結論:「舞姫」は、出世と愛の間で決断できなかった男の手記
「舞姫」は、1890年(明治23年)1月号の『国民之友』に載った森鴎外の短編小説です。鴎外の創作小説の第一作にあたります。ドイツ留学を終えて帰国する船の中で、主人公の太田豊太郎が、ベルリンで出会った踊り子エリスとの過去を書き記す形で進みます。
結末では、豊太郎が昏睡している間に友人の相沢謙吉が真実を伝え、エリスは発狂します。豊太郎は友を得難い人だと認めながら、彼を憎む心が今も残っていると語って、手記は終わります。
エリスにはモデルとされるドイツ人女性がいます。ただし、作中の発狂は創作とされています。以下、あらすじ、登場人物、モデルの話、文学史上の位置づけの順に整理します。
基本情報
- 作者:森鴎外(1862年2月17日〈文久2年1月19日〉生、1922年〈大正11年〉7月9日没、満60歳)。石見国津和野の生まれ
- 作品:短編小説「舞姫」。1890年(明治23年)1月、『国民之友』に発表
- 刊本:『美奈和集:完』(春陽堂、1906年)に収録。単行の刊本は1907年2月に彩雲閣から刊行
- 舞台:ドイツ(ベルリン)とロシア
- 位置づけ:「うたかたの記」「文づかひ」とあわせて「独逸三部作(ドイツ三部作)」と呼ばれる。鴎外初期の代表作
- 時代:作者が亡くなったのは大正時代。作品の発表は明治時代
「舞姫」のあらすじを順を追って解説
船上の手記から始まる物語
物語は、帝国へ帰る途中の船がサイゴンに寄港している場面から始まります。主人公の太田豊太郎は、苦しい気持ちを消すために、ベルリンでの出来事を書き残そうとします。つまり全体が、過去を振り返る一人称の手記です。
豊太郎の生い立ちとベルリン留学
豊太郎はひとりっ子で、父を早くに亡くしました。母の期待に応えて学業に励み、法学部を出て某省に勤めたのち、官命でベルリンに派遣されます。その地で豊太郎は、これまで自分が受け身で、機械のように生きてきたことに気づきます。
エリスとの出会いと免官
ある日、豊太郎は教会の前で泣いている少女エリスに出会います。ヰクトリア座の踊り子で、貧しい家庭に育った彼女のために、父の葬儀代を工面しました。その後も二人の交流は続きます。
ところが、同郷の人物がこの仲を官長に告げ口し、豊太郎は免官されます。そのすぐ後に、母の死の知らせが届きました。豊太郎は新聞社の通信員の職を得て、エリスとその母の住まいに同居し、愛を深めていきます。
相沢謙吉の登場と帰国の決断
やがて、友人の相沢謙吉が天方大臣の秘書官としてベルリンに現れます。相沢は豊太郎を大臣に引き合わせ、翻訳の仕事につなぎます。同時に、エリスとの仲を断つよう助言しますが、豊太郎はそれを守れません。エリスは妊娠し、劇場を除籍されます。
豊太郎は大臣のロシア行きに随行して活躍し、語学力を評価されます。その後、大臣から帰国を勧められ、受け入れてしまいます。帰り道、豊太郎は公園のベンチで倒れ、雪の中を歩いて家へ戻ったのち、人事不省になります。
エリスの発狂と結末
豊太郎が意識を失っている間に、相沢がエリスに事の次第を伝えます。エリスは発狂し、赤子のような状態になります。医師は「パラノイア」と診断し、回復の望みはないと告げました。豊太郎は、相沢と相談してエリスの母に生活費を渡し、帰国の途につきます。
登場人物と主要テーマの考察
太田豊太郎:決断できない主人公
豊太郎は学業で常に首位だった秀才です。しかし作中で彼は、自分が人に言われるまま生きてきたと気づきます。エリスとの関係でも、相沢の助言にも、大臣の勧めにも、自分で決めるより流されていく姿が目立ちます。
発表の1890年には、帝国大学法科の学生だった石橋忍月が、まさにこの主人公の意志の弱さを批判しました。読者がこの人物に苛立つ点は、発表当時から変わっていません。
エリス:助けられた少女が背負う結末
