結論:野口英世の千円札は、新券が出た後も使える
野口英世の千円札(E号券)は2004年11月1日に発行が始まり、2024年7月3日に北里柴三郎の新千円札(F号券)が発行されたあとも、そのまま使えます。日本銀行は、一度発行された銀行券は法令に基づく特別な措置がとられない限り通用力を失わないと説明しており、「いつまで」という期限は設けられていません。
この千円札には、本栖湖に映る逆さ富士と桜の裏面、深凹版印刷やマイクロ文字などの偽造防止技術が使われています。肖像の野口英世は、黄熱病の研究のため訪れたアフリカで感染し、1928年に51歳で亡くなった細菌学者です。
基本情報
- 人物:野口英世(のぐち ひでよ)
- 生没年:1876年(明治9年)11月9日〜1928年(昭和3年)5月21日(満51歳)
- 出身:福島県耶麻郡三ッ和村(現在の猪苗代町)
- 立場:細菌学者。ロックフェラー医学研究所の研究員
- 死因:黄熱病(アフリカのアクラで死去)
- 千円札の発行:E号券は2004年11月1日、後継のF号券(北里柴三郎)は2024年7月3日
野口英世の1000円札はいつまで使えるのか
期限はない:日銀の説明
日本銀行の解説によると、1885年の発行開始以来これまでに56種類の銀行券が発行され、そのうち25種類が現在も有効です。一度発行された銀行券は、法令に基づく特別な措置がとられない限り通用力を失いません。特別な措置がとられたのは過去3回で、1927年の焼失兌換券の整理、1946年の新円切り替え、1953年の1円未満の小額通貨の整理です。野口英世の千円札についてこうした措置はとられておらず、新券が出たからといって使えなくなる理由はありません。
古いお札の引き換え
日本銀行は、発行が止まって流通しにくくなった銀行券(聖徳太子の一万円券など)について、本支店で現在発行されている銀行券と引き換えられると案内しています。ただし、これはすでに発行が止まった券についての案内です。現行の千円札を急いで新券に替える必要がある、という趣旨のものではありません。
「使えなくなる」という話には注意
財務省は、新しい日本銀行券の発行を前に、新券の発行時期(一万円・五千円・千円の三券種とも2024年度上期を目途に発行する予定)を発表していました。お札の切り替わりは、詐欺の口実にされがちな場面でもあります。旧券が使えなくなるといった話を聞いたら、日本銀行や財務省の公式ページで確認してください。
野口英世の1000円札に描かれたデザインの秘密
表の肖像と裏の逆さ富士
E号券の表面右側には野口英世の肖像があります。裏面は、本栖湖の湖面に映る逆さ富士と桜の図柄です。原画は写真家の岡田紅陽が山梨県の本栖湖畔、中之倉峠の展望地で撮影した「湖畔の春」で、同じ写真はD号の五千円券にも使われました。五千円券では左側に赤松が描かれていたのに対し、千円券ではその位置に桜の花が描き加えられています。つまり桜は写真にはなく、紙幣のために足された要素です。
偽造防止技術
千円券に使われている技術は次のとおりです。
- すかし:野口英世の肖像と、縦棒1本のすき入れバーパターン
- 深凹版印刷、潜像模様、パールインク、ユーリオン
- 特殊発光インキ:表面の印章「総裁之印」などがブラックライトでオレンジ色に発光する
- シークレットマーク:表裏にある片仮名の文字で、非公表とされている
E号の千円券にはホログラムは採用されていません。
マイクロ文字
肉眼ではつぶれて見える極小の文字も、技術の一つです。使われているのは「NIPPON GINKO」と「1000」の文字で、拡大鏡を使えば確かめられます。
野口英世の生涯と功績:黄熱病に倒れた細菌学者
福島から世界へ
野口英世は福島県の三ッ和村(現在の猪苗代町)に生まれました。高等小学校を卒業して上京し、済生学舎で学び、医術開業試験に合格して1897年、21歳で医師免許を取りました。翌1898年には北里柴三郎が所長を務める伝染病研究所に勤務し、1900年に渡米します。ペンシルベニア大学の助手を経て、1903年にデンマークのコペンハーゲンにある国立血清研究所に留学し、1904年にアメリカへ戻ってロックフェラー医学研究所に移りました。
