松下幸之助

結論:最初の1冊は『道をひらく』、仕事の本なら『商売心得帖』『指導者の条件』

松下幸之助の本で最初に読むなら、1968年(昭和43年)5月にPHP研究所から出た『道をひらく』が定番です。雑誌『PHP』に載ったエッセイをまとめた本で、累計発行部数は2015年5月に520万部を超えたと伝えられています。

仕事に直結する本を選ぶなら、商売の心構えを扱う『商売心得帖』(1973年)、経営者向けの『経営心得帖』(1974年)、組織を率いる人向けの『指導者の条件』(1975年)が候補になります。経営の全体像を知りたければ『実践経営哲学』(1978年)、人生観に踏み込むなら『人間を考える』(1972年)や『人生心得帖』(1984年)です。

この記事では、主な著書を目的別に並べ、それぞれがどんな時期に出た本かを、幸之助の生涯と重ねて整理します。書名・出版社・刊行年は日本語版Wikipediaの著書一覧で確かめたものです。

基本情報

  • 生没年:1894年(明治27年)11月27日 〜 1989年(平成元年)4月27日(満94歳)
  • 時代:明治〜昭和・平成初期(本記事では昭和時代の実業家として扱う)
  • 立場:実業家。松下電気器具製作所(現在のパナソニックホールディングスにつながる会社)の創業者。PHP研究所と松下政経塾の創設者
  • 異名:「経営の神様」
  • 代表作:『道をひらく』(1968年)、『商売心得帖』(1973年)、『指導者の条件』(1975年)、『実践経営哲学』(1978年)
  • 死因:気管支肺炎(大阪府守口市の松下記念病院で死去)

松下幸之助の本おすすめの選び方:まず読むべき定番

『道をひらく』(PHP研究所、1968年)

幸之助の著書の中で、もっとも広く読まれている1冊です。もとは雑誌『PHP』に掲載されたエッセイで、文庫本で271ページ。発行部数は2002年に400万部を超え、2013年12月に500万部、2015年5月に520万部を突破したとされます。2016年の時点でも、日本のビジネス書のベストセラーランキングに名前が出ていました。

刊行から半世紀を過ぎても読まれ続けている点が、この本のいちばんの特徴です。経営書というより、働く人が日々の考え方を整えるための随想集として手に取られています。何を読むか迷ったら、まずここから始めるのが無難です。

『続・道をひらく』(PHP研究所、1978年)

『道をひらく』の10年後、1978年1月に出た続編です。前作が気に入った人は、そのまま続けて読むと幸之助の語り口に慣れやすいでしょう。

『素直な心になるために』(PHP研究所、1976年)

1976年9月の刊行です。題名のとおり「素直な心」がテーマの本で、同じ年には幸之助が『私の履歴書』に2度目の登場をしています。『私の履歴書』は日本経済新聞朝刊の最終面で1956年から続く連載で、幸之助は1956年と1976年の2回、登場しました。

『人間を考える』(PHP研究所、1972年)

1972年8月の刊行で、経営の実務書ではなく、人間そのものを論じる本です。商売の本を読み終えたあとに進むと、幸之助が経営の先に何を考えていたかが見えてきます。

仕事に役立つ松下幸之助の本:「心得帖」と経営書

『商売心得帖』(PHP研究所、1973年)

1973年2月刊。「心得帖」と名のつく本は4冊あり、これが最初です。幸之助は丁稚奉公から商いの世界に入った人で、この本はその出発点にあたる「商売」を題材にしています。

『経営心得帖』(PHP研究所、1974年)

1974年7月刊。題名のとおり、『商売心得帖』の翌年に出た「経営」の心得です。商売の本と並べて、刊行の順に読み比べられます。

『社員心得帖』と『社員稼業』

働く側に向けた本としては、1974年10月の『社員稼業』と、1981年9月の『社員心得帖』があります。刊行の順に読むと、同じ「社員」というテーマを、7年のあいだに幸之助がどう書き直したかを比べられます。

『指導者の条件』(PHP研究所、1975年)

1975年12月刊。題名から分かるように、人を率いる立場を主題にした本です。1979年に政経塾を設けた幸之助が、その数年前に「指導者」を書名に掲げていた点も、あわせて覚えておくと読みやすくなります。

