結論:代表作は『人間失格』『走れメロス』『斜陽』。ただし「有名な話」には確かめられないものもある
太宰治の有名作品として真っ先に挙がるのは、『人間失格』『走れメロス』『斜陽』の三つです。『人間失格』は新潮文庫だけで累計670万部を超えたとされ、『走れメロス』は中学校の国語教材として長く採用され、『斜陽』は発表当時にベストセラーになりました。
この三作には、広く語られてきた説がついています。「『人間失格』は勢いで書き流した遺書だった」「『走れメロス』は熱海での出来事から生まれた」などです。資料に当たると、前者は1998年に公開された草稿で見直されており、後者は檀一雄の見方が残る一方で、発想の由来は確かめようがないとされています。この記事では、年代順に主な作品を紹介したうえで、その説を一つずつ検証します。
基本情報
- 生没年:1909年(明治42年)6月19日〜1948年(昭和23年)6月13日(38歳)
- 出身:青森県北津軽郡金木村。本名は津島修治
- 時代:昭和時代。戦後は坂口安吾らとともに「無頼派」と称された
- 経歴:弘前高等学校を経て1930年に東京帝国大学仏文科に入学したが、除籍された。1933年に『列車』で「太宰治」の筆名を初めて使った
- 代表作:『人間失格』『走れメロス』『斜陽』『津軽』『ヴィヨンの妻』『富嶽百景』『女生徒』など
- 墓所:東京都三鷹市の禅林寺
太宰治の有名作品と初期の名作を年代順に解説
初期:『晩年』『道化の華』(1930年代前半〜中ごろ)
太宰は1933年の『列車』でデビューし、同年に同人誌『海豹』創刊号へ『魚服記』を載せました。1935年には『逆行』が第1回芥川賞の候補になりましたが、受賞したのは石川達三の『蒼氓』で、落選しています。
同じ1935年5月に『日本浪曼派』へ発表した『道化の華』は、佐藤春夫が「及第点」と評した作品です。主人公の名は大庭葉蔵で、のちの『人間失格』の主人公と同じ名前です。翌1936年6月には、処女短編集『晩年』が砂子屋書房から出ました。『魚服記』や『ロマネスク』(1934年、同人誌『青い花』)といった初期の作品は、広く読まれる代表作に比べて名前を知られていませんが、太宰の出発点を知るには外せません。
1939〜1941年:『女生徒』『富嶽百景』『駈込み訴へ』『走れメロス』『東京八景』
1939年1月に石原美知子と結婚してから、1941年ごろまでに、今も読まれる短編が続けて生まれました。
- 『富嶽百景』:1939年2・3月の『文体』に発表。太宰は1938年9月、山梨県の御坂峠にある天下茶屋を訪れました。作品には、語り手が当初は富士山を絵に描いたようで嫌っていたのに、人との出会いや自分の内省を経て見方を変えていく様子と、のちの妻との見合いが描かれます。
- 『女生徒』:1939年4月の『文學界』に発表。14歳の少女が朝起きてから眠るまでを独白で綴る作品で、1938年9月に19歳の読者・有明淑が太宰に送った日記が元になっています。川端康成は「この女生徒は可憐で、甚だ魅力がある。」と評しました。第4回北村透谷賞では次席でした。
- 『駈込み訴へ』:1940年2月の『中央公論』に発表。イスカリオテのユダの心の葛藤を描きます。
- 『走れメロス』:1940年5月の『新潮』に発表。同年6月15日に河出書房から出た『女の決闘』にも収められました。
- 『東京八景』:1941年1月の『文學界』に発表され、単行本は同年5月に出ました。
この時期には『葉桜と魔笛』『皮膚と心』『千代女』のような女性の一人称の作品や、『畜犬談』のようなユーモア作品も書かれています。暗い作家という印象だけでは捉えきれない幅があることが分かります。
戦時中:『津軽』『新釈諸国噺』『お伽草紙』
『津軽』は1944年11月15日に小山書店から出ました。小山書店の「新風土記叢書」の一冊として書かれ、太宰は同年5月12日から6月5日まで津軽地方を旅して取材しました。語り手が故郷の金木に帰り、青森、蟹田、三厩、竜飛、深浦、小泊などを巡って懐かしい人々と会う紀行風の小説です。
幼いころ子守をしてくれたタケを小泊村に訪ね、運動会の日に約25年ぶりに再会する場面があり、旅の終わりに「平和とは、こんな気持の事を言ふのであらうか」と思う結びでも知られます。同じ時期には、『新釈諸国噺』(1944〜1945年)、1945年10月に筑摩書房から出た『お伽草紙』が発表されました。
