上杉謙信の城「春日山城」見どころ7選|総構・空堀・土塁・大井戸

上杉謙信の城といえば、まず名が挙がるのが越後の春日山城だ。国の史跡で、日本百名城にも数えられる。

春日山城は山そのものを要害にした城で、いまも空堀や土塁、大井戸など「山城らしさ」がはっきり残る。

しかも春日山城は、山の上だけが城ではない。麓には堀と土塁で囲む総構が約1.2kmも続き、歩くほどに城域の大きさが体でわかる。

この記事では見どころを7つに絞り、難しい言葉はかみ砕いて説明する。本丸跡から日本海や頸城平野を望む景色まで押さえれば、春日山城の「強さ」が腑に落ちる。歩き方の目安や御城印、ゆかりの城も整理する。

上杉謙信の城 春日山城はどこ?結論:居城は春日山城

春日山城跡は国の史跡・日本百名城の“本丸級”

春日山城跡は、上杉謙信の居城として知られ、国の史跡に指定されている。日本百名城にも選ばれているため、城めぐりの定番として扱われる。

文化財の公的データでは、指定年月日や所在地が整理されている。公式の裏づけとして「史跡」と確認できるのは、記事の土台として強い。

城は標高約180mの春日山に築かれ、別名を「鉢ヶ峰城」ともいう。山頂の本丸だけでなく、裾野まで遺構が広がるのが特徴だ。

上越市の説明では、城地の広さが東西・南北ともに約2km規模とされ、全国屈指の大きさだという。まずは「山全体が城だった」と捉えると理解が早い。

なぜ「難攻不落」と言われる?地形と総構の合わせ技

春日山城が「堅固な城塞」「難攻不落」と語られるのは、地形の使い方がうまいからだ。尾根や斜面をそのまま守りにし、攻め手が登りにくい形を作っている。

ポイントは、守りを山頂だけに置かないことだ。屋敷跡や曲輪、空堀が連続し、どこまでが城なのかが歩いてわかる。

さらに麓には、堀と土塁で囲む「総構」が築かれている。山城で総構が整うのは珍しく、春日山城の個性になっている。

総構を含めて城を眺めると、敵を近づけないための外側の防御と、山上の要害がつながって見える。これが春日山城の“強さの設計図”だ。

上杉謙信の城 春日山城の見どころ7選

1. 総構:麓をぐるりと守る外側の防御線

総構は、城のいちばん外側の守りだ。春日山城では、麓に堀と土塁が帯のようにつながり、城の輪郭をつくっている。

総構は史跡広場から埋蔵文化財センター北側まで約1.2km続く。数字で見ると短く感じるが、実際に歩くと城の大きさが肌でわかる。

総構がある山城は多くない。山の守りに加えて麓にも防御線を張ることで、敵を遠い場所で止める狙いが見えてくる。

まずは総構を歩いて「ここまでが城なんだ」と体感すると、その後に山へ登ったとき、遺構一つ一つが意味のある配置に見えてくる。

2. 空堀:水がなくても敵を止める“溝の罠”

