葛飾北斎といえば「大波」や「赤富士」を思い浮かべる人が多い。だが北斎の面白さは、名作の数だけでなく、制作の背景にある逸話の濃さにもある。
たとえば住まいを何十回も変えた話や、画号を次々と変えて別人のように描き分けた話は有名だ。変化を恐れない気質が、そのまま作品の新しさにつながる。
しかも活躍の場は版画だけではない。絵手本(スケッチ集のような本)や挿絵、晩年の肉筆画まで、とにかく幅が広い。70代前半に発表した《冨嶽三十六景》が大ヒットし、追加図を含む大作へ育っていく展開も痛快だ。
この記事では、人物像が見えてくるエピソードと代表作をセットで紹介する。構図のしかけ、色の工夫、同じ題でも刷りで変わる面白さなど、見るコツも押さえる。娘の応為(お栄)との関係や、老いてなお上達を誓った言葉にも触れる。気になった一枚から入れば十分だ。読み終えるころには、北斎が身近に感じられるはずだ。
葛飾北斎のエピソード作品|人物像が見える逸話4つ
引っ越し伝説は「移動する目線」の正体
北斎は「引っ越し魔」として語られることが多い。北斎伝には、九十年のうち九十三か所に住んだ、という印象的な記述が残る。数字は誇張の可能性もあるが、転居が多かったのは確かだ。
理由は一つに決められないが、制作に没頭すると生活が荒れやすいのは想像しやすい。部屋が制作道具と紙だらけになったら、片づけるより場所を替える方が早い、という発想もあり得る。環境をリセットして頭を切り替えるタイプだったのかもしれない。
この「落ち着かなさ」は作品にも表れる。同じ富士でも、近景の人物や舟を大きく置いたり、遠くから小さく眺めたりして、視点を毎回ずらす。固定の名所案内ではなく、目線が移動し続ける記録に見えてくる。
だから《冨嶽三十六景》を見るときは、富士だけでなく手前の仕事や暮らしにも注目したい。どこで、誰が、何をしているかを追うと、北斎の「移動する目」が実感できる。自分の目で旅している気分になる。妙に楽しい。
画号を変え続けたのは「作風の宣言」だった
北斎は画号(名乗り)を何度も変えた。春朗、宗理、葛飾北斎、戴斗、為一、画狂老人卍など、時期ごとに名前が違う。研究や展覧会では、主要な画号で画歴を段階的に整理することもある。
ポイントは、画号が「気分」ではなく「宣言」に見えることだ。役者絵や挿絵に力を入れた時期、絵手本を量産した時期、風景版画で勝負した時期――描きたい世界が動くたび、名乗りも替えていく。
実際の作品では、版画の余白や画面の隅に「為一画」などの署名が入る。ここを見れば、同じ題材でも「いつ頃の北斎か」が掴みやすい。図録で比較すると、線の硬さや人物の顔つきまで変わっていて面白い。
例えば70代前半の為一期には《冨嶽三十六景》のような揃物が強く、晩年の画狂老人卍期は線がさらに硬質になり、神仏や怪異の題材にも迫力が出る。名前の変化が作風の変化と直結している。
作品名だけを追うと散らばって見える北斎だが、画号の切れ目を意識すると「変身しながら上達する物語」として一本につながる。
70代で《冨嶽三十六景》を当てた遅咲きの爆発
北斎のすごさは「後半戦で更新する」ところにある。70代前半、為一の名で《冨嶽三十六景》を世に出し、風景版画の新しい流行を作った。年齢だけ見れば、すでに大ベテランだ。
シリーズ名は「三十六景」だが、人気が高まり追加図が出て、最終的に46図になったとされる。ヒット作を引き延ばしたというより、富士を描くほど発想が湧いて止まらなかった感じがする。
この連作が面白いのは、富士の“顔”より周囲の暮らしを描くところだ。漁師の舟、街道の旅人、工事の職人――人の動きが前景に来て、富士は奥で静かに見守る。だから一枚ごとに物語が立つ。