業績と、後に否定された研究
Wikipedia は、進行性麻痺の患者の脳内で梅毒スピロヘータを確認したことを、現在まで残る最大の業績としています。1926年には、ペルー疣とオロヤ熱が同一の病気であることを証明しました。一方で、梅毒スピロヘータの純粋培養や、黄熱病・小児麻痺・狂犬病・トラコーマの病原体を特定したとする研究は、のちに否定されています。野口は1918年以降、エクアドル、メキシコ、ペルー、アフリカなどで黄熱病などの研究にあたりました。
ノーベル賞候補と最期
Wikipedia には、野口がノーベル賞の候補に挙がったことが記されています。記述は1914年、1915年、1920年の三度です。1926年には、自身がフェリックス・デレーユを推薦しています。最期は黄熱病で、1928年5月13日に診断を受け、5月21日にアクラで亡くなりました。死後の血液をサルに接種して確認されたと記されています。遺体はニューヨークのウッドローン墓地に、同年6月15日に埋葬されました。
「借金の天才」と呼ばれた一面
野口には金銭にまつわる逸話もあります。上京直後に放蕩で資金が尽きたこと、渡米のための資金の多くを横浜の遊郭で使い果たしたとされることが伝わっています。恩師や友人を説得して多額の借金を重ねたため「借金の天才」と呼ばれた、と Wikipedia は書いています。
北里柴三郎と野口英世:新旧千円札の縁
新千円札の顔・北里柴三郎
財務省は、新千円券の肖像の北里柴三郎について、破傷風菌の純粋培養に世界で初めて成功し、破傷風の血清療法を確立した人物と紹介しています。ペスト菌も発見し、私立伝染病研究所と私立北里研究所を創立して、後進の育成にも力を尽くしました。
伝染病研究所での関係
野口は1898年、北里が所長を務める伝染病研究所に勤めました。1899年に「蔵書事件」で研究所内の勤務から外れましたが、北里の計らいで横浜港の検疫所の検疫官補になっています。Wikipedia は、学閥によって冷遇されたとする説に疑問を示し、北里が野口に便宜を図り続けたことから、両者の関係が険悪だったとは考えにくいとしています。つまり、旧千円札から新千円札への交代は、かつての所属先の所長と所員が千円札の顔を引き継ぐ形になりました。
よくある誤解:野口の業績
千円札の肖像になった人物だからといって、野口の研究がすべて今も認められているわけではありません。上に書いたとおり、黄熱病の病原体の特定などは後に否定されています。それでも、進行性麻痺の患者の脳内で梅毒スピロヘータを確認した業績は、現在まで残る最大の業績とされています。
ゆかりの地と関連する人物
- 野口英世記念館(福島県猪苗代町):Wikipedia によれば、生家も現存しています
- 国立科学博物館前(東京・上野恩賜公園):野口英世の銅像があります
- ロックフェラー大学図書館入口:胸像があり、記念館には複製があります
- ウッドローン墓地(アメリカ・ニューヨーク):野口の墓所です
- 本栖湖(山梨県):裏面の原画「湖畔の春」の撮影地、中之倉峠の展望地があります
- 北里柴三郎:伝染病研究所の所長で、新千円札の肖像
- 岡田紅陽:裏面の原画を撮影した写真家
よくある質問
野口英世の千円札は、いつまで使えますか。
使える期限はありません。日本銀行は、一度発行された銀行券は法令に基づく特別な措置がとられない限り通用力を失わないと説明しています。
野口英世の千円札はいつ発行されましたか。
2004年11月1日に発行が始まりました。北里柴三郎の新千円札が発行された2024年7月3日まで続いた券です。
千円札の裏の富士山はどこから見た景色ですか。
山梨県の本栖湖畔、中之倉峠の展望地で岡田紅陽が撮影した「湖畔の春」が原画です。桜は紙幣のために描き加えられました。
野口英世の死因は何ですか。
黄熱病です。1928年5月13日に診断を受け、5月21日にアクラで亡くなりました。満51歳でした。
野口英世と北里柴三郎はどんな関係ですか。
野口は1898年、北里が所長を務める伝染病研究所に勤務しました。後に研究所内の勤務から外れた際も、北里の計らいで横浜港の検疫所の検疫官補になっています。