空堀は、水を入れない溝だ。山の斜面や尾根を横切るように掘って、敵の足を止め、横から攻撃しやすくする。

春日山城では、いまも空堀が残る。写真や地図で見るより、現地で立つと深さや角度が実感できる。

空堀の面白いところは、「道のように見えるのに道ではない」点だ。攻め手が降りると、登り返しが必要になり、勢いが削がれる。

登城の途中で空堀に出会ったら、溝の向こう側を見てほしい。そこに次の曲輪や土塁が見えれば、守りが段階的に重なっているのがわかる。

3. 土塁:土の壁が守りを底上げする

土塁は、土を盛って作る壁だ。石垣ほど目立たないが、矢や鉄砲の盾になり、堀と組むことで守りが一気に強くなる。

総構の調査では、高さ約1.2mの土塁が確認されたとされる。土の壁が残っているのは、現地で理解しやすいポイントだ。

土塁は、上に立つと視点が変わる。守る側は見下ろせるのに、攻める側は土の壁に視界を切られ、進むほど不利になる。

総構や曲輪の縁で土塁を見つけたら、堀とのセットで観察するとよい。溝で動きを止め、土の壁で守るという発想が形になっている。

4. 大井戸:山城の生命線になる水の確保

大井戸は、山城で水を確保するための重要な仕掛けだ。長い籠城になれば水が命綱になるので、井戸があるかどうかで城の粘り強さが変わる。

春日山城跡の案内では、大井戸が遺構として残る。石組みの立派さより、「山の上で水を確保する工夫」がポイントになる。

歩いていると「なぜここに井戸?」と思う場所に出ることがある。これは、守りや生活の場所が山全体に広がっていた証拠でもある。

大井戸を見たら、周囲の地形も合わせて見てほしい。曲輪や道のつながりが見えると、井戸が城の中の生活線に組み込まれていたことが伝わる。

5. 本丸跡:眺望がそのまま城の力になる

本丸跡は、春日山城の中心で、標高約180mにある。ここに立つと、城が「どこを見張っていたのか」が一目でわかる。

本丸跡からは日本海や頸城平野、周囲の山並みを一望できる。敵や街道の動きを読むには、視界の広さがそのまま力になる。

本丸へ向かう道は、ただの登山道ではない。尾根の形や曲輪の段差が、攻め手の動きを読んで作られた通り道の設計になっている。

休憩しながら眺めを楽しむときは、麓の総構の位置も思い出してほしい。外側の防御線と本丸の見張りがつながると、城の全体像が頭の中で完成する。

6. 毘沙門堂:祈りと実戦が交わる場所

毘沙門堂は、春日山城跡の見どころとして名前が挙がる場所だ。城内を歩く目印になり、立ち寄りやすい。

伝承では、謙信が出陣前に籠った場所として語られることがある。史跡を歩くときは、こうした話と地形をセットで味わうと面白い。

毘沙門堂の周辺は、山の中腹に位置し、上にも下にも動ける場所だ。ここで祈り、状況を見て、出陣の判断をしたと想像すると臨場感が増す。

参拝の作法は難しく考えなくてよい。静かに一礼し、周囲の曲輪や道の分岐を観察するだけで、城が信仰と実戦の場だったことが伝わってくる。

7. 上杉謙信像:現在地がわかる目印+物語の入口

春日山城跡の中腹には、上杉謙信の銅像が立つ。観光スポットとしても有名で、登城の途中で出会いやすい。

城跡は曲輪や空堀が多く、初めてだと現在地を見失いがちだ。銅像は「いまどの高さにいるか」を教えてくれる、わかりやすい目印になる。

像の周辺からも景色は開け、写真を撮る人が多い。だが、ここは観光スポットであると同時に、城の中腹という要所でもある。

銅像を見たら、上は本丸、下は総構という上下のつながりを意識してほしい。春日山城が山全体で守りを作っていたことが自然に腹に落ちる。

上杉謙信の城 春日山城の歩き方

初めてでも満足できる王道ルート(総構→銅像→本丸)

初めて歩くなら、欲張りすぎないのがコツだ。目標を「総構を少し歩く」「銅像付近まで」「本丸跡で景色を見る」に絞ると、満足度が高い。

総構はアップダウンが少なく、散策しやすい。到着直後に総構を歩くと、城の外郭をつかめて迷いにくい。

その後に山へ向かい、本丸跡の眺望で締める。日本海や頸城平野が見えれば、城が監視していた範囲が実感できる。

時間に余裕があれば、途中で空堀や土塁を一つずつ立ち止まって観察する。見るポイントを決めるだけで、歩きが「理解」に変わる。

じっくり派の回り方(総構を主役にして立体で理解)

じっくり派は「総構をしっかり歩く」ことを軸にするとよい。総構は約1.2km続き、歩くことで城の大きさを体感できる。

城地の広さは東西・南北ともに約2km規模とされる。数字だけだとピンと来ないが、総構と山上の遺構をつなぐとスケールが見える。

総構を歩きながら、ときどき見える本丸を見上げるのがおすすめだ。麓から本丸を仰ぎ見ながら歩くと、城の立体感がつかみやすい。

最後に本丸跡へ登って、歩いた線を上から眺め直す。行きと帰りで景色の意味が変わり、城の地形が自分の中に地図として残る。

服装・所要時間の考え方(無理せず安全に)

春日山城は山城なので、歩く前提で準備する。靴は滑りにくいものが安心で、雨の日は土がぬかるみやすい。段差も多いので、手が空く荷物がよい。

総構の散策はアップダウンが少なく楽だが、本丸へは登りがある。体力に合わせて、総構だけの日と登城の日を分けても十分楽しめる。

本丸跡は標高約180mだ。寒い時期や風の強い日は体感温度が下がるので、上着で調整できるようにするとよい。

道に迷いそうなら、散策マップを手にして曲輪名を確認しながら進む。目印になる銅像や要所の名前を覚えるだけでも、安心感が大きく変わる。

上杉謙信の城 春日山城をもっと楽しむコツ

御城印で来城の証を残す

御城印は、城を訪れた記念になる紙の印だ。春日山城では、埋蔵文化財センターなどで扱われる。

御城印は現地で買う前提のため、開館日を先に確認すると安心だ。休館日に当たると手に入らない場合がある。

手に入れたら、総構や本丸で撮った写真と一緒に残しておくとよい。帰ってから見返したとき、遺構の位置関係を思い出しやすくなる。

御城印そのものより「どこを歩いたか」を記録する道具として使うと、旅の満足度が上がる。

資料館・神社とセットで理解を深める

城跡は歩くだけでも楽しいが、展示とセットにすると理解が深まる。曲輪や空堀を見た後に資料を見ると、形の意味が言葉でつながる。

春日山周辺には、謙信に関する展示や案内がある施設がそろう。歩いた後の立ち寄り先として相性がよい。

また、総構の起点近くに情報を得られる場所があり、散策の前後に寄ると抜けが減る。地図を手にすると迷いにくい。

「歩く→展示で答え合わせ→もう一度地形を思い出す」という順番にすると、春日山城の仕組みが経験として残る。

上杉謙信の城 ついでに押さえたい“ゆかりの城”