見方のコツは、同じ形の富士を探すより、視点の高さと距離を意識することだ。手前を極端に大きく置いたり、遠くから小さく眺めたりして、体感距離を毎回変える。名所案内でありながら実験帳でもある。
「年を取ったから落ちる」ではなく、むしろ年を重ねて伸びるタイプだった。北斎を語るなら、この70代の爆発は外せない。
『富嶽百景』跋文に出る、老いてなお上達する執念
北斎の「上達欲」が一番ストレートに出るのが、絵手本『富嶽百景』の跋文(あとがき)だ。七十歳までの作品は大したものではない、という調子で自分にダメ出しをする。普通は言いにくいことを平気で書く。
さらに八十歳で進歩し、九十で奥義に入り、百歳で神妙の域へ……と続け、百十歳になれば一点一格、つまり点や線の一本一本に命が宿るようになる、と未来の自分にまで注文をつける。読んでいるだけで背筋が伸びる。
この文章を頭に入れてから作品を見ると、線の意味が変わる。北斎の線は「うまい」だけではなく、どこか生き物っぽい。波の先端や雲の端が呼吸しているように見えるのは、線に生命を入れようとしたからだ。
もう一つ大事なのは、跋文が“理想”で終わっていない点だ。晩年の肉筆画には、細密な彩色や鋭い輪郭が残り、言葉を作品で追いかけているのが分かる。口だけではないのが怖い。富士を百通りに描き分ける本にふさわしい宣言だ。
葛飾北斎のエピソード作品|名作で読む技と発想5つ
《神奈川沖浪裏》は“波の怖さ”より構図の頭脳
《神奈川沖浪裏》は《冨嶽三十六景》の中でも抜群に有名な一図で、北斎の代名詞になった。巨大な波のカーブが爪のように曲がり、舟が押しつぶされそうなのに、遠くの富士は平然と小さく座っている。この緊張感がクセになる。
見どころは「波」だけではない。手前の荒々しさと、奥の静けさを同じ画面に同居させる構図の計算が光る。視線はまず波へ奪われ、次に富士へ逃げ、最後に舟へ戻る。観る順番まで設計されている。
色にも仕掛けがある。青の濃淡で波の厚みを出し、白い線で泡の飛び散りを見せる。線が細かいのに、画面全体は大きなリズムでまとまっているのが不思議だ。
人気は現代にも続く。日本の新1,000円券の裏面に採用され、旅券の査証ページでも《冨嶽三十六景》が使われている。紙の上で波が「国の顔」になったわけだ。
初見では波の先端ばかり追いがちだが、舟の人数や姿勢にも注目したい。小さな人間を入れることで、自然の大きさが一段と強調される。
赤富士と黒富士は「天気のドラマ」を二枚で見せる
《凱風快晴》(通称・赤富士)と《山下白雨》(通称・黒富士)は、並べると楽しさが跳ね上がる二枚だ。片方は晴れ渡る朝の富士、もう片方は夕立の気配を抱えた富士で、同じ山が別人格になる。
赤富士は山肌の赤と影の入れ方が大胆で、少ない色でも雄大さを作る工夫がある。刷りの工程を意識しながら、色面をきっぱり分けているので形が強い。見るほど「簡単そうに見えて難しい」タイプの絵だ。
黒富士は空の暗さ、雲の重さ、稲妻の一本で空気が一変する。山頂は明るいのに裾野は暗い、という対比で富士の高さまで伝えるのがうまい。天気の音まで聞こえそうだ。
この二枚は、富士をど真ん中に置かない点でも共通している。空の面積を大きく取って「気配」を描くから、山の存在感が逆に増す。主役を目立たせるために、あえて余白を使う。
同じ富士でも「時間」と「気配」で別世界になる。迷ったら二枚をセットで覚えるといい。気分で選んでも面白いし、刷りの違いを比べても飽きない。
《北斎漫画》は線の辞書、観察の貯金箱
《北斎漫画》は、いわゆる娯楽の「マンガ本」ではなく、人物・動物・風景・道具まで何でも描いた図案集だ。ポーズ集でもあり、観察ノートでもあり、線の辞書みたいなものだ。眺めているだけで手が動きたくなる。