戦後:『ヴィヨンの妻』『斜陽』『人間失格』『桜桃』『グッド・バイ』
1947年から1948年にかけて、太宰は流行作家になりました。
- 『ヴィヨンの妻』:1947年3月の『展望』に発表。女性一人称の作品として知られます。
- 『斜陽』:1947年7月から10月まで『新潮』に4回連載され、同年12月15日に新潮社から刊行されました。初版は1万部で、版を重ねてベストセラーになりました。没落していく上流階級の人々を指す「斜陽族」という流行語を生み、「斜陽」という語に「没落」の意味が国語辞典で加えられるほど広まったとされます。華族制度の廃止で没落した母と娘のかず子、戦地から戻った弟の直治、小説家の上原二郎らが登場します。
- 『人間失格』:1948年6〜8月の『展望』に連載され、7月25日に筑摩書房から『グッド・バイ』と合わせて単行本になりました。「はしがき」「第一の手記」「第二の手記」「第三の手記」「あとがき」の5部構成で、手記は大庭葉蔵のものとされます。
- 『桜桃』:1948年7月に実業之日本社から単行本で出ました。
- 『グッド・バイ』:朝日新聞に1948年6月21日から載った未完の遺作です。
有名作品をめぐる説を検証:『人間失格』『走れメロス』『斜陽』
『人間失格』は勢いで書かれた遺書なのか
『人間失格』は、太宰が1948年3月に書き始め、4月29日から大宮市大門町の藤沢方に滞在して、5月に脱稿しました。その約1か月後の6月13日に太宰が山崎富栄と玉川上水で亡くなったため、この作品は「遺書」のように受け止められてきました。
長く信じられてきたのは、勢いにまかせて一気に書かれたという見方です。しかし1998年に遺族が公開した157枚の草稿には推敲の跡が多く見られ、この見方は見直されました。構想も遺作の直前に始まったわけではなく、1940年の『俗天使』に「『人間失格』という題にするつもりである。」という記述があります。主人公の「大庭葉蔵」という名は、前述のとおり1935年の『道化の華』にも出てきます。
もう一つの俗説が「自伝そのもの」という読み方です。体裁は私小説の形をとったフィクションで、主人公の過去には太宰自身の人生が色濃く反映されたと思われる部分があり、自伝的とも考えられています。ただし太宰の死後、どこまでが事実なのかは分からない部分が多いとされています。第一の手記の初期原稿では一人称が「私」でしたが、途中で「自分」に書き直されたことも分かっています。
『走れメロス』は熱海での出来事から生まれたのか
『走れメロス』の物語は、羊飼いのメロスが暴君ディオニス王に怒って王殺しを決意し、捕らえられて、友人セリヌンティウスを人質に残して妹の結婚式のために村へ戻る、というものです。豪雨で壊れた橋や山賊、疲労を乗り越えて走り、処刑の直前に間に合います。
創作の発端については、太宰の友人だった作家が回想『小説 太宰治』の中で、熱海での出来事が重要な心情の発端ではないかと述べています。一方、研究者の中には、その見解はあっても太宰の発想の由来は確かめようがないとする人もいます。つまり「熱海の出来事が元」は一つの見方にとどまり、断定はできません。
典拠は作品の末尾に「古伝説と、シルレルの詩から」と明記されています。古伝説は「ダーモンとピンチアース」を指すとされ、直接の材源はシラーの詩『Die Bürgschaft』です。調査では、日本語訳の『人質』を下敷きにし、訳文をほぼそのまま取り込んだ箇所もあるとされます。もとは古代ギリシアのピュタゴラス派の友情譚で、2世紀のヒュギヌスが登場人物をメロスとセリヌンティウスに改め、3日間の猶予、妹の婚礼、洪水、磔刑といった要素を加えたと整理されています。元の伝説は事実の報告に近く、心理描写や走る場面はありません。太宰は人間の弱さや心理、ユーモアを加えて、友情や信実の物語を人間味のあるものにしたと評価されます。
『斜陽』『津軽』『女生徒』は事実をどこまで写したのか
太宰の作品には、現実の素材が入っているものが多くあります。ただし、そのまま事実とは限りません。
