高橋是清邸は、かつて東京の赤坂にあった、日本の偉大な政治家である高橋是清が長年暮らした私邸だ。現在は東京都小金井市にある江戸東京たてもの園内に移築されており、その重厚な姿を誰でも自由に見学できる。
この建物は1902年に建築され、当時の日本の非常に高い建築技術を現代に伝えるための極めて貴重な遺構となっている。伝統的な和風の木造住宅でありながら、一部に西洋の進んだ生活様式を取り入れたモダンな造りが大きな特徴だ。
歴史的な重要性も極めて高く、1936年に発生して日本を揺るがした226事件の悲劇的な舞台としても広く知られている。是清が最期を迎えることになった2階の寝室が当時のままの姿で保存されており、訪れる者に当時の緊迫感を静かに伝える。
豪華な建材の質感や美しい庭園の眺めなど、建築物としての芸術的な魅力も多岐にわたっており見どころが多い。この記事では、そんな高橋是清邸が持つ深い歴史背景や内部の見逃せない注目ポイントについて詳しく紹介する。
高橋是清邸が赤坂から小金井へ移築された歴史
明治時代に赤坂の地で誕生した高橋是清邸の始まり
高橋是清邸は、1902年に現在の東京都港区赤坂の地に建設された、明治時代を象徴する素晴らしい木造建築だ。当時は明治時代の後期にあたり、日本の近代化が急速に進んでいた非常に活気のある時期にこの邸宅は誕生した。
建物は日本の伝統的な建築様式をベースにしながらも、随所に当時の最新技術や意匠が巧みに盛り込まれている。是清はこの場所を公私ともに重要な拠点として活用し、多くの政治的な交流や国家の命運を分ける議論もここで行われたのである。
赤坂の広大な敷地には見事な日本庭園が広がり、邸宅はその美しい景観と見事に調和するように細部まで設計されていた。建築資材には最高級の木材が贅沢に使用されており、当時の大蔵大臣も務めた是清の社会的地位の高さが随所に伺える贅沢な造りだ。
この邸宅は単なる個人の家という枠を超えて、近代日本の歩みを象徴する極めて歴史的な空間となっていたと言える。現在、江戸東京たてもの園で見ることができる姿は、その当時の栄華を今に伝える貴重なタイムカプセルのような存在として大切にされている。
主人である高橋是清の功績と邸宅での暮らし
高橋是清は波乱万丈な人生を歩んだ人物であり、日本銀行総裁や内閣総理大臣を歴任した偉大な政治家だ。彼は卓越した経済感覚によって日本の危機を何度も救い、国民からはダルマさんの愛称で親しまれていた。
邸宅は彼の公務の場としても極めて重要な役割を果たしており、政財界の多くの要人がこの場所を頻繁に訪れた。是清の気さくな人柄をそのまま映し出すような開放的な空間は、訪れるゲストをいつでも温かく迎え入れたことだろう。
彼は非常に家族思いな一面も持っており、この広々とした邸宅で家族との穏やかで大切な時間も慈しみながら過ごしていた。仕事という厳しい表舞台と家族という温かい私生活の両面において、この家は立派な是清にとってかけがえのない人生の拠点となっていた。
また是清がこの邸宅で過ごした日々そのものが、そのまま激動の日本近代史における重要な1ページとして深く刻まれている。彼がこの場所で何を考え、どのような豊かな日本の未来を夢見ていたのかを想像しながら見学することで、建物に宿る歴史の重みがより鮮明に伝わってくる。
赤坂から江戸東京たてもの園へ移築保存された理由
もともと赤坂にあった高橋是清邸は、是清が亡くなった後にその広大な敷地の一部が公園として整備されることになった。その後、建物本体は1941年に多摩聖蹟記念館の近くへと慎重に移築され、歴史的な遺産として大切に保管されることになったのである。
戦後の激動する混乱期を無事に経て、1993年に東京都小金井市の江戸東京たてもの園が設立される際、この貴重な邸宅も再び移設されることが決定した。現在、私たちが園内で目にしている壮麗な姿は、この再移築の際に行われた非常に精密な復元作業によって蘇ったものである。
移築の作業は日本の伝統建築に精通した職人たちの手によって行われ、当時の貴重な建築部材を可能な限りそのまま活かす形で進められた。これにより、赤坂にあった頃の独特な空気感や風格を損なうことなく、現代に生きる私たちが直接その空間を体験できるようになったのである。
