福沢諭吉 日本史トリビア

結論:福沢諭吉の旧一万円札は今も有効で、額面を超える価値がつくのは一部だけ

福沢諭吉の一万円札には、1984年11月1日に発行が始まったD号券と、2004年11月1日発行のE号券の2種類があります。2024年7月3日に渋沢栄一の新券が出たあとも、日本銀行は「一度発行された銀行券は、法令に基づく特別な措置がとられない限り通用力を失わない」と説明しており、福沢券は額面どおり使えます。

肖像に選ばれた理由は、D号券から文化人が採用されるようになり、福沢が啓蒙思想家として選ばれたことです。額面を超える価値がつくかどうかは、記番号や印刷の状態しだいで、多くの福沢券は額面で扱われます。

基本情報

  • 人物:福沢諭吉(天保5年12月12日〜明治34年2月3日、1835年1月10日〜1901年2月3日。66歳で没)
  • 時代・立場:幕末から明治時代の啓蒙思想家。慶應義塾の創設者として知られる
  • D号券:様式制定1984年6月25日、発行開始1984年11月1日。裏面は雉のつがい
  • E号券:様式制定2004年8月13日、発行開始2004年11月1日。裏面は平等院鳳凰堂の鳳凰像
  • サイズ:D号券・E号券とも縦76mm、横160mm
  • 後継:2024年7月3日発行のF号券(表面は渋沢栄一、裏面は東京駅丸の内駅舎)

福沢諭吉の旧一万円札の歴史と肖像に選ばれた理由

聖徳太子から福沢諭吉へ:1984年のD号券

福沢の前に一万円札の顔だったのは聖徳太子です。聖徳太子の一万円券(C号券)は1958年12月1日に発行が始まりました。1980年代初めに精巧な偽造券が出回るようになったことが、D号券への改刷のきっかけの一つとされています。

D号券では、世界的な傾向を受けて、政治家や国家の元首に限らず文化人が肖像に採用されました。サイズもC号券より縦横ともに小さくなりました。一万円券のD号券は1984年11月1日に発行され、福沢は啓蒙思想家として選ばれました。

着流し姿の肖像と「本人が気に入っていた」写真

肖像に使われた福沢の写真は、和服の着流し姿です。検討の段階では、紙幣の顔として着流しはふさわしくないという異論が出ました。それでも採用されたのは、福沢が普段から和服を着ていたことと、本人がこの写真を気に入っていたことが理由とされています。

2004年のE号券でも福沢が続投した

2004年のE号券でも、表面は福沢のままでした。肖像はD号券から変わらず、着物の一部や背景に手直しを加えています。裏面だけが新しい図柄になりました。

その結果、福沢は1984年から2024年まで、約40年にわたって一万円札の顔を務めました。2024年7月3日に、後継のF号券で渋沢栄一へ交代しています。

D号券とE号券の違いと偽造防止技術

裏面は雉のつがいから平等院の鳳凰へ

D号券の裏面は雉のつがいで、E号券では平等院鳳凰堂の鳳凰像に変わりました。表の肖像は同じ原版でも、裏を見ればどちらの券かすぐ分かります。

D号券の透かしと、世界初とされる識別マーク

D号券では、透かしに福沢の肖像を入れました。表面左下の透かしには、丸印2つの視覚障害者用識別マークが設けられています。透かしによる識別マークは世界初とされています。

D号券には途中で改良も加わりました。1993年12月1日発行分から、記番号を褐色に変え、マイクロ文字と特殊発光インキを加えています。印刷局の名前も、2001年5月14日発行分から「財務省印刷局製造」、2003年7月1日発行分から「国立印刷局製造」に変わりました。

E号券のホログラム・すき入れ・マイクロ文字

2002年ごろから偽造券の発見が急に増えたことが、E号券への改刷につながったとされています。E号券には次の技術が採用されました。

  • 縦棒3本のすき入れ
  • 見る角度で像が変わるホログラム(桜、日本銀行のマーク、「10000」の数字が角度によって現れ、上下には漢字の「日」「本」も入る)
  • 特殊発光インキ
  • 深凹版印刷
  • マイクロ文字(「NIPPON GINKO」と「10000」が、大小の文字で両面に印刷されている)

