渋沢栄一

渋沢栄一は、新しい一万円札の肖像にもなった人物だ。けれど「具体的に何をした人?」と聞かれると、銀行?会社?と答えが散らばりやすい。

結論はシンプルで、近代的な銀行を動かしてお金の流れを整え、出資を集めて会社を育てる仕組みを広げた人だ。しかも自分の会社だけでなく、いろいろな事業の立ち上げを支えた点が特徴だ。

明治の日本は、制度も産業もまだ手探りで、国を動かす仕組みそのものが作り直されていた時代だ。渋沢は官の仕事(大蔵省)も民の仕事も経験し、欧州で見た制度や経営を日本に合う形で取り入れた。

この記事では「渋沢栄一とは何をした人?」に最短で答えながら、功績の全体像と、よく知られる考え方(論語と算盤=道徳と経済の両立)を、身近な例で整理する。

渋沢栄一とは何をした人?結論と代表的な功績

第一国立銀行で「お金の流れ」を整えた

第一国立銀行は、明治の日本で「近代的な銀行」として動き出した存在だ。渋沢栄一は国立銀行制度づくりに関わった後、1873年に第一国立銀行の経営を担う側に回った。

名前に「国立」とあるが、国が運営する役所ではなく、民間がつくった銀行だ。開業地は東京の日本橋兜町で、商工業にお金を回す役割を持った。

銀行の役目は、集めたお金を必要な人や事業へ回し、社会全体のお金の流れを整えることだ。当時は商売や工場を広げたくても資金を集めにくく、銀行のしくみが成長の土台になった。

渋沢は「民間が主体でお金を回す」仕組みを根づかせ、のちの日本の金融の形にも影響を与えた。第一国立銀行は〈みずほ〉の源流の一つとしても紹介される。

約500社の企業育成に関わり、産業を広げた

渋沢栄一のすごさは、自分が社長として一社だけ大きくした、というより「会社を育てる側」に回った点にある。生涯に約500の企業の育成に関わったとされる。

とはいえ、関わり方は一つではない。発起人として立ち上げを引っぱる場合もあれば、資金集めを助けたり、信頼できる人材に経営を任せたりもした。

「今も残っている会社はあるの?」という疑問には、調査が分かりやすい。渋沢が設立・運営に携わり、変化を経て現存する企業は167社と報告されている。

つまり渋沢の仕事は、昔の話で終わらない。合併や社名変更を経ても、渋沢が関わった事業の流れが、今の日本の産業や生活の中で動き続けているということだ。

社会公共事業や民間外交にも力を入れた

渋沢栄一は「会社を増やした人」だけではない。企業の育成と同時に、約600の社会公共事業や民間外交にも尽力したとされる。

社会公共事業とは、学校・病院・福祉・災害支援など、社会を支える活動のことだ。利益が出にくくても、必要なことにお金と人を集め、続く仕組みを作るのが重要になる。渋沢はここにも力を入れた。

また民間外交は、国と国の正式な外交だけでなく、民間人どうしの交流で信頼を築く動きだ。渋沢は実業界の立場から国際交流にも関わり、経済と社会の両方をよくする道を探った。

この姿勢があるから、渋沢は「稼ぐこと」だけでなく「役に立つこと」も重視した人物として評価される。次の章で紹介する考え方につながっていく。

新一万円札に選ばれた背景を押さえる

渋沢栄一が「新しい一万円札の顔」になったのは、2024年7月3日に新しい日本銀行券の発行が始まったためだ。

肖像の人物は、日本の近代化に大きく貢献した点が理由として説明されている。渋沢については、新たな産業の育成に関わったことが挙げられ、生涯に多くの企業育成に携わった点も紹介される。

お札の肖像は「国の歴史の代表」として多くの人の目に触れる。渋沢が選ばれたのは、銀行・会社・社会事業の三つを通して、暮らしを支える仕組みづくりに関わったからだと理解すると覚えやすい。