初編は1814年に刊行され、その後も続編が重ねられた。全体では15編、図は約3,900にのぼるとされる。量だけで圧倒されるが、雑に描いた感じはなく、どれも「形のつかみ方」が明快だ。
ポイントは「うまく描く」より「数を描く」発想にある。猫のしぐさ、職人の手元、川の流れの形まで、見たものをどんどん線に置き換える。線は省略されているのに形が崩れない。省く場所が分かっている。
《神奈川沖浪裏》の波が生々しいのも、こういう日々の線の貯金があってこそだと考えると納得しやすい。好きなページを一つ選び、同じように線をなぞるだけでも北斎の視点が分かる。眺めるだけでも、目が「描くモード」に切り替わる。不思議だ。
《諸国滝廻り》で水を理解すると波も読める
富士と並んで外せないのが水のシリーズだ。なかでも《諸国滝廻り》は、滝そのものより「水の形」を描き分ける実験集に近い。水が糸になったり、塊になったり、泡になったりする。
例えば岩肌に沿って薄く流れる部分は滑らかに、落下して砕ける部分は細かく、同じ水でも質感を変える。画面の切り取り方も大胆で、滝を“背景”ではなく主役に押し出す。白い飛沫は紙の地を生かし、線で泡の輪郭だけを立てる。
水の流れが画面を分割して、視線が迷わないのも強みだ。上から下へ追うだけで、滝の勢いが体の中に落ちてくる。静止画なのに動きを感じる。
ここを見ると《神奈川沖浪裏》の波も別物に見える。波のカーブや泡の粒は「派手な演出」ではなく、水の観察から組み立てた造形だと分かる。滝→波の順に見るだけで、理解がつながる。
もし図録で迷ったら、滝の一枚を先に選んでじっくり見るのがおすすめだ。北斎の線の強さが、意外と静かな場面でも生きていると気づく。次に波へ戻ると、面白さが倍になる。
娘・応為(お栄)を知ると北斎がもう一段深くなる
北斎のエピソードを語るなら、娘の応為(お栄)を外せない。父と同居し、制作を支えたとされる女絵師で、北斎と同じ時代の江戸に「もう一人の天才」がいたことを教えてくれる。
代表作に挙げられる《吉原格子先之図》は、夜の吉原を描き、提灯の光が格子の内側だけを赤く照らす。明暗の差で場の空気を作り、遊女の表情さえ黒い影として隠す。この割り切りが強い。
北斎が線と構図で世界を組み立てる人だとすれば、応為は光で空気を作る人に見える。暗闇の厚み、光の届く範囲、影に沈む顔――その選び方がドラマになる。親の名声とは別の強さがある。
画中の提灯に「応」「為」「栄」の文字が隠されていて、作者の手掛かりになる点も面白い。署名が目立たない時代に、絵の中へさりげなく名を置く発想が粋だ。見つけた瞬間、作品との距離が縮まる。
応為を知ると、晩年の北斎作品の細密さや陰影の強さも、別の角度から見直せる。応為の一幅を見たあと北斎へ戻ると、同じ線でも温度が違って見える。父娘の関係まで含めて作品が立ち上がる。
まとめ
- 北斎は転居が多いとされ、視点が動く作品づくりと相性がいい
- 画号の変化は作風の変化の目印になり、時期の見分けに役立つ
- 70代前半の《冨嶽三十六景》で風景版画の流行を作った
- 《冨嶽三十六景》は追加図を含め46図になったとされる
- 『富嶽百景』跋文の「点や線に命が宿る」宣言は北斎の執念を映す
- 《神奈川沖浪裏》は波→富士→舟と視線が動く構図が肝だ
- 赤富士と黒富士は天候と時間の違いで富士をドラマに変える
- 《北斎漫画》は図案集で、観察を線に変える練習帳のような存在だ
- 《諸国滝廻り》の滝を見ると波の造形が理解しやすくなる
- 応為(お栄)を知ると、晩年の北斎作品の陰影も別角度で見えてくる





