風神と雷神が金色の空に放たれた「尾形光琳の風神雷神」。一度見ると忘れにくい。
ふたつの神だけで世界が成立する大胆さがあり、空白が逆に迫力になる。
名作として語られる背景には、先行する宗達本との関係や、琳派の「写して更新する」文化がある。金地の余白が息をする。
裏面に抱一が草花を描いたこと、のちに分離保存されたことも含め、作品の姿は一度で固まらない。
尾形光琳の風神雷神図屏風とは

作品の概要と指定区分
「尾形光琳の風神雷神」は、二曲一双の金屏風に二神を配した作品である。雲に乗る風神と雷神だけを切り出し、金地が空そのものになる構成が特徴だ。かつては表裏をもつ屏風として伝わったとされる。
所蔵は東京国立博物館で、重要文化財に指定されている。展示は保存上の判断で時期が限られる場合があり、出会える機会が常に同じとは限らない。
表の風神雷神は金地に彩色で描かれ、各隻はおよそ縦164.5×横182.4センチである。金箔貼りの地は光を強く返すため、見る角度や照明で余白の広さが伸び縮みして感じられる。
画面には「法橋光琳」の款記と「方祝」印があるとされ、作者同定の手がかりになってきた。宗達本は款記を欠くとされるため、両者は作風だけでなく作品情報の面でも性格が異なる。作品情報の詳細は公開データで確認できる。
右が風神、左が雷神という構図
右隻に風神、左隻に雷神が置かれ、二神は互いへ向き合う。二曲の折れ目が体のひねりと重なり、画面の外へ飛び出しそうな勢いが生まれる。中央の余白が「間」になり、視線と気配だけが往復する構図だ。
風神は大きな袋を背負い、口をすぼめて風を放つ姿で描かれる。雷神は太鼓を背に抱え、雲の上で脚をたたみ込むように跳ねる。筋肉の張りや関節の角度は誇張され、身体そのものが記号のように強い。だから怖さよりも、どこか愛嬌が先に立つ。
雲は輪郭の強い曲線でまとめられ、金地の平面にリズムを刻む。陰影で量感を作るより、形の切れ味で迫るため、金地と彩色の境がくっきりする。金箔のきらめきは、二神の輪郭を際立てつつ、空間の奥行きをあえて曖昧にする働きも担う。
二神の間に何も描かない大胆さが、風と雷という見えない力を想像させる。左右を往復して見ると、袋の膨らみと太鼓の円が呼応し、雲のうねりが橋渡しになる。動きを追うほど、静かな金地が舞台になり、神々の所作だけが立ち上がる。
俵屋宗達の原本との関係
「尾形光琳の風神雷神」は、俵屋宗達の同題作を手本にした模作として語られる。宗達本は建仁寺に伝わる国宝で、二神を金地へ解き放った発想が強い影響を残した。金箔の空間が無限の場になるという見立ても、宗達本の評価の核にある。
模作といっても、写しは「そっくり同じ」を目的にしない場合がある。輪郭線の処理や体の張り、雲のまとめ方には光琳らしさが出て、形の切れ味が増す。宗達の柔らかなにじみの気配とは別に、図像がくっきり立ち上がり、遠目でも読める強さが生まれる。
この関係は、師弟による継承というより、先行作品への私淑に近い。直接教えを受けずに手本へ向き合い、技と感覚を自分のものにして後世へつなぐ。その態度が後から「琳派」とまとめて呼ばれる流れを支え、光琳の名が流派名の由来にもなった。
宗達本、光琳本、さらに抱一本が並べて語られることがあるのは、その連鎖が一枚の絵以上の意味を持つからである。同じ構図が時代ごとに更新され、鑑賞者は差分から美意識の変化も読める。
裏面の夏秋草図と分離保存
光琳本が特別なのは、表の風神雷神だけで終わらない点にもある。後の世に酒井抱一が裏面へ草花を描き、表裏が一体の両面屏風として扱われた時期があった。宗達→光琳→抱一という連なりが、一つの作品の中に可視化された。
裏の主題は夏草と秋草で、驟雨に打たれて息を吹き返す草、強風にあおられる草が対で描かれる。銀地に草花を置き、たらし込みなどの技法で水気の気配をにじませるとされる。表の風と雷が、裏では地上の変化として読み替えられる。
もともと光琳の風神雷神は四季を狙った作品ではないとされる。抱一の加筆によって、鑑賞の回路が「天の神」から「地の草花」へつながり、詩的な往復が生まれた。抱一は江戸で琳派を再興した人物として知られ、光琳への傾倒が制作動機の一つになった。
保存のため表裏を分離し、風神雷神と夏秋草をそれぞれ一双の屏風として守る処置がとられた。表と裏を同時に回り込む体験は限られるが、成立の経緯を知るほど見え方が深くなる。
尾形光琳の風神雷神図屏風の見どころ
輪郭線が生むデザイン性
光琳本の第一印象は、線の強さにある。体の輪郭も雲の輪郭も、迷いなく太く引かれ、形が切り抜きのように立つ。写実より、形の気持ちよさが前に出るため、初見でも図像が迷子になりにくい。
この「デザイン化」は琳派の特徴として語られることが多い。自然や神を写し取るというより、画面全体のリズムを整えて、見た瞬間に分かる形へまとめる発想である。
琳派は師弟の組織というより共感の連なりとして説明され、意匠の感覚が絵・工芸へ横断する。屏風の金地と大胆な省略は、その感覚がいちばん映える舞台だ。
