山本五十六

結論:山本五十六の名言は「育てる言葉」と「見通しの言葉」に分けて読むと分かりやすい

山本五十六の言葉として今も引かれるのは、「やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ」という人材育成の格言、近衛文麿に語ったとされる「初め半年や1年の間は随分暴れてご覧に入れる」という見通しの言葉、そして「男の修行」と呼ばれる耐える心得の3つです。

育成の格言は、Wikipediaによると江戸時代の米沢藩主・上杉鷹山の「してみせて 言って聞かせて させてみる」から影響を受けたとされています。つまり山本の独創というより、先人の教えを自分の言葉にした形です。

近衛との会見の言葉は『近衛日記』に記録されたものです。短期なら戦えても、長期になれば確信は持てないという内容で、のちの歴史を知る私たちには重い意味を持って読めます。この記事では、資料で確かめられた言葉だけを引き、出どころの不確かな「名言」は取り上げません。

基本情報

  • 名前:山本五十六(やまもと いそろく)。旧姓は高野
  • 生没年:1884年(明治17年)4月4日〜1943年(昭和18年)4月18日
  • 出身:新潟県古志郡長岡本町(現在の長岡市)
  • 時代:明治〜昭和時代
  • 立場:海軍軍人。海軍航空本部長、海軍次官を経て、連合艦隊司令長官(1939年に第26代、1941年に第27代)を務めた
  • 代表的な言葉:「やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ」「男の修行」
  • 最期:1943年4月18日、前線視察中にブーゲンビル島上空で戦死(海軍甲事件)
  • 墓所:東京都府中市の多磨霊園。のちに遺骨は長岡市の長興寺にある山本家墓所に埋葬され、多磨霊園の墓所も残されている

山本五十六の名言が語る人の育て方と心得

「やってみせ、言って聞かせて」の言葉と上杉鷹山

最もよく知られる格言は、「やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ」です。四つの動作が順番に並んでいます。まず手本を見せ、次に言葉で説明し、実際にやらせ、最後に認める。この順序そのものが教えの中身になっています。

Wikipediaは、この格言が上杉鷹山の「してみせて 言って聞かせて させてみる」から影響を受けたものとしています。鷹山の言葉は三つの動作で終わるのに対し、山本の言葉には「ほめてやらねば」という四つ目が加わっています。「させてみる」で止めず、できたことを認める段階まで含めた点が、山本の形の特徴です。

この言葉が山本自身の筆跡や手紙で確認できるかどうかは、今回調べた資料には書かれていませんでした。そのため、後半の「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば」と続く形など、世に出回る別の続きは、ここでは紹介しません。

学校の指導や家庭の教育に重ねる読み方

塾で社会科を教えていると、この順番の意味はよく分かります。解き方を黒板で見せ、理由を説明し、生徒に解かせ、できた点を具体的に伝える。説明だけで終わった授業は、生徒の手が動かないまま終わりがちです。

ここから先は資料にある事実ではなく、私の読み方です。「ほめてやらねば」は甘やかしの勧めではなく、できた行動を相手に確認させる工程だと考えています。何が良かったかが本人に伝わらなければ、次も同じ動きを再現できないからです。

「男の修行」に込められた耐える心得

もう一つ有名なのが、「苦しいこともあるだろう 言い度いこともあるだろう 不満なこともあるだろう 腹の立つこともあるだろう 泣き度いこともあるだろう これらをじっとこらえてゆくのが 男の修行である」という言葉です。

Wikipediaによれば、この言葉は経営者や指導者の格言として引かれてきたほか、戦後の自衛隊の教育方針にも引き継がれたとされています。育成の格言が「教える側」の心得だとすれば、こちらは「耐える側」の心得と読めます。

ただし、現代の感覚では「男の」という限定や、我慢を前提にした教えとして受け止めにくい人もいるでしょう。昭和前期の軍人の言葉として、時代の中で読む必要があります。

山本五十六の名言に見る覚悟と見通し

「半年や1年は暴れてご覧に入れる」近衛文麿への言葉

山本の名言のうち、歴史的な重みが最も大きいのが近衛文麿との会見での発言です。『近衛日記』によるとされる言葉は、次のとおりです。

「それは是非やれと言われれば初め半年や1年の間は随分暴れてご覧に入れる。然しながら、2年3年となれば全く確信は持てぬ。三国条約が出来たのは致方ないが、かくなりし上は日米戦争を回避する様極極力御努力願ひたい」

注目したいのは、前半の威勢のよさよりも、後半の「確信は持てぬ」と、戦争を避けるよう頼む結びです。やれと言われれば短期ではやる、しかし長くは保証できない、だから回避に努めてほしい。軍人としての職務と、見通しの厳しさの両方が一つの発言に入っています。

アメリカ勤務の経験と三国同盟への反対

この見通しの背景として、山本のアメリカでの経験が挙げられます。Wikipediaによると、1919年(大正8年)に米国駐在となり、ハーバード大学に留学しました。のちの1925年(大正14年)には在米大使館付武官となり、1926年に出発しています。留学や駐在の中で、アメリカの産業事情を視察したとも記されています。