エリスは貧しい家に育ち、豊太郎に助けられて親しくなります。劇場を除籍され、妊娠し、最後には正気を失います。物語の中で、一番大きな代償を払うのは彼女です。
相沢謙吉:国家の側に立つ友人
相沢は大臣の秘書官で、豊太郎を大臣の仕事につなぎ、帰国の道を開く人物です。豊太郎に恩恵をもたらす一方で、エリスには真実を告げる役を担います。手記の最後で豊太郎は、相沢を得難い友人と言いながら、憎む心が残っていると語ります。この矛盾した感情が、読み終えた後も尾を引く理由の一つです。
私は、相沢が「国家に戻る道」を象徴する存在だと読みます。これは資料にある定説ではなく、あくまで私の解釈です。
成立背景とエリスのモデル、論争の行方
鴎外のドイツ留学と「舞姫」
鴎外は1884年8月に横浜から出国し、同年10月にベルリンに入りました。留学は約4年間で、1888年7月にベルリンを発ち、同年9月8日に横浜港へ着いています。「舞姫」はこの留学経験を生かした作品です。
ベルリンには、鴎外が留学中に暮らした居室を、当時の状態をとどめて公開する森鷗外記念館があります。
エリス来日事件
鴎外が帰国して数日後の1888年9月12日、ドイツ人女性が来日しました。約1か月滞在し、10月17日に日本を離れています。この出来事は「舞姫」の素材の一つとされ、「エリス来日事件」と呼ばれます。
1981年には、乗船名簿から「Elise Wiegert」という名前が見つかりました。その後、モデルについては、エリーゼ・マリー・カロリーネ・ヴィーゲルトとする説、アンナ・ベルタ・ルイーゼ・ヴィーゲルトとする説、妹のクララとする説などが出ています。このうち最初の説は、研究者から評価されています。決定的に一人に絞れたわけではないため、断定はできません。
なお、作中のエリスの発狂は、フィクションとされています。豊太郎のモデルも、鴎外自身とされるほか、軍医の武島務の生涯が投影されているという説があります。
石橋忍月との「舞姫論争」
1890年、石橋忍月は「気取半之丞」の筆名で、主人公の意志の弱さを批判しました。鴎外は『しがらみ草紙』に、相沢謙吉の名を使って「気取半之丞に与ふる書」を発表し、反論しました。最終的には忍月が筆を絶って、論争は終わっています。この論争は、最初の本格的な近代文学論争とされています。
高雅な文体と、教材としての「舞姫」
「舞姫」は、高雅な文体と浪漫的な内容を特徴とする作品と評されます。1957年には高等学校の国語科の教材として採用され、60年以上、定番の教材であり続けています。
ゆかりの地と関連する人物
- 森鷗外記念館(ベルリン):留学時の居室を、当時の状態をとどめて公開している
- 森鷗外生家(島根県津和野町):鴎外の生まれ故郷にある史跡
- 森鷗外旧居(北九州市小倉北区)
- 墓所:禅林寺(東京都三鷹市)と永明寺(島根県津和野町)。当初は東京の弘福寺に埋葬されたが、関東大震災後に改葬された
- 石橋忍月:「舞姫」を批判し、論争を起こした人物
「舞姫」は、映画(1989年、篠田正浩監督)、アニメ(1986年)、宝塚歌劇の舞台、ゲーム『サクラ大戦3』など、さまざまな形に翻案されています。
よくある質問
「舞姫」は何年に発表されましたか?
1890年(明治23年)1月号の『国民之友』に発表されました。鴎外の創作小説の第一作です。
エリスにモデルはいますか?
鴎外の帰国直後の1888年にドイツ人女性が来日しており、この出来事が素材の一つとされています。乗船名簿に「Elise Wiegert」の名前が見つかっており、複数の説があるため、一人には絞れていません。
エリスが発狂する結末は実話ですか?
作中の発狂はフィクションとされています。
「ドイツ三部作」とは何ですか?
ドイツを舞台にした「舞姫」「うたかたの記」「文づかひ」の3作をまとめた呼び名です。
石橋忍月との論争は何を争ったのですか?
忍月が主人公の意志の弱さを批判し、鴎外が相沢謙吉の名で反論しました。最初の本格的な近代文学論争とされています。




