【平賀源内はゲイ】その真相と魅力に迫る!

「平賀源内はゲイ」というフレーズで検索している読者は、おそらく江戸時代の奇才・平賀源内の多彩な功績だけでなく、その奔放な男色(男性同性愛)事情にも興味をもっているのだろう。最近ではNHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』(2025年放送)において、平賀源内が「男一筋」と堂々とセリフで語られるなど、ドラマでも男色家としてしっかりと描かれる場面が話題となっている。

実は、江戸時代において男色や若衆好みは特別なことではなかった。武士の嗜みとまで言われ、庶民にまで広く浸透していた風習でもある。つまり現代の価値観だけで「えっ、平賀源内ってゲイだったの?」と驚くのは、少しばかり時代背景を見落としているかもしれない。そこで本記事では「なぜ平賀源内が男色を好んだと言われるのか?」を中心に、江戸時代の男色文化の背景、そして源内の人となりについて丁寧に紐解いていく。

この記事を読めば、「そもそも江戸時代の同性愛ってどんなもの?」「どうして『平賀源内はゲイ』だと広く語られるようになった?」「彼のゲイライフ(?)と研究者・発明家としての多彩な才能はどこで交わっていたのか?」といった疑問が一挙に解消できるだろう。さらに、同時代のほかの男色家や江戸文化の多様性にも触れることで、当時の日本の自由闊達な雰囲気を存分に感じられるはずだ。

それでは、「平賀源内はゲイ」というテーマを軸に、約300年前の江戸を彩ったスキャンダラスな天才に迫っていこう。

1. 「平賀源内はゲイ」説は本当か?――史料から紐解く男色事情

まず結論を言うと、「平賀源内はゲイ」だったという説は、かなり高い信憑性をもって語られている。 例えば、平賀源内が著したとされる『男色細見』(一説には『根南志具佐(ねなしぐさ)』とも)という書物。これは江戸に存在した男娼茶屋(いわゆる陰間茶屋)の案内書で、店ごとに若い男娼たちの特徴やルックスなどが克明にリストアップされている。

さらに、同時代から“源内は二代目瀬川菊之丞という人気女形歌舞伎役者と恋人同士であった”と噂されていた。男色に関する洒落本や戯作を数多く残している点からも、源内が男色家であったことはほぼ疑いの余地がないといっていい。江戸っ子たちの間でも、源内が「若衆好き」「女にはあまり興味なし」というイメージが定着していたようだ。

なぜ「平賀源内はゲイ」と広く知られるようになったのか

  • 当時の資料に源内の男色趣味を示唆する言及が多数ある
  • 有名人(歌舞伎役者など)との男色関係が噂になり、都市伝説的に語られた
  • 源内自身が執筆したと思われる男色ガイドブックの存在
  • 近年の研究やエッセイ、NHKドラマなどで堂々と描かれるようになった

こうした要素が合わさって、「平賀源内はゲイ」というのは歴史好きの間ではわりと常識的に知られている。もっとも江戸時代の男色は現代と比べると感覚や文脈が違うので、「ゲイ」と呼ぶかは議論の余地がある。しかし、そこはあえて現代的な言い方で表現すれば「平賀源内はゲイだった」という理解で問題ないだろう。

2. 江戸時代の男色文化――現代とは違う“ライト”な感覚

そもそも江戸時代の日本では、男性同士の性的関係は武士や僧侶の間を中心に“当たり前”に行われていた。戦国時代まで遡れば、有名武将が小姓を可愛がったり、衆道(しゅうどう)としての男色を嗜む話は歴史好きならよく知るところ。徳川幕府による太平の世が続いた江戸時代でも、その文化は武士から町人階層まで広く受け入れられていた。

男色は“武士のたしなみ”でもあった

  • 武士が若衆(家臣や小姓)に指南して愛を育むのは、一種の美徳とされた
  • 江戸では男娼が集う陰間茶屋(いんまちゃや)が多数存在
  • 歌舞伎界では「若衆歌舞伎」が人気となり、美少年役者がアイドル的存在に

