芥川龍之介

結論:本名は「龍之介」、生まれた姓は「新原」で、養子入りして芥川になった

芥川龍之介の本名は、作家名と同じ「龍之介」である。ペンネームではない。ただし生まれたときの姓は芥川ではなく「新原」で、1892年(明治25年)に新原敏三とフクの長男として生まれ、新原龍之介と名乗る立場だった。

生後7か月ごろに母フクが精神に異常をきたしたため、母の実家である芥川家に預けられた。11歳のとき母が亡くなり、その翌年(1904年)に伯父の芥川道章の養子となって芥川姓になった。

一方、「辰年・辰月・辰日・辰の刻が重なって生まれたから龍之介と名づけられた」という話は広く語られるが、今回確かめたWikipediaには書かれておらず、出生時刻も不明とされている。この話は裏づけの取れない伝承として扱うのが妥当である。

基本情報

  • 本名:龍之介(生まれたときの姓は新原、のち養子入りして芥川)
  • 生年:1892年(明治25年)3月1日。東京市京橋区(現在の東京都中央区)の生まれ
  • 時代:大正時代(生まれは明治25年)/立場:小説家
  • 実父:新原敏三(牛乳の製造販売業を営んだ)/実母:フク
  • 養父:芥川道章(フクの兄)
  • 号など:澄江堂主人(号)、我鬼(俳号)、柳川隆之助(1914年の翻訳に使った筆名)

芥川龍之介の本名の由来と「龍之介」「龍之助」の表記

「龍之介」は戸籍上の正しい名前

Wikipediaによれば、戸籍上の正しい名は「龍之介」である。芥川は筆名で売り出した作家ではなく、本名で作品を発表した。「芥川龍之介」という名は、芥川家に入ってからの姓と、生まれつきの名の組み合わせということになる。

学校名簿などに残る「龍之助」の表記

面白いのは表記のゆれである。養家や学校の名簿などでは「龍之助」と書かれていたと記されている。「介」と「助」は読みが同じで、事務の場面で取り違えが起きやすい字だったのだろうが、その理由まではWikipediaに書かれていない。芥川本人はこの「龍之助」という表記を嫌ったとされる。

名前の由来は確かめられていない

名前に込められた願いを記した資料は、今回確かめた範囲では見つからなかった。「龍のように」「介は助ける意味」といった説明はよく見かけるが、芥川の家族が命名の理由を語った記録として示せるものはない。由来の説明としては、「龍之介」という名には辰(龍)にちなむ話が添えて語られることが多いが、次の節で見るとおり、その裏づけは得られていない。

辰年・辰月・辰日・辰の刻の重なり説は本当か

よく語られる話の中身

広まっているのは、芥川が辰の年、辰の月、辰の日、辰の刻に生まれたので、龍にちなんで龍之介と名づけられた、という話である。

確かめられること、確かめられないこと

確かめられないのは、年・月・日・時刻のどの辰も、そして命名の理由もである。日本語版Wikipediaは出生時刻を「不明」としており、辰の刻に生まれたという話の根拠は示されていない。日本語版・英語版のWikipediaの芥川龍之介の項にも、龍や辰にちなむ命名の説明は見当たらない。

この記事での扱い

辰が重なって生まれたという話は、魅力的な伝承ではあるが、少なくともWikipediaや公的な資料では裏づけが得られない。時刻が分からない以上、「辰の刻に生まれた」を事実として書くことはできない。語るなら「そう伝えられている」という但し書きが必要である。

新原から芥川へ:姓が変わった経緯

実父・新原敏三という人物

実父の新原敏三は、長州の玖珂郡生見村(現・美和町)に生まれ、長州藩の農民兵となって四境戦争(第二次長州征討)にも従軍した人物である。のちに上京し、勧農局の下総御料牧場に入り、1882年には渋沢栄一が関わる耕牧舎に入ったとされる。やがて京橋区入船町の牛乳販売店「耕牧舎」の支配人となった。

龍之介が生まれたのは、この敏三が牛乳の製造販売業を営んでいた時期である。英語版Wikipediaも、敏三が成功した酪農(dairy)の事業を興したと伝えている。

母フクの発病と芥川家への預け入れ

転機は、生後7か月ごろに来た。母のフクが精神に異常をきたしたため、龍之介は本所区小泉町にある母の実家、芥川家に預けられ、伯母のフキに育てられた。龍之介の誕生の1年前には、6歳の姉が亡くなっていたとも記されている。

養子入りは1904年

龍之介が11歳のとき、母が亡くなった。その翌年、フクの兄である芥川道章の養子となり、芥川姓を名乗ることになった。新原敏三の項には、1904年に道章が龍之介を正式に養子にしたと書かれている。

なお、英語版Wikipediaは、養家の芥川の親族が敏三を「成り上がり者」として見下していたと書いている。芥川にとって、実父と養家は、生い立ちの上で別々の世界だった。

「捨て子の儀式」について

一部では、厄払いのために形だけ子を捨て、拾ってもらう儀式があったという話が語られる。しかし、今回確かめたWikipediaにはこの儀式の記述がなく、公的な資料でも確認できなかった。書くことはしない。

芥川龍之介の号と筆名:澄江堂主人・我鬼・柳川隆之助

澄江堂主人(号)

Wikipediaは、澄江堂主人を芥川の号として挙げている。英語版も「Chōkōdō Shujin」を芸名(art name)としている。この号の由来は、確かめた資料に書かれていない。

我鬼(俳号)

我鬼は、号ではなく俳号として挙げられている。英語版は、芥川が「鼻」を発表した1916年初めのころ、この俳号で俳句を作りはじめたと説明している。

柳川隆之助(翻訳の筆名)

柳川隆之助は、1914年の翻訳で使われた筆名とされる。号ではなく筆名である点が、整理するうえで大切になる。当時の書籍には「隆之介」と書かれたものもあり、ここにも表記のゆれがある。

よく聞く「号は80以上ある」といった数字は、今回確かめた範囲では示されていないので、数は書かない。

ゆかりの地と関連する人物

ゆかりの地

  • 生誕の地:東京市京橋区入船町(現在の中央区明石町あたりと英語版Wikipediaは記す)。牛乳販売店「耕牧舎」があった地域
  • 育った家:本所区小泉町の芥川家。母の実家で、龍之介はここで伯母に育てられた

関連する人物

  • 新原敏三:実父。長州出身で、牛乳の事業を営んだ
  • フク:実母。龍之介の生後7か月ごろに発病した
  • 芥川道章:フクの兄で養父。1904年に龍之介を正式に養子にした
  • フキ:伯母。龍之介を養育した

よくある質問

芥川龍之介の本名は何ですか?

本名は「龍之介」で、筆名ではありません。生まれたときの姓は新原で、のちに養子入りして芥川になりました。

なぜ姓が新原から芥川に変わったのですか?

生後7か月ごろに母フクが精神に異常をきたし、母の実家の芥川家に預けられたためです。11歳で母が亡くなった翌年、伯父の芥川道章の養子になりました。

辰年・辰の刻に生まれたから龍之介と名づけられたのは本当ですか?

確かな裏づけは得られていません。Wikipediaは出生時刻を不明とし、辰にちなむ命名の説明も載せておらず、命名の理由を記した資料は確認できませんでした。

「龍之助」と書くのは間違いですか?

戸籍上の正しい名は「龍之介」です。学校の名簿などでは「龍之助」と書かれることがあり、芥川本人はこの表記を嫌ったとされます。

我鬼や澄江堂主人は本名ですか?

どちらも本名ではありません。澄江堂主人は号、我鬼は俳号とされます。