もしもこの移築という選択がなされていなければ、都心の急速な開発や戦火の被害によって、この名建築は永遠に失われていたかもしれない。歴史的な建物を価値あるものとして後世に残そうとする人々の強い意志があったからこそ、私たちは今もその建築美と歴史の記憶を存分に堪能できる。
震災や戦災を奇跡的に免れて現代に残る建物の価値
高橋是清邸が今日までその姿を残していることは、いくつもの大きな災難や歴史の荒波を奇跡的に逃れてきた結果と言える。1923年に発生した関東大震災の際、東京都心の多くの建物が倒壊や火災の被害に遭ったが、この邸宅は幸いにも大きな被害を免れることができた。
建物の堅牢な造りと、地盤の良さが功を奏して、当時の壊滅的な危機を見事に乗り越えることができたのである。また太平洋戦争中の激しい東京大空襲においても、建物がすでに郊外へと移設されていたおかげで、焼失という悲劇的な運命を辿らずに済んだ。
数多くの貴重な木造建築が火災によって失われていく中で、この邸宅が当時のままの美しい姿を保っていることは、実に驚くべき幸運な事実だ。これは単に時の運に恵まれていただけでなく、それぞれの時代においてこの建物の価値を認め、愛着を持って守り抜いた人々がいた証拠でもある。
現在はたてもの園の広大な敷地の中で、周囲の豊かな自然と見事に調和しながら、穏やかで静かな余生を過ごしている。こうした度重なる歴史の荒波をくぐり抜けてきた強靭な生命力こそが、この邸宅に独特の重厚で説得力のある雰囲気を与えているのかもしれない。
高橋是清邸で発生した歴史的な事件と2階の記憶
226事件の悲劇的な舞台となった赤坂の邸宅
1936年2月26日の未明、雪が深く降り積もる赤坂の邸宅において、日本の歴史を大きく揺るがす凄惨な事件が発生した。この日は陸軍の青年将校たちが武装蜂起し、高橋是清を含む当時の政府重鎮たちを次々と襲撃するという前代未聞の事態に陥ったのである。
高橋是清邸もその主要な襲撃ターゲットとなり、静まり返った屋敷の中に突然として鋭い銃声と怒号が響き渡ることとなった。当時82歳という高齢であった是清は、自身の邸宅の2階にある静かな寝室で、深い眠りについていたところを襲われたのである。
反乱軍の兵士たちは邸宅の警備を強引に突破して屋敷内部に侵入し、迷うことなくターゲットである是清のいる部屋へと突き進んだ。緊迫した空気の中で行われたこの歴史的な襲撃は、その後の日本の民主主義にとって非常に大きな打撃を与える結果となった。
この事件を境にして日本の政治体制は急速に変化し、軍部の影響力が強まって戦争への道を突き進んでいくことになる。高橋是清邸の2階は、まさに日本の国家としての運命が大きく変わってしまった、歴史的な分岐点となった場所なのである。
是清が最期を迎えた2階の書斎兼寝室の様子
たてもの園に移築された現在の高橋是清邸では、歴史的な226事件の現場となった2階の書斎兼寝室を直接見学することが可能だ。部屋の内部は当時の記録に基づいて忠実に再現されており、落ち着いた雰囲気の中にもどこか厳粛で張り詰めた空気が漂っている。
天井が高く設計され、四方に大きな窓が配置されたこの部屋は、日当たりが非常に良く本来はとても快適で穏やかな空間であったことが理解できる。是清は生前、この場所で好きな読書を楽しんだり、国の将来を真剣に憂いながら膨大な書類に目を通したりして過ごしていた。
床に敷かれた畳の感触や木製の重厚な家具など、細部に至るまで当時の生活感がそのまま息づいているのがこの部屋の大きな特徴だ。しかし、この一見すると平穏な空間でかつて凄惨な襲撃事件が起きたという事実は、訪れる多くの人々に深い衝撃と感慨を与える。
現在は深い静寂に包まれているこの部屋だが、かつてここで起きた歴史的な出来事を思うと自然と背筋が伸びるような思いがするはずだ。高橋是清が最期まで愛し、そして最期を迎えることになったこの場所は、彼の志と悲劇を象徴する特別な空間として今も守られている。
反乱軍の侵入経路と邸宅内に響いた緊迫の瞬間
事件当日の早朝、青年将校率いる反乱軍の兵士たちは邸宅の裏門を密かに突破し、一気に建物内部へと激しく雪崩れ込んだ。彼らは深い雪の中を音を立てずに移動し、警備の目を巧みに盗んで1階の勝手口付近から建物への侵入を試みたと言い伝えられている。
