした。
一方で、八雲が聞いた話が昔から伝わる伝説だったのかについては、研究者のあいだで見方が分かれます。結末の「切なさ」も、物語の中の事実をたどると、読みどころが見えてきます。
基本情報
- 作者:小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)。1850年6月27日生まれ、1904年(明治37年)9月26日没。54歳
- 時代:明治時代。八雲は1890年(明治23年)に来日した
- 収録:『怪談』(1904年にイギリスとアメリカで出版)。怪談17編と、虫に関する3編を収める
- 挿絵:原書には武内桂舟による「雪女」の絵が載っている
- 舞台とされる場所:武蔵国西多摩郡調布村(現在の東京都青梅市の南部)
- 青梅市の碑:「雪おんな縁の地」の碑(調布橋のたもと、2002年設置)
小泉八雲「雪女」のあらすじと登場人物
吹雪の夜に起きたこと:茂作と巳之吉
登場するのは、老いた木こりの茂作と、その弟子の若い巳之吉です。二人は吹雪に閉じ込められ、小屋で夜を明かします。目を覚ました巳之吉の前に、色白で黒い髪の女が現れます。女が息を吹きかけると、茂作は凍って死んでしまいます。
女は巳之吉を殺しませんでした。理由は、巳之吉が若く美しかったからです。そして「誰かに言ったら命はないと思え」という趣旨の口止めをして、姿を消します。
お雪との結婚と、十人の子ども
年月がたち、巳之吉は「お雪」という色白の美しい女性と結婚します。二人のあいだには十人の子どもが生まれます。お雪は何年たっても老いませんでした。
約束が破られる夜と、消えた妻
ある夜、巳之吉はお雪を見て、あの吹雪の夜の出来事を話してしまいます。するとお雪は、自分こそがその雪女だと明かします。約束を破った夫を殺すはずでしたが、子どもたちのために命は取らない、と言います。子どもたちをきちんと育てるよう言い残します。
そのあと、お雪は白い霧のように溶けて、煙出しから外へ消えます。八雲は英語で、結びを「Never again was she seen」と書きました。二度とお雪が姿を見せることはありませんでした。この一文は、八雲の文章へのこだわりを示す例として、小泉八雲の項で紹介されています。
小泉八雲「雪女」の舞台は青梅?調布村と千ヶ瀬の渡しを検証
序文に書かれた「調布村」の根拠
舞台が青梅とされる手がかりは、まず序文です。英語版の序文は、話が武蔵国西多摩郡調布村の百姓が語った言い伝えだと述べます。青梅市文化財保護指導員連絡協議会と郷土博物館が出す文化財ニュース(第426号、令和5年)も、「雪女」の舞台になったという説があること、旧調布村(現在の長淵地区)に話の関係者が住んでいたことを紹介しています。
そのため、調布橋のたもとに「雪おんな縁の地」の碑が建てられました。碑の裏面の銘文には「武蔵の国、西多摩郡調布村のある百姓がこの土地に伝わる言い伝えとして語ってくれたものである」と刻まれています。碑は2002年(平成14年)3月10日に設置されました。青梅市の公式ページ(青梅の妖怪と伝説ガイドブック)でも、市内の伝承の場所の一つとして、調布橋の雪女(雪おんな縁の地)が挙げられています。
作中の渡し船は「千ヶ瀬の渡し」?