現代の価値観で見ると、男性同士の恋愛を公言することには勇気がいるし、偏見や差別も多い。しかし江戸時代の男色はもっとライトな感覚で受容されていた。むしろ「女性と遊ぶより男同士のほうが気楽だ」なんて感覚もあったようだ。

もちろんすべての人が公然と「ゲイです」と言っていたわけではないが、少なくとも「平賀源内はゲイ」と言われても「とんでもない異常者だ」というより、「へえ、あの才人は男好きだったのか」という程度の受け止め方だったと言われる。これが江戸という時代の面白いところである。

3. 平賀源内が愛した男たち――有名歌舞伎役者との噂

「平賀源内はゲイ」と語るとき、必ず出てくる名前が二代目瀬川菊之丞だ。瀬川菊之丞は女形の人気歌舞伎役者で、端正な顔立ちとしなやかな演技で多くのファンを魅了していたという。彼は舞台の上だけでなく、いわゆる“男娼としても身体を売っていた”という言説がある。実際、当時の歌舞伎役者は舞台の合間に太客(お金をたくさん落としてくれる客)を取って稼ぐことが当たり前だった。

瀬川菊之丞との関係

  • 江戸の町では「源内と菊之丞は恋人関係だ」という噂が立つ
  • 源内が菊之丞を寵愛し、支援していたとされる
  • 菊之丞は他の殿方とも浮名を流したが、源内との仲は特に有名だった

また、源内は他の若衆たちとも関係を持っていたとも伝わる。江戸の陰間茶屋には、たくさんの若い男娼がいた。その美貌や芸事を競い合う世界には、源内のようにとにかくイケメンを漁っていた(?)とも形容されるほどの“沼”が広がっていたという。彼は実際に『男色細見』なるガイドブックにおいて、東京(江戸)だけでなく京都や大阪の男娼たちをも克明に紹介していたらしく、これはいまの「ゲイマップ」「ゲイガイド」的な感覚に近いものと考えると非常に面白い。

4. 平賀源内の多彩な才能――発明家・作家・洒落本の名手

「平賀源内はゲイ」という一面だけに注目すると、ただの男色家かと思われがちだが、実際には江戸きってのスーパーマルチ人材である。エレキテルの修理や数々の戯作、鉱山開発への関与、本草学者としての業績など、その肩書を挙げ始めるとキリがない。彼の代表的な活躍をざっとまとめてみよう。

本草学者としての顔

  • 植物や鉱物などを研究し、博物誌『物類品隲(ぶつるいひんしつ)』を編纂
  • 長崎へ遊学してオランダ由来の学問もかじる
  • 各地の物産や薬草を調査し、江戸で“物産会”の開催を提案・実施

発明家・科学者としての顔

  • エレキテルを「発明」したわけではなく、海外製のものを修理・改良した
  • 静電気を使った実験ショーを披露し、お金を稼いだ
  • 火浣布(燃えにくい布)を紹介し、話題になる
  • ただし資金繰りは下手で、結局生活は困窮しがちだったという

文筆家・作家としての顔

  • 洒落本や戯作、さらに浄瑠璃の台本も執筆
  • 『放屁論』などユーモア全開の奇書を多数執筆(放屁パフォーマーの描写などぶっ飛んだ世界観で有名)
  • 男色を扱った洒落本も手がけ、自身の嗜好をにじませた

彼の文筆スタイルはとにかく破天荒で、学問的な真面目さとおどけたユーモアが混在している点が魅力といえる。『放屁論』のくだりでは、「屁の音で三番叟を奏でる男がいる」など、読んでいるだけで笑い転げそうな描写が満載。

5. 「べらぼう!」の一言でわかる源内の破天荒エピソード

NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』では、平賀源内の口癖として「べらぼうめ」などの小気味いい江戸言葉が印象的に描かれている。実際、「べらぼう」は源内が江戸で口癖のように使ったとされる言葉だ。

