結論:死因は肺結核。1896年に24歳6か月で亡くなった
樋口一葉の死因は肺結核です。1896年(明治29年)11月23日、本郷区丸山福山町の自宅で亡くなりました。享年は24歳6か月です。
この年の8月には、森鷗外が遣わした医師が往診し、回復の見込みはないと診断したとされています。当時、肺結核には治療法がありませんでした。
一葉は17歳で父を亡くして家を背負い、借金を抱えたまま執筆を続けました。長兄の泉太郎も、1887年に同じ肺結核で亡くなっています。
基本情報
- 名前:樋口一葉(本名は樋口奈津)
- 生没年:明治5年3月25日(1872年5月2日)〜明治29年11月23日(1896年)
- 時代:明治時代
- 立場:小説家。和歌の塾「萩の舎」で学んだ
- 死因:肺結核
- 死没地:本郷区丸山福山町(現在の東京都文京区西片1丁目)
- 代表作:『大つごもり』『にごりえ』『十三夜』『たけくらべ』など
樋口一葉の死因は肺結核:診断から最期まで
1896年8月、森鷗外が医師を遣わした
一葉の病状が深刻になった1896年の8月、斎藤緑雨が森鷗外に依頼し、鷗外が医師の樫村清徳、青山胤通らを往診に向かわせました。診断は、回復の見込みがないというものでした。
鷗外は同人誌『めさまし草』で、幸田露伴とともに一葉を高く評価した人物です。一葉の死因について、Wikipedia は、治療法のなかった肺結核が進行していたと記しています。発病した時期は、参照した資料に書かれていません。
11月23日、丸山福山町の自宅で亡くなる
一葉は同年11月23日に、住んでいた丸山福山町の家で亡くなりました。この家は、うなぎ屋の離れにあたる建物で、6畳2間と4畳半の3間があったと文京区の解説にあります。
一葉は1894年にこの地へ移りました。『にごりえ』をはじめ、『大つごもり』『十三夜』『たけくらべ』など代表作の多くは、この時期を含む前後に生まれたと文京区の解説にあります。
葬儀は築地本願寺で、身内のみ
葬儀は11月25日、築地本願寺で営まれました。参列したのは身内十数人で、質素な式だったとされています。
鷗外は一葉の死を惜しみ、陸軍軍医の正装で騎馬のまま棺に従うことを申し出ました。遺族は、これを丁重に断ったと伝えられています。墓所は現在、杉並区永福の築地本願寺和田堀廟所にあります。
肺結核との関わり:家族の死、借金、「奇跡の14か月」
長兄の死と、父が残した借金
一葉の家では、1887年(明治20年)12月に長兄の泉太郎が肺結核で亡くなっています。1889年(明治22年)7月には、父の則義が借金を残して亡くなりました。一葉は当時17歳で、樋口家を背負う立場になりました。
その後は針仕事や賃仕事で生計を立てましたが、収入は足りず、借金を重ねる暮らしが続いたと伝えられています。
竜泉寺町の荒物・駄菓子店
1893年(明治26年)7月、一葉は吉原遊郭に近い下谷龍泉寺町(現在の台東区竜泉)で、荒物と駄菓子を売る雑貨店を開きました。生活を立て直すための試みでしたが、翌年1月に近所に同じ商売の店ができて苦しくなり、5月に店を引き払って丸山福山町へ移りました。
文京区の解説は、竜泉での暮らしを約10か月としています。この経験は『たけくらべ』の題材になったとされています。
小説で稼ぐために
一葉は、田辺花圃が小説で原稿料を得たことを知り、小説家を目指したとされます。初めて得た原稿料は『うもれ木』の11円50銭で、そのうち6円は借金の返済に充てられました。
のちに和田芳恵は、『大つごもり』から『裏紫』までの期間を「奇跡の14か月」と呼びました。この間に、『にごりえ』『十三夜』『たけくらべ』などが発表されています。
貧困と病の関係をどう考えるか
資料に書かれていること、書かれていないこと
一葉の生活が貧しかったことは、資料から確かめられます。一方、栄養状態や住まいの衛生が発病の原因になったかどうかは、参照した資料に書かれていません。そのため、この記事ではその因果を断定しません。
確かめられるのは、同じ家の長兄が同じ病で亡くなっていること、一葉が借金を背負って働き続けたこと、そして亡くなったときに治療法がなかったことです。
よくある誤解:「奇跡の14か月」は病の期間ではない
「奇跡の14か月」は、あくまで作品を次々に発表した時期を指す呼び名です。病気の期間を表す言葉ではありません。Wikipedia は作家生活を「14か月余り」とも「1年2か月」とも書いており、数え方に幅があります。
五千円札の肖像になった一葉
一葉は、2004年11月1日発行分から五千円札の肖像に採用されました。亡くなってから100年以上たっても、日本を代表する作家として広く知られていることがうかがえます。
ゆかりの地と関連する人物
ゆかりの地
- 樋口一葉終焉の地(文京区西片1丁目):自宅跡に記念碑が建てられており、平塚らいてうの筆によるものと文京区の解説にあります
- 台東区立一葉記念館(台東区竜泉):1961年開館。「たけくらべ」の舞台となった下谷龍泉寺町にあり、女性作家の単独資料館としては日本初とされています
- 山梨県立文学館:一葉に関する国内有数のコレクションを持つとされています
- 築地本願寺和田堀廟所(杉並区永福):一葉の墓所です
関連する人物
- 森鷗外:医師の往診を手配し、一葉の死を惜しんだ人物です
- 邦子(くに):妹。一葉の草稿や日記の保存と出版に尽力し、1926年に亡くなりました
- 中島歌子:和歌の塾「萩の舎」を開いた人物で、一葉は1886年に入門しました
- 半井桃水:一葉が1891年に師事した小説家。のちに交際の噂が広まり、1892年に絶交しています
よくある質問
樋口一葉は何歳で、何の病気で亡くなりましたか。
1896年11月23日、24歳6か月で肺結核のため亡くなりました。場所は本郷区丸山福山町の自宅です。
診断した医師は誰ですか。
1896年8月、森鷗外の手配で樫村清徳、青山胤通らが往診しました。診察した医師がほかにもいた可能性があると、Wikipedia は「ら」と記しています。
家族にも結核の人はいましたか。
長兄の泉太郎が、1887年12月27日に肺結核で亡くなっています。
葬儀や墓はどこですか。
葬儀は1896年11月25日に築地本願寺で行われました。墓所は現在、杉並区永福の築地本願寺和田堀廟所です。
一葉記念館はどこにありますか。
台東区竜泉にあり、1961年に開館しました。「たけくらべ」の舞台となった地域です。
ほかの人物についても知りたいときは、歴史上の人物の死因一覧から探せます。