栃尾城:旗揚げの地で若き景虎を追う

栃尾城は、謙信が若い時期に関わり、「旗揚げの地」として語られる城跡だ。春日山城の前段を知る場所として価値がある。

見どころは、曲輪の連なりや、山城らしい深い堀、石垣などだ。山腹に残る遺構から、守りの工夫が読み取れる。

登城ルートはいくつかあり、体力に合わせて選べる。山城に慣れていなくても、段階的に楽しめるのが強みだ。

春日山城で総構の大きさを掴んだ後に栃尾城を見ると、山城の作り方の違いが見えてくる。城は一つの型ではないとわかる。

鮫ヶ尾城:御館の乱の最終局面を知る

鮫ヶ尾城は、謙信の死後に起きた後継争い「御館の乱」の舞台として重要だ。景虎が自刃したと伝えられる最終局面の地として知られる。

尾根筋に曲輪が並び、堀切などの遺構が残る。地形に沿った守りを歩いて確かめられるのが魅力だ。

本丸跡付近から春日山城方面が見える場所もあり、位置関係がつかみやすい。越後の城が互いに見通せる感覚が面白い。

史跡の見学では、自然や遺構を傷つけないのが基本だ。現地の案内に従い、持ち帰りはしないようにしたい。

妻女山:合戦の視点を得る展望地

妻女山は、川中島の戦いで陣を置いた場所として知られる。城そのものではないが、戦の見方を身につけるのに役立つ。

展望がよく、長野盆地を広く見渡せる。ここから何が見えるかを確かめると、合戦が地形と深く結びついていたとわかる。

現地には「陣場平」など、当時を思わせる地名が残る。地名の由来を知ると散策がぐっと楽しくなる。

春日山城の「守りの城」と、妻女山の「戦の高台」を並べて見ると、同じ時代でも場所で役割が変わるのがよくわかる。

上杉謙信の城 よくある質問

上杉謙信の居城はどこ?

上杉謙信の居城として最もよく知られるのは春日山城だ。国の史跡で、日本百名城にも数えられている。

城地は広く、山頂の本丸だけでなく裾野まで遺構が広がる。まずは「山全体が城だった」と捉えると理解が早い。

麓の総構を歩くと、城の外側の守りが実感できる。そこから本丸へ登ると、守りの仕組みがつながって見えてくる。

結論として「上杉謙信の城はどこ?」に答えるなら春日山城でよい。まずここを押さえるのが近道だ。

春日山城の何がすごい?

春日山城の凄さは、山上の要害と麓の総構が一体になっている点にある。守りを二重三重に組み合わせている。

総構は約1.2km続き、歩くことで城の大きさを体感できる。山城で総構が整うのは珍しく、これだけで強い個性になる。

空堀・土塁・大井戸など、遺構が残っている点も強い。現地で「形」を見て学べるのが魅力だ。

本丸跡の眺望も外せない。見える範囲そのものが、城の力になるという感覚がつかめる。

関連スポットはどこまで回るべき?

ゆかりの場所まで押さえるなら、栃尾城、鮫ヶ尾城、妻女山が候補になる。春日山城だけでは見えない流れを補ってくれる。

栃尾城は、若い時期の足跡を追うのに向く。遺構の種類も多く、山城らしさを別の角度で学べる。

鮫ヶ尾城は、後継争いの舞台として重要だ。越後の城どうしの位置関係まで意識すると面白い。

妻女山は、合戦の視点を得る展望地だ。守りの城と並べると、地形の読み方が自然に身につく。

上杉謙信の城 まとめ

  • 上杉謙信の城として最重要なのは春日山城(国の史跡・日本百名城)
  • 春日山城は山上だけでなく麓まで城域が広い
  • 総構は堀と土塁で囲む外側の防御線で、約1.2km続く
  • 空堀は水なしの溝で、攻め手の動きを止める
  • 土塁は土の壁で、堀と組むと守りが強くなる
  • 大井戸は籠城の生命線で、山城の工夫が見える
  • 本丸跡の眺望は「どこを見張る城か」を教えてくれる
  • 毘沙門堂は信仰と実戦の気配が残る立ち寄りどころ
  • 御城印は現地入手が基本で、開館日確認が安心
  • 栃尾城・鮫ヶ尾城・妻女山まで押さえると物語がつながる