建物内部に侵入した兵士たちは、一切の迷いを見せることなく2階へと続く階段を駆け上がり、是清が眠る寝室の入り口へと一気に迫った。当時の邸宅は非常に広大な造りであったが、暗闇の中で不気味に響く兵士たちの足音は、住人たちにとって形容しがたい恐怖そのものであったに違いない。
是清本人は、突如として部屋に踏み込んできた兵士たちに対して、驚くほど冷静で毅然とした態度で接したという有名な逸話が残っている。彼は自分の運命をその瞬間に悟ったかのように、一切の無駄な抵抗をすることなく、政治家としての誇りを保ったまま最期を迎えたのである。
この時に邸宅内で流れた時間はわずか数分程度であったが、その1瞬の出来事が結果として日本の将来を決定づけることになった。当時の圧倒的な緊迫感を想像しながら現在の階段や廊下を歩いてみると、歴史の重みが直接肌に伝わってくるような不思議な感覚に包まれる。
事件の記憶を後世に伝えるための復元と保存活動
凄惨な事件が起きた後、主を失った高橋是清邸は残された家族の手によってしばらくの間大切に守られることになったが、やがて大きな転機が訪れる。遺族は、悲劇の舞台となったこの建物を単なる個人の私有物として残すのではなく、より公的な形で世の中に役立てることを強く望んだ。
1941年には是清のこれまでの多大な功績を改めて讃えるとともに、その霊を深く慰めるために東京市へと建物と土地が正式に寄贈された。これにより、邸宅のあった場所は高橋是清翁記念公園として美しく整備され、一般の人々が自由に立ち寄れる憩いの場としての道が開かれた。
その後、建物本体は保存のために一部が移築されることになったが、高橋是清という人物に対する国民の尊敬の念が変わることは決してなかった。悲劇の記憶を単なる過去の恐怖として終わらせるのではなく、平和への教訓として後世に語り継ぐための地道な努力が関係者によって続けられたのである。
今、私たちがたてもの園という素晴らしい環境でこの歴史的建築を詳しく見学できるのは、遺族の崇高な決断と多くの専門家たちの尽力があったからに他ならない。事件という歴史の負の側面を直視するだけでなく、是清が多くの人々に愛された理由やその功績を静かに偲ぶ場としても、この邸宅は重要な役割を担っている。
建築美に溢れる高橋是清邸の内部見学ポイント
最高級の栂材を使用した重厚な木造建築の魅力
高橋是清邸の建築的な大きな見どころの1つは、主要な構造材として栂という非常に高級な木材が全面的に使われている点である。この栂を贅沢に使用した総栂造りと呼ばれる手法は、当時の建築においても極めて珍しく、素材の価値だけでも相当なものであった。
栂は非常に硬質で腐食に強いという優れた性質を持っており、建築から120年以上が経過した現代においても、建物全体に揺るぎない安定感と重厚感を与えている。柱や梁の表面を注意深く観察してみると、繊細で美しい木目がくっきりと浮き上がっており、天然素材ならではの豊かな温もりを今でも存分に感じることができる。
当時の熟練した職人たちが1本1本の木材を丁寧に吟味し、高度な建築技術を駆使して精密に組み上げた様子が、建物のあらゆる細部から伝わってくる。派手な色彩や過剰な装飾に頼るのではなく、木材そのものが持つ本来の美しさを最大限に引き出すという、日本建築の真髄がこの邸宅には見事に体現されている。
この重厚で揺るぎない造りは、高橋是清という政治家の質実剛健な性格や、彼が長年貫いてきたどっしりとした政治姿勢を象徴しているようにも感じられるだろう。建物の構造を支える木材の静かな輝きは、何度見ても飽きることのない、歴史的建造物ならではの不思議な魅力と説得力を持っている。
当時は極めて貴重だったガラス窓がもたらす光
この邸宅を訪れて多くの人がまず目を引かれるのは、各部屋の開口部にふんだんに使われている、当時としては非常に大きなガラス窓の数々だ。明治時代の日本においては、平らで透明なガラスを大量に生産する技術がまだ未発達であり、ガラスは非常に高価な輸入品として扱われていた。
是清は当時の最新の建築スタイルを自身の生活に取り入れるために、あえてこの高価なガラスを邸宅の至るところに積極的に採用したのである。これにより、従来の重厚な日本家屋には見られなかったような、驚くほどの開放感と明るい光が室内の隅々にまで生み出されることとなった。