物語には渡し船が出てきます。この渡しは、多摩川にあった千ヶ瀬の渡しにあたると考えられています。千ヶ瀬の渡しは、調布橋の下流にあった渡しです。碑は調布橋のたもとにあります。
ここで言えるのは、地名と渡しの位置が重なると考えられている、という範囲までです。物語の小屋の場所や、茂作が亡くなった場所まで特定できるわけではありません。
話を八雲に伝えたのは誰か
八雲に話を伝えた人物については、Wikipedia の「雪女」の項が、原話の出どころを、東京の大久保にあった家で働いていた母と息子(ハナと惣八)としています。八雲は晩年を大久保で過ごし、同地で亡くなりました。この説では、調布村出身の使用人が八雲の身近にいたことになります。
ここでは、Wikipedia の記述と、青梅市の「関係者が旧調布村に住んでいた」という説明の範囲にとどめます。
日本語の八雲は、どうやって話を知ったのか
八雲は日本語の読解が十分ではありませんでした。妻のセツは、夫の求めに応じて日本の民話や伝説を語り聞かせたと、Wikipedia の小泉八雲の項に記されています。セツは1891年に八雲の家の住み込み女中となり、のちに結婚しました。『怪談』は、セツなどから聞いた各地の伝説や幽霊話を再話し、八雲が独自の解釈を加えて文学作品に仕立てたものとされています。「雪女」も、その流れで書かれた一編です。
「雪女」は本当に東京の伝説?出典をめぐる諸説と結末の謎
「世間話」とみる説、外国文学との関連を指摘する説
Wikipedia の「雪女」の項によると、大島広志は、八雲が聞いた話を、伝説ではなく「世間話」(日常で語られる話)だったとみています。また、牧野陽子は、ゴーティエの『死女の恋』との関連を指摘し、日本に昔から伝わる話といえるのかを問題にしています。
つまり、「調布村の話」であることと、「昔から調布村で語り継がれた伝説」であることは、同じではありません。碑や序文が示すのは前者です。後者は、研究者のあいだでも意見が分かれています。
なぜ雪女は巳之吉を殺さなかったのか
結末の謎は、お雪が巳之吉を殺さなかった理由です。作中でお雪が語る理由は、子どもたちがいるから、というものです。最初の夜は巳之吉の若さと美しさで見逃し、結末では子どもたちのために見逃しています。どちらも、殺すと決めた相手を殺さない場面です。
作中に書かれているのはここまでです。お雪が巳之吉を愛していたのか、雪女としての掟が働いたのかは、本文からは読み取れません。そこが読者に残される余白になっています。
「語るなのタブー」という型
「秘密を守る約束を破ると、異界の妻が去る」という筋は、異類の妻が正体を知られて去る昔話と、型が似ています。禁止を破った結果、別れが訪れるという点が共通します。ただし雪女の物語は、妻が去る側の理由に「子どもたち」が置かれ、夫の命を取らないところに特徴があります。
ゆかりの地と関連する人物
青梅市:調布橋と「雪おんな縁の地」の碑
青梅市千ヶ瀬町の調布橋のたもとに、2002年に建てられた碑があります。碑の裏面には序文の和文の銘文があります。青梅駅周辺の昭和レトロ商品博物館の2階には「雪女の部屋」があり、資料が展示され、学生や研究者が訪れると、文化財ニュースは伝えています。
八雲ゆかりの土地
- 松江:旧居(国の史跡)と小泉八雲記念館がある。セツは松江の士族の娘
- 熊本:第五高等中学校の英語教師だった時期の旧宅がある
- 焼津:晩年に毎年避暑に訪れた。焼津小泉八雲記念館がある
- 東京:西大久保で亡くなり、墓は雑司ヶ谷霊園にある
関連する人物
- 小泉セツ(1868〜1932):八雲の妻。日本の民話を語り聞かせた。回想録に『思ひ出の記』がある
- 武内桂舟:『怪談』原書の「雪女」の挿絵を描いた
よくある質問
「雪女」が収録されている本は?
小泉八雲の『怪談』(Kwaidan)です。1904年にイギリスとアメリカで出版され、「耳なし芳一の話」「むじな」「ろくろ首」などとともに、「雪女」が収められています。
雪女の舞台は新潟や東北ではなく、東京なのですか?
英語版の序文は、武蔵国西多摩郡調布村の百姓が語った話としています。この村は現在の青梅市南部にあたるとされ、青梅市の調布橋には碑も建っています。雪国の伝承ではなく東京の話だとする説です。
調布市が舞台なのでは?
調布市ではありません。調布市にあたる地域は当時、北多摩郡の調布町で、舞台とされる西多摩郡の調布村とは別の土地です。
八雲は「雪女」の話を誰から聞いたのですか?
序文では、調布村の百姓から聞いたとされます。Wikipedia は、原話の出どころを、大久保の家で働いていた母と息子としています。妻のセツが八雲に民話を語り聞かせたことも、『怪談』の成立に関わるとされます。
雪女の話は昔からの伝説ですか?
断定できません。大島広志は「世間話」とみており、牧野陽子はゴーティエの作品との関連を指摘しています。調布村の話であることと、古くからの伝説であることは、分けて考える必要があります。





