結論:『厄除け詩集』は、「サヨナラダケガ人生ダ」の名訳を生んだ井伏鱒二の詩集
『厄除け詩集』は、小説家・井伏鱒二が1937年(昭和12年)5月に野田書房から出した詩集です。収められた漢詩の訳のうち、于武陵「勧酒」の結句を訳した「サヨナラダケガ人生ダ」は、原詩よりも訳のほうが有名だと言われるほど広まりました。
この一句は、原詩の「人生足別離」を直訳したものとは言いにくく、井伏の創作に近い詩境を開いたと評されています。訳の背景には、1931年に因島へ渡った井伏が、同行した林芙美子の言葉に触れた経験があるとされます。この記事では、詩集の書誌、名訳が生まれた経緯、原詩との違い、後世への影響を、確かめられる範囲でたどります。
基本情報
- 人物:井伏鱒二(本名・井伏滿壽二)。小説家
- 生没年:1898年(明治31年)2月15日〜1993年(平成5年)7月10日。95歳で肺炎により死去
- 出身:広島県安那郡加茂村(現在の福山市)
- 時代:昭和時代を中心に活動
- 主な作品:『山椒魚』(1929年)、『ジョン万次郎漂流記』(1937年)、『本日休診』(1950年)、『黒い雨』(1966年)、『荻窪風土記』(1982年)
- 栄典:直木賞(1938年)、日本芸術院賞(1956年)、文化勲章・野間文芸賞(ともに1966年)など
- 『厄除け詩集』の刊行:野田書房、1937年5月
- 墓所:東京都北青山の持法寺
『厄除け詩集』とは何か:刊行の経緯と版の歴史
野田書房から1937年に出た詩集
『厄除け詩集』の初版は、1937年5月に野田書房から出ました。井伏の著作一覧では、小説や随筆の単行本とは別に、詩の単行本として『厄除け詩集』と、1948年に河出書房から出た『詩と随筆』が挙げられています。小説家として知られる井伏が、詩の本を2冊持っていたことになります。
同じ1937年には『ジョン万次郎漂流記』も出ており、井伏は翌1938年に直木賞を受けています。小説で評価を固めていく時期に、詩集も世に出ていたわけです。
のちの版:筑摩書房・講談社文芸文庫・英語対訳版
詩集はその後も読み継がれ、1977年7月に筑摩書房から、1994年4月には講談社文芸文庫から刊行されました。さらに2023年には、田畑書店から英語対訳版が出ています。井伏の没後30年にあたる年でもあり、翻訳のかたちで海外の読者にも届けられたことになります。
なお、「厄除け」という題名の由来について、本記事で確かめた資料には記述がありませんでした。そのため、ここでは由来を断定しません。
「サヨナラダケガ人生ダ」はどう生まれたか:勧酒の名訳と背景
原詩は唐の于武陵「勧酒」
原詩は、唐代の詩人・于武陵が詠んだ五言絶句「勧酒」です。于武陵は名を鄴、字を武陵といい、京兆府万年県杜曲(現在の西安市長安区杜曲街道)の出身とされます。大中9年に進士に及第したものの官界での出世に見切りをつけ、書物と琴を携えて各地を放浪し、一時は易者になったこともあるとされます。最後は嵩山の南に隠棲したと伝わり、『于武陵集』一巻が残っています。
原詩と訓読は次のとおりです。
- 勸君金屈巵(君に勧む 金屈巵)
- 滿酌不須辭(満酌 辞するを須いず)
- 花發多風雨(花発いて 風雨多し)
- 人生足別離(人生 別離足る)
酒を勧めながら、人生には別れが多いと詠む詩です。
井伏の訳と、原詩との違い
井伏の訳は、『厄除け詩集』に次の四行で収められています。
- コノサカヅキヲ受ケテクレ
- ドウゾナミナミツガシテオクレ
- ハナニアラシノタトヘモアルゾ
- 「サヨナラ」ダケガ人生ダ
原詩と見比べると、いくつかの違いがあります。まず、原詩の「金屈巵」(金の杯)にあたる語が訳に出てきません。宴席の華やかさが薄れ、後半の二句に読者の注意が集まることで、哀愁が強まっていると指摘されています。