窓越しに広がる庭園の美しい風景は、まるで1枚の完成された絵画のように見事であり、季節ごとの自然の変化を室内にいながらにして贅沢に楽しめたはずだ。光を多く取り込むことを重視したこの合理的な設計は、是清が理想としたモダンで健康的な生活スタイルを象徴するものと言える。
特に、現代の工業製品とは異なる、わずかに波打つような質感を持つ当時の手吹きガラスが今も1部に残されており、光の反射による独特の風合いを楽しめるのも大きな魅力だ。窓から差し込む柔らかな光を浴びながら、当時の人々が初めてこの空間を体験した際に感じたであろう驚きと感動を、ぜひ共有してみてほしい。
和洋折衷のスタイルが見られる1階食堂の意匠
建物の1階に位置する食堂に足を踏み入れると、他の純和風な客間とは明らかに趣の異なる、西洋風のデザインが随所に取り入れられていることに気づく。床の仕上げは一般的な畳ではなく、木材を組み合わせた寄木細工のような美しいフローリングとなっており、当時のモダンな生活様式が色濃く漂っている。
是清は若い頃から海外生活の経験が非常に豊富であったため、日本に戻ってからも食事の際などには積極的に西洋式のスタイルを取り入れることを好んでいた。家族や親しい客人と共に大きなテーブルを囲みながら、当時としては珍しい洋食やパンを和やかに楽しむ姿が、今でも生き生きと目に浮かぶような空間だ。
天井に設置された照明器具の意匠や、壁面の装飾などにも和洋折衷の絶妙なバランスが見られ、当時の日本における最先端の流行と美意識を感じさせてくれる。伝統的な日本の良さを大切に守りつつも、海外の優れた新しい文化を柔軟に受け入れようとする是清の自由な思考が、この食堂の造りにも見事に反映されている。
この温かな場所で日常的に繰り広げられた家族の団らんは、政治や経済の表舞台で見せていた是清の厳しい表情とはまた異なる、穏やかで柔和な素顔を映し出していたことだろう。和と洋の文化が見事に融合して共存しているこの空間は、日本という国が近代国家へと力強く歩みを進めた歴史的な証拠そのものなのである。
庭園の美しさを室内に取り込む広縁の設計
建物の南側に長く面した開放的な広縁は、日本建築特有の様式美が凝縮された、訪れる人々を魅了してやまない素晴らしいスポットである。幅の広い立派な縁側からは、かつての広大な庭園の名残を感じさせる景色を1望することができ、室内と屋外の境界が曖昧になったような心地よい一体感を存分に味わえる。
軒の出の深さや柱の配置間隔など、建築学的な観点からも非常に緻密な計算がなされており、雨の日であっても濡れることなく静かに庭を眺めることが可能な設計となっている。是清も多忙な公務の合間を縫ってこの広縁に座り、庭に咲く花や緑を愛でながら、心身ともにしばしの休息を楽しんでいたに違いない。
夏場には周囲の木々を通り抜ける心地よい涼風が室内を吹き抜け、冬場には低い角度から差し込む温かな陽光が部屋の奥まで届くように工夫されている。自然の摂理に逆らわず、四季の変化を味方につけるというこの設計思想は、日本人が長い歴史の中で培ってきた住まいに関する知恵と美学の結晶と言えるだろう。
広縁を歩くたびに微かに聞こえてくる木の軋む音や、そこから見上げる空の広さは、現代社会の喧騒を忘れさせて訪れる者の心を穏やかに解きほぐしてくれる。高橋是清邸を訪れた際には、ぜひこの場所で足を止め、そこに流れる歴史の重みとゆったりとした時間を全身で感じ取ってみてほしい。
まとめ
-
高橋是清邸は1902年に東京の赤坂に建設された歴史的な建物だ。
-
現在は江戸東京たてもの園に移築され、当時の姿を誰でも見学できる。
-
主人の高橋是清は、内閣総理大臣も務めた日本を代表する政治家だ。
-
この邸宅は1936年に発生した226事件の主要な現場となった。
-
事件当時に是清が最期を迎えた2階の寝室が、当時のまま保存されている。
-
建物には最高級の木材である栂が贅沢に使われており、風格が漂う。
-
当時は高級品であったガラス窓を多く採用し、明るい室内を実現した。
-
1階の食堂には洋風の寄木細工の床があり、和洋折衷の生活を伝えている。
-
庭園との調和を考えた広縁の設計は、日本建築の様式美の極致である。
-
震災や空襲を奇跡的に免れたこの邸宅は、近代日本の歩みを知る貴重な遺産だ。