渋沢栄一とは何をした人?生涯と考え方のポイント

欧州視察と大蔵省経験が、行動の土台になった

渋沢栄一は、最初から「実業家」だったわけではない。明治のはじめには大蔵省で、お金の制度づくりに関わった。

大きな転機は、1867年ごろに欧州を巡って、会社組織や銀行が社会を動かす仕組みを目で見たことだ。欧州で合本組織が発展していることに驚いたとも伝えられる。

制度を作る側の経験を積んだうえで、渋沢は1873年に官を辞し、第一国立銀行の経営へ移った。つまり「ルールを知る人」が「現場で動かす人」に変わったわけだ。

この流れを押さえると、渋沢が銀行だけでなく、多くの会社や社会事業にも関われた理由が見えてくる。

合本主義は「みんなで出し合い、事業を回す」発想だ

合本主義は、難しく聞こえるが、考え方は「みんなでお金と人を出し合い、社会に役立つ事業を進める」ことだ。目的に合う人材と資本を集めて事業を進める考え方として説明される。

たとえば、鉄道やガス、水道のような大きな仕事は、一人の力だけでは始めにくい。そこで多くの人が出資し、得意な人が運営し、利益も責任も分け合う形にする。これが「株式会社」の発想に近い。

渋沢は、欧州で合本組織が発展しているのを見て、日本でもこれが広がれば商工業者の地位が上がり、官民の距離も縮まると考えたとされる。だから合本主義は、経済だけでなく社会の形を変える狙いも持っていた。

道徳経済合一は「正しさ」と「利益」を両立させる考えだ

渋沢栄一の考え方で有名なのが「道徳経済合一」だ。かんたんに言うと、利益を出すことと、人として正しいことを両立させよう、という考え方になる。

渋沢はこの考えを「論語と算盤」という言い方でも伝えた。論語=道徳、算盤=経済のたとえで、どちらか一方ではなく、両方を追いかけるべきだという意味だ。

たとえば、儲けるためにウソの宣伝をしたり、約束を破ったりすれば、短期的には得をしても信用を失う。反対に、正直で公正な取引を続けると、信用が積み重なり、結果として事業が続きやすい。

渋沢が銀行や会社づくりだけでなく、社会事業にも力を入れたのは、この考えを実際の行動に落とし込もうとしたからだと理解できる。

今にもつながる学びは「仕組み」と「信用」と「公益」だ

渋沢栄一から学べる一番大きな点は、「仕組み」を作ると社会が動く、という視点だ。銀行でお金の流れを整え、合本主義で人と資本を集め、事業を回す形を広げたことがその例になる。

もう一つは「信用」の大切さだ。道徳と経済を切り離さず、正しいやり方で利益を出すべきだという考え方は、取引の世界だけでなく、人間関係にも当てはまる。信用は一度失うと戻しにくい。

さらに渋沢は、企業育成と同時に社会公共事業にも力を入れたとされる。これは「自分たちだけが得をする」ではなく、「みんなの役に立つ形で続く」ことを重視した姿勢だ。

今の言葉で言えば、社会課題の解決と経済活動をつなぐ発想に近い。渋沢の考え方は、時代が変わっても「どう稼ぎ、どう役に立つか」を考えるヒントになる。

まとめ

  • 渋沢栄一とは、近代日本の「お金と会社の仕組み」を整えた人物だ
  • 1873年に第一国立銀行の経営に関わり、近代金融の土台づくりに寄与した
  • 第一国立銀行は民間の銀行で、商工業に資金を回す役割を持った
  • 渋沢は一社の成功より、多くの事業を支える「育て役」として動いた
  • 生涯に約500の企業育成に関わったとされる
  • 現存する渋沢関連企業は167社と報告されている
  • 企業だけでなく、約600の社会公共事業や民間外交にも尽力したとされる
  • 合本主義は「人材と資本を集めて役に立つ事業を進める」発想だ
  • 道徳経済合一(論語と算盤)は「正しさ」と「利益」を両立させる考えだ
  • 新一万円札の肖像に選ばれたのは、近代化への貢献が大きいからだ