L字の識別マークと記番号の色の変化

E号券の識別マークは、左下と右下にあるL字型の2つのマークで、深凹版印刷で作られています。D号券の透かしによるマークとは方式が違います。

記番号にも変化がありました。E号券の記番号は当初黒色でしたが、組み合わせが足りなくなり、2011年7月19日発行分から褐色に変わりました。一万円券としては初めての変更です。

福沢諭吉の旧一万円札は今も使える?現在の価値と注意点

法律上は今も有効

日本銀行は、これまでに発行した銀行券56種類のうち、現在も有効なものが25種類あると案内しています。通用力が失われたのは、1927年、1946年、1953年の法令上の措置があった場合だけです。D号券もE号券も、有効な券として扱われています。

ただし日本銀行からの支払いの扱いは券種で違います。D号券は2007年4月2日に日本銀行からの支払いが止まりました。E号券は2022年9月までに製造を終え、2025年9月までに日本銀行からの支払いが基本的に止まっています。災害時などの緊急時に限って発行する方針です。この「支払いの停止」は、お札が使えなくなったという意味ではありません。

聖徳太子の券との違いと、機械の対応

日本銀行は、発行が終わって流通に不便になった銀行券(聖徳太子の一万円券など)は、本支店で現在の銀行券と引き換えられると案内しています。C号券は偽造防止の仕組みが現行の券より弱く、受け取りを断る店も多いと言われます。福沢券は、有効な券として扱われています。

券売機や自動販売機が旧券を受け付けるかどうかは、機械ごとに設定が異なり、今回確かめた公的資料には書かれていません。使う前に、その機械の案内表示や店の掲示で確認するのが確実です。

額面を超える価値がつくのは記番号や印刷に特徴がある場合

C号券とD号券は大量に残っているため、古銭商も、珍しい記番号や印刷エラーでもなければ買い取りに積極的ではないとされます。E号券の発行数は、黒い記番号の組み合わせが尽きるまでに約129億6千万枚に達しました。数が多い券なので、手元にある福沢券の大半は、額面以上の値がつくものではありません。

具体的な買い取り額は業者や状態で大きく違い、公的な資料には載っていないので、この記事では金額を示しません。気になる場合は、複数の専門店に見てもらうのが無難です。

ゆかりの地と関連する人物

福沢諭吉のゆかりの地

  • 大阪市福島区:生誕地の碑がある。福沢は大阪の中津藩蔵屋敷で生まれた
  • 大分県中津市:福沢の出身地。旧居が残る
  • 東京都港区の慶應義塾大学三田キャンパス:1871年に慶應義塾が三田へ移った
  • 港区麻布の善福寺:福沢の墓所。命日の2月3日は「雪池忌」と呼ばれ、慶應義塾の関係者が墓参する

関連する人物

  • 聖徳太子:福沢の前の一万円札(C号券)の肖像
  • 渋沢栄一:2024年発行の新一万円札(F号券)の肖像
  • 緒方洪庵:福沢が学んだ適塾の塾主

よくある質問

福沢諭吉の一万円札はいつ発行されましたか?

D号券が1984年11月1日、E号券が2004年11月1日です。2024年7月3日に渋沢栄一の新券が出るまで、約40年にわたり福沢が顔を務めました。

旧一万円札はいつまで使えますか?

期限はありません。日本銀行は、一度発行された銀行券は、法令に基づく特別な措置がとられない限り通用力を失わないと説明しています。

D号券とE号券は見た目でどう区別しますか?

裏面で見分けられます。雉のつがいがD号券、平等院鳳凰堂の鳳凰像がE号券です。E号券には、角度で絵柄が変わるホログラムもあります。

福沢諭吉が一万円札に選ばれた理由は?

D号券から文化人が肖像に採用されるようになり、福沢は啓蒙思想家として選ばれました。2004年のE号券でも、そのまま続投しています。