また、日独伊三国同盟については、米内光政、井上成美らとともに最後まで反対したとされています。近衛への発言にある「三国条約が出来たのは致方ないが」という言い方は、反対の立場だった人が、締結後に次善の策を求めている言葉として読めます。

なお、アメリカ勤務の経験と見通しの関係について、山本本人がどう説明したかは、今回確かめた資料には書かれていません。経験が判断の土台になったと考えるのは、私の読み方です。

「天職」と航空本部長の職

育成や覚悟の話とは少し離れますが、「天職」という語にまつわる事実も確認できました。Wikipediaによると、山本は次官への就任の際、海軍航空本部長の職を「天職」と考えており、その職にとどまることを望んでいたとされています。

海軍軍人として出世を重ねた人物が、自分の持ち場として航空の仕事を挙げていたことは、のちに航空戦力を重視した指揮官という像とも結びつきます。ただし「人はみな天職がある」といった一般論としての言葉は、今回の資料では確認できなかったため、紹介しません。

山本五十六の名言を読むときの注意点

出どころの不確かな名言が多い

山本五十六の名言として流布している言葉には、資料で原文や発言の場面を確かめにくいものがあります。確かめられたのは、この記事で引いた三つ(育成の格言、近衛への発言、男の修行)です。「今の若い者」に関する言葉や「自ら助くる」といった手紙の一節、「この身滅ぼすべし」といった言い回しは、今回調べたWikipediaの範囲では記述を見つけられませんでした。そのため、本文では取り上げていません。

名言集やまとめで見かけた言葉は、誰に宛てた手紙か、いつの会見か、という出どころまでたどれて初めて「山本の言葉」と呼べます。出どころが示されていない言葉は、気に入っても引用を避けるのが無難です。

言葉の細部は資料によって異なる

確かめられた言葉でも、表記には揺れがあります。近衛への発言は、本によって「半年や一年」「初め半年か一年」のように語られることがあります。この記事では、Wikipediaが『近衛日記』によるとして載せている形を使いました。

また、近衛との会見の日付は、Wikipediaの本文に明示されていません。発言に「三国条約が出来たのは致方ない」とあることから、1940年9月27日の三国同盟調印のあとの発言と読めるだけです。年月を断定して書く場合は、原資料に当たる必要があります。

最期と国葬:言葉を残した人のその後

山本は1943年4月18日、前線視察のためにブーゲンビル島上空で戦死しました。この出来事は海軍甲事件と呼ばれます。戦死は1か月以上秘匿され、5月21日に公表されました。

6月5日には日比谷公園で国葬が行われました。Wikipediaは、皇族・華族以外では戦前唯一の国葬例だとしています。没後の評価の高さがうかがえる一方で、戦死後に山本神社を建てる動きは、米内光政や堀悌吉らの反対で立ち消えになったとも記されています。

ゆかりの地と関連する人物

山本五十六記念館(新潟県長岡市)

山本五十六記念館は、長岡市呉服町1-4-1にあります。新潟県観光協会のページによると、長岡出身の山本の遺品を展示し、生涯の歩みと人柄を紹介する施設です。Wikipediaは、家族や親友への手紙、軍服などの遺品が展示されていると記しています。開館時間は10時から17時で、12月28日から翌年1月4日は休館、展示替えで臨時休館することもあるとされています。料金や入館の条件は変わることがあるため、訪ねる前に確認してください。

山本記念公園と長興寺

長岡市内の生家跡は山本記念公園になっています。また、長興寺には山本家の墓所があります。この墓は2004年の新潟県中越地震で倒壊し、2005年4月に復旧しました。墓所としては、東京都府中市の多磨霊園もあります。

関連する人物

  • 上杉鷹山:育成の格言の元になったとされる言葉の主。江戸時代の米沢藩主
  • 近衛文麿:山本が「半年や1年は暴れてご覧に入れる」と語った相手
  • 米内光政、井上成美:三国同盟に最後まで反対したとされる海軍の同僚
  • 堀悌吉:山本神社の建立に反対した一人として、Wikipediaに名が挙がる

よくある質問

「やってみせ、言って聞かせて」は山本五十六の言葉ですか

山本の格言として有名ですが、Wikipediaによると、上杉鷹山の「してみせて 言って聞かせて させてみる」から影響を受けたものとされています。山本の形には「ほめてやらねば 人は動かじ」が加わっています。

「半年や1年は暴れてご覧に入れる」は、いつ誰に言った言葉ですか

近衛文麿との会見での発言として、『近衛日記』に記録されたとされます。日付はWikipediaの本文に明示されておらず、発言の内容から、1940年9月27日の三国同盟調印のあとの発言と読めます。

山本五十六は日独伊三国同盟に反対していましたか

Wikipediaによれば、米内光政、井上成美らとともに最後まで反対したとされています。

山本五十六はどこで亡くなりましたか

1943年4月18日、前線視察中にブーゲンビル島上空で戦死しました。公表は5月21日、国葬は6月5日に日比谷公園で行われました。

山本五十六の遺品や手紙を見られる場所はありますか

新潟県長岡市の山本五十六記念館で、遺品が展示されています。Wikipediaは、家族や親友への手紙、軍服などの展示を挙げています。