- 『斜陽』:主人公かず子のモデルは、太宰が交際していた太田静子で、その日記を参考にし、箇所によってはほぼそのまま書き写したことが、静子の娘の太田治子によって明かされています。太宰は疎開先の津島家(生家)の没落を、チェーホフの戯曲『桜の園』になぞらえ、農地改革で人の出入りが減った生家を見て「『桜の園』そのままではないか」と繰り返し言っていたとされます。
- 『津軽』:研究によれば、作中の竜神様の場面でタケと言葉を交わした事実はないとされ、フィクションを織り交ぜた作品と考えられています。それでも、紀行風小説の傑作であり、自伝的小説として評価されています。
- 『女生徒』:読者から送られた日記が下敷きですが、14歳の少女の一日の独白として組み替えられています。
実在の素材があることと、作品が事実の記録であることは別です。日記や旅の体験を材料にしながら、太宰が小説として組み立てています。
『グッド・バイ』が明るい喜劇になった理由
未完の遺作『グッド・バイ』は、1948年3月初め、朝日新聞東京本社の学芸部長・末常卓郎が連載を依頼したのが始まりです。太宰にはすでに、美男子が十人ほどの女性と一人ずつ別れていく「逆ドン・ファン」の着想があったとされます。『人間失格』を脱稿した後の5月15日に書き始め、5月下旬までに第10回分まで渡しました。6月13日に亡くなったとき、第11〜13回の原稿が残されていました。
あらすじは、雑誌編集者の田島周二が、闇商売で稼ぎ、愛人を十人近く抱えているという噂もありましたが、家族を呼び寄せて暮らすために愛人たちと別れようと決め、美しい女性に妻のふりをしてもらって一人ずつ訪ねる、というものです。「作者の言葉」では、唐詩の一句と、それを「サヨナラ」ダケガ人生ダと訳した先輩作家の訳に触れています。題名の意味を作者が直接説明した文は資料にないため、「自分の人生への別れを込めた」といった読み方は、あくまで推測にとどまります。
どの作品から読むか
ここからは私の意見です。短く読めて入りやすいのは『走れメロス』と『富嶽百景』、人間の内面を深く読みたいなら『人間失格』、戦後の空気を知りたいなら『斜陽』と『ヴィヨンの妻』だと考えます。太宰の幅を知りたいなら、『お伽草紙』や『畜犬談』のようなユーモアのある作品を間に挟むと、「暗い作家」という印象が変わります。
ゆかりの地と関連する人物
- 禅林寺(東京都三鷹市下連雀):太宰の墓があります。森鷗外の墓の向かい側にあり、太宰は鷗外を尊敬しており、自らの希望で墓を建てたとされます。隣には夫人の津島美知子の墓があります。命日は6月13日ですが、遺体が見つかった6月19日(太宰の誕生日)に、今官一が名付けた「桜桃忌」が毎年行われ、多くの人が墓を訪れます。
- 斜陽館(青森県五所川原市金木町):太宰の生家で、記念館として公開されています。名は『斜陽』にちなむとされます。開館時間などは、訪れる前に公式の案内で確かめてください。
- 天下茶屋(山梨県の御坂峠):『富嶽百景』の舞台で、太宰が1938年9月に訪れました。
- 関連する人物:『走れメロス』の材源をたどるとシラーに行き着きます。ほかに、戦後に太宰とともに無頼派と称された坂口安吾、『女生徒』を評した川端康成、『道化の華』を評した佐藤春夫がいます。
よくある質問
太宰治の一番有名な作品はどれですか?
数字で挙げやすいのは『人間失格』で、新潮文庫だけで累計670万部を超えたとされます。教科書での知名度では、中学校の国語教材として長く採用されてきた『走れメロス』です。
『人間失格』は遺書として書かれたのですか?
脱稿の約1か月後に亡くなったため遺書のように受け止められてきましたが、構想は1940年の『俗天使』に題名の予告があり、1998年公開の草稿には推敲の跡が多いことが分かっています。勢いで書かれたという見方は見直されています。
『走れメロス』に元ネタはありますか?
末尾に「古伝説と、シルレルの詩から」と明記されています。古代ギリシアの友情譚と、シラーの詩が材源です。熱海での出来事が発想の発端だとする見方もありますが、由来は確かめようがないとされています。
桜桃忌とは何ですか?
毎年6月19日に行われる、太宰を偲ぶ会です。太宰の遺体が見つかった日で、誕生日でもあります。今官一が名付けました。