『実践経営哲学』(PHP研究所、1978年)

1978年6月刊。経営者としての考え方を体系的に述べた本で、幸之助の経営観の中心を知りたい人に向きます。同じ年の1月には『続・道をひらく』が出ており、この1978年は、随想と経営論が同じ年に並んだ年でした。続く1979年には『決断の経営』『人を活かす経営』も出ています。

本の背景を知る:丁稚奉公から創業、PHPまで

9歳の丁稚奉公から大阪電灯へ

幸之助は1894年、和歌山県海草郡和佐村(現在の和歌山市)の千旦ノ木に、小地主の三男として生まれました。父が米相場で失敗して破産したため、一家は和歌山市内に移り、父は下駄屋を始めます。幸之助は尋常小学校を4年で中退し、9歳で火鉢店に丁稚奉公に出ました。のちに自転車店へ移り、そこで寿屋の鳥井信治郎と出会ったことも記録されています。

その後、16歳で大阪電灯に入社し、7年間働きました。1917年に退職して、翌1918年、大阪市北区西野田大開町で松下電気器具製作所を創業します。これが、のちのパナソニックホールディングスです。

水道哲学とPHP研究所

1932年の第1回創業記念式で、幸之助は社員に向けて、ヘンリー・フォードに倣った「水道哲学」を訓示したとされます。

戦後の1946年11月には、PHP研究所を設立しました。同研究所は、「物心両面の繁栄により、平和と幸福を実現していく」ことを理念とし、雑誌『PHP』を1947年4月に月刊誌として創刊しています。『道をひらく』の元になったエッセイは、この雑誌に載ったものです。

PHP研究所はパナソニックホールディングスとは資本関係がなく、創業者が同じ兄弟企業という関係です。ただし業務提携は強く、役員の出向先にもなっています。

松下政経塾と晩年

1979年6月21日には、私財を投じて財団法人松下政経塾を設立しました。「21世紀理想の日本を実現する」ことを主眼とし、そのための理念・方策の探求と、それを進める人材の育成を活動の内容としています。次代の国家指導者を育てる場でもあります。

1989年4月27日午前10時6分、気管支肺炎のため、大阪府守口市の松下記念病院で亡くなりました。満94歳でした。法名は「光雲院釋眞幸」です。

ゆかりの地と関連する人物

ゆかりの地

  • 生誕地:和歌山県海草郡和佐村千旦ノ木(現在の和歌山市)
  • 創業の地:大阪市北区西野田大開町。1918年に松下電気器具製作所を創業した
  • 真々庵:幸之助の別邸。PHP研究所は1961年にここで活動を再開し、翌1962年に庭園内へ「根源の社」を創建した
  • 松下政経塾:神奈川県茅ヶ崎市汐見台にある
  • 松下記念病院:大阪府守口市。幸之助が亡くなった場所

関連する人物

  • 鳥井信治郎:寿屋の創業者。幸之助が自転車店に奉公していた時期に出会ったと記される
  • ヘンリー・フォード:「水道哲学」を訓示した際に、手本とされた人物

よくある質問

松下幸之助の本は、どれから読めばよいですか?

1968年刊の『道をひらく』が定番です。累計520万部を超えた(2015年5月)とされ、PHP研究所の代表作の一つです。仕事の本から入りたいなら『商売心得帖』を選ぶとよいでしょう。

「経営の神様」と呼ばれるのはなぜですか?

Wikipediaには、異名が「経営の神様」であると記されています。小学校を中退して9歳で奉公に出た人物が、一代で松下電気器具製作所を大企業へ育てた経歴が、この呼び名の背景にあります。

『道をひらく』はどんな本ですか?

雑誌『PHP』に掲載されたエッセイをまとめた本で、1968年5月1日にPHP研究所から出版されました。文庫本で271ページです。

幸之助の自伝的な文章はどこで読めますか?

日本経済新聞の連載『私の履歴書』に、1956年と1976年の2回登場しています。連載は1956年3月1日に始まった朝刊最終面の企画で、書籍にもまとめられています。

松下幸之助は何歳で亡くなりましたか?

1989年4月27日、満94歳で亡くなりました。死因は気管支肺炎です。