次に結句です。「人生足別離」を「サヨナラダケガ人生ダ」とした訳は、正確な訳とは言い難いものの、独自の詩境を開いた創作詩とも言える、と評されています。カタカナ書きの口語に、「サヨナラ」を鉤括弧でくくる表記が重なり、一度読めば忘れにくい響きになっています。
因島での林芙美子との出来事
この結句が生まれたきっかけとして語られるのが、1931年4月の因島行きです。井伏は作家の林芙美子とともに因島に渡り、島を離れる船の上で、林の感情表現に触れたとされています。勧酒の項には、林が「人生は左様ならだけね」と泣いた、というエピソードが記されています。
また、井伏の年譜に付された注には、「人生足別離」を「サヨナラダケガ人生ダ」と訳したとき、井伏は林のせりふを意識していた、と井伏自身が『因島半歳記』に書いたことが紹介されています。訳の言葉が、漢詩の読み下しではなく、身近な人の口から出た実感に根ざしていたという話です。
名訳はどう受け継がれたか:最古のテキストと後世の引用
原詩のテキストにも揺れがある
勧酒の原詩の伝わり方には、少し複雑な事情があります。最も古い収録は、900年に韋荘が編んだ『又玄集』で、そこでは作者を武瓘とし、結句の字を「人世」にしています。これに対し、後蜀の韋縠が編んだ『才調集』は、この詩を于武陵の作としています。作者や字句には、伝本による違いがあるということです。
井伏が「別れ」をどう受け止めたかは、こうした学問的な異同とは別の話ですが、千年以上前の短い詩が、場所と時代を越えて訳され続けてきたことは確かです。
太宰治の絶筆『グッド・バイ』
井伏訳を作品中で引いた例として知られるのが、太宰治の絶筆『グッド・バイ』です。作者の言葉のなかで、この訳が引用されています。井伏は1939年に太宰と石原美知子(津島美知子)の結婚を仲介しています。
太宰も、文士の集まり「阿佐ヶ谷将棋会」の会員でした。この会は1929年頃に発足したとされ、会員には太宰のほか、中村地平、木山捷平、青柳瑞穂らがいました。
原詩より訳が有名になった
日本では、原詩より井伏訳のほうが有名で、特に結句は、詩から離れて一人歩きするほど知られています。他人の訳詩が、元の作品と別の文化的な存在になった例といえます。
ゆかりの地と関連する人物
ゆかりの地
- 広島県福山市:井伏の生まれた加茂村は、現在の福山市にあたります。ゆかりの地としては、同県の鞆ノ津も挙げられています
- 因島(広島県尾道市):1931年に林芙美子と訪れ、「サヨナラダケガ人生ダ」の着想にかかわるとされる場所
- 東京都の荻窪・阿佐ヶ谷:井伏が生涯の大半を過ごした荻窪の暮らしは、1982年の『荻窪風土記』にまとめられています
- 持法寺(東京都北青山):井伏家の墓所で、高さ約1.3メートルの墓石の正面に「井伏家之墓」と刻まれています
関連する人物
- 于武陵:「勧酒」の作者とされる唐代の詩人
- 林芙美子:1931年に井伏と因島へ渡った作家
- 太宰治:『グッド・バイ』で井伏訳を引いた作家
よくある質問
『厄除け詩集』はいつ、どこから出ましたか。
1937年5月に野田書房から刊行されました。その後、1977年に筑摩書房、1994年に講談社文芸文庫、2023年に田畑書店(英語対訳版)から出ています。
「サヨナラダケガ人生ダ」は何の訳ですか。
唐の詩人・于武陵の五言絶句「勧酒」の結句「人生足別離」の訳です。正確な訳とは言い難いものの、井伏独自の詩境を開いた創作詩とも評されます。
このフレーズは、どんなきっかけで生まれたのですか。
1931年4月に井伏が林芙美子と因島へ渡った際、林の感情表現に触れたことがきっかけとされています。井伏自身が『因島半歳記』に、林のせりふを意識していたと書いたことが紹介されています。
この訳を引いた有名な作品はありますか。
太宰治の絶筆『グッド・バイ』が、作者の言葉のなかで井伏訳を引用しています。
題名の「厄除け」にはどんな意味があるのですか。
確かめた資料には由来の記述がなく、ここでは断定できません。気になる場合は、各版の解説や井伏の年譜、全集の解題にあたるのが確実です。