ここでは、その破天荒ぶりが垣間見えるエピソードをいくつか紹介しよう。

  1. 自宅を“電気ショー会場”に改装
    修理したエレキテルで静電気実験を披露。強力な静電気に驚く見物客は多かったが、ブームは一瞬で去り、すぐに経済危機に陥る。
  2. 鉱山開発師として各地を飛び回るも失敗続き
    鉱脈調査や地方の特産品を発掘するのが得意だったが、出資者との契約トラブルや詐欺まがいの揉め事にも巻き込まれたようだ。
  3. 吉原細見の序文を頼まれ、芸者の話より男娼の話を喜々として語る
    蔦屋重三郎(蔦重)から受けた依頼で吉原のガイドブックに序を書いたが、実は源内が詳しかったのは“女郎”よりも“若衆”のほうというオチだったとか。
  4. 『放屁論』の熱烈な執筆
    放屁パフォーマーを追いかけ回し、その様子をユーモラスに描写。屁の音を「雷」と同格に語るなど、とにかく型破りなアイデアに満ちている。

「べらぼう」な性格と男色嗜好の相乗効果?

源内の破天荒な言動や作品には、固定観念をぶち壊すパワーを感じる。男色を隠すことなく奔放に生きたからこそ、人と違う視点で世の中を見ていたのかもしれない。オスカー・ワイルドや三島由紀夫など、同性愛を公言した芸術家たちも独自の感性で世界を変えたが、平賀源内もまさにその元祖といえる存在ではないだろうか。

6. 男色だけではない!?波乱に満ちた生涯と最期

「平賀源内はゲイ」といわれると、つい同性愛関連の逸話に目が行きがちだが、その人生は愛と笑いだけでなく、かなり悲惨な最期を迎えていることも忘れてはならない。彼は1779年(安永8年)に、久五郎・丈右衛門らと酒の席で口論になり、激昂して切りつけてしまう。結果的に久五郎は死亡。源内は殺人未遂(結果的には殺人)で逮捕され、牢獄で破傷風を患い、そのまま刑死扱いで獄死した。

罪人として死んだため墓も質素

  • 生前の華やかなイメージとは裏腹に、墓所は地味にひっそりしている
  • 彼自身も、軽率な衝動で人生を台無しにしてしまったことを嘆いたと伝わる
  • 破傷風は当時の医療では治療が難しく、あっという間に命を落としてしまった

事件の背景には、源内が盗難疑惑に激昂したが、実際は「盗まれた」と思い込んでいた書類が後から見つかったという悲惨なオチがある。自らの早とちりが招いた悲劇としかいいようがない。まさに天才と狂気は表裏一体。彼の死後、その才能はますます評価されるようになり、現在に至るまで「奇才の象徴」「べらぼうな男の代表」として語り継がれているわけである。

7. まとめ:「平賀源内はゲイ」で見えてくる江戸の多様性

以上を総括すると、「平賀源内はゲイ」というテーマは、単に“奇人のスキャンダル”ではなく、江戸という時代の男色文化や多様な生き方を知る重要な視点を与えてくれる。武士や町人、芸能界(歌舞伎)をはじめ、男性同士の愛がライトに受容される土壌があったからこそ、源内のような破天荒な男色家が注目を浴び、愛されもしたのだ。

  • 江戸時代の男色は現代ほど特別視されなかった
    →「ゲイ」というより「衆道」と呼ばれ、むしろ武士の嗜みだった
  • 平賀源内は男娼茶屋や美少年役者をこよなく愛し、男色洒落本を著した
    →たしかに「ゲイ」と呼ぶのが妥当
  • 同性愛者であることが、彼の天才的な発想や自由な行動と無縁ではない
    →既成概念に捉われないクリエイティビティを生んだ可能性が高い
  • ただし最期は悲惨な事件に巻き込まれ、牢獄で破傷風により死亡
    →天才ならではの短気や激情が不幸につながった

源内のエピソードを振り返ると、現代のLGBTQ問題にも通じる「性の多様性」「社会の受容度」といったテーマが見え隠れする。江戸時代は現代と比べると科学技術や人権の発達は未熟だったかもしれないが、一方で“人間同士の結びつき”は意外なほど寛容で、自由で、型破りだったのだ。まさに「べらぼう」な面白さが江戸にはあったと感じられる。