光琳は絵だけでなく、蒔絵や染織の意匠にも関わったとされる。そうした経験が、形を整理して際立たせる画面作りへつながる。風神の髪や腰布、雷神の腹のふくらみは、面の連なりで肉体を見せる。
輪郭の中に置かれた彩色は、金地との対比で鮮やかさを増す。色数を絞り、形を削るほど迫力が出るという逆説が、屏風の大画面で実感できる。線が強い分、雲と身体の境が音符のように跳ねる。
金地の余白が作る空間
金地は背景というより、主役の一部である。二神の周囲に広がる金の余白が、風の通り道や雷の間合いとして働き、何もない場所が意味を持ち始める。中央の空白は、二神が衝突する寸前の静けさにも見える。
金箔の面は均一な色ではなく、光を受けて細かく表情が変わる。近くでは箔の継ぎ目や揺らぎが見え、離れると一枚の空へまとまる。展示室の照明や立ち位置で、金地の明るさが変わるのも体験の一部だ。
宗達本でも金地の使い方は高く評価され、無限の空間を示す装置として語られてきた。光琳はその効果を受け継ぎつつ、輪郭を強めて図像を浮かび上がらせたため、余白の緊張感がさらに増す。金地は平らなのに、二神だけが浮遊して見える。
金地の余白は、現代のポスターやロゴの「抜き」にも通じる。画面の情報量を減らしたからこそ、見る側の想像が入り込む余地が残る。風と雷を「描く」のではなく、「起こる」ように感じさせる仕掛けだ。
屏風は部屋の角や床の間に置かれる前提を持つ。金地の反射は周囲の光や色も取り込み、空間全体を一枚の舞台にする。絵と場がつながる感覚が、屏風ならではの強みである。
視線と身ぶりのドラマ
二神はただ並んでいるのではなく、視線と身ぶりで会話している。風神が袋を押さえ込み、雷神が太鼓を抱え込む姿は、互いの力を探り合うようにも見える。向き合う配置が、物語の起点になる。
光琳本では輪郭が明快な分、目線の角度や口元の歪みが読み取りやすい。小さな目と大きな体の対比が効き、表情が誇張されて感じられる。宗達本の柔らかさとは別の、切れ味ある表情だ。
二神の体は左右で鏡写しではない。風神は前傾し、雷神は体をひねって踏ん張るため、動きの質が違う。左右が違うからこそ、中央の余白が一つの渦のように見えてくる。
視線の交点を想像してから雲の線を追うと、雲が二神の間を結ぶ「道」になる。さらに、袋の曲線と太鼓の円が互いのリズムを補い合い、画面全体が音楽のようにまとまる。
怖さを強調するなら牙や爪を細密に描く手もある。光琳はそこへ踏み込みすぎず、むしろ形の愛嬌で引きつける。だからこそ、神の異形さと人間味の間に、見る側の想像が留まれる。
屏風ならではの鑑賞ポイント
屏風は「近くで細部」「遠くで全体」を往復すると面白い。遠目では二神と雲が大きな図案として一瞬で読め、近づくと筆の運びや彩色の重なりが見えてくる。
折れ目は欠点ではなく、演出でもある。折れに沿って光が当たり、雲の曲線が立体の影として現れることがある。立ち位置を少しずらすだけで、神々の迫り方が変わる。
肌の色、腰布の文様、雲の縁取りなどは、写真では均一に見えがちだ。実物では金地の反射が加わり、色の沈み込みやにじみが時間とともに揺らぐ。屏風が空間に置かれる作品であることを実感しやすい。
比較の視点も助けになる。宗達本や抱一本の図様を思い浮かべると、光琳が何を残し、何を削ったかが見える。模写の価値は、忠実さだけでなく、時代の目で組み替える力にもある。
公開は保存の事情で短期間になる場合があり、運よく出会えた時は距離と角度を変えて見るのがおすすめだ。慌てず、余白の静けさが保たれる位置で立ち止まると、風と雷の気配が残る。
尾形光琳の風神雷神図屏風を支える背景
尾形光琳の来歴と制作環境
尾形光琳は江戸時代中期の京都で活躍した絵師・意匠家である。富裕な呉服商の家に生まれ、町人文化の華やかな趣味と近い場所で育ったとされる。のちに琳派を代表する存在として位置づけられる。
本名は惟富(これとみ)で、通称は市之丞とされる。三十代半ばから「光琳」の号を用い始め、ほかにも複数の別号が伝わる。名や号が多いのは当時の文人・絵師に珍しくない。
弟の尾形乾山は陶工として知られ、兄の意匠を器に生かす協働も行われた。絵と工芸が行き来する環境は、光琳の画面を図案的に引き締める下地になったと考えられる。
光琳はやがて江戸へも出向き、制作や交流を広げたとされる。江戸では富裕層の支援を受けたという記述もあり、京都と江戸を往復した時期が作品の幅を広げた。そうした往来の経験が、画面を研ぎ澄ます力になったという見方もある。
風神雷神という主題は、宗達の図様を踏まえつつ、光琳の線と整理で別の顔を得た。作者の来歴を知ると、屏風が単なる名画ではなく、都市文化の結晶として立ち上がる。(JapanKnowledge)
琳派を動かす私淑という考え方
琳派は「狩野派」のような師弟の系譜で固まった流派とは性格が違うと説明される。時代の離れた作者たちが、先行作品を手本に学び直すことで、ゆるやかな連なりが生まれた。
その鍵になる言葉が私淑である。直接の師ではない相手を心の師として慕い、作品を写し、技と美意識を自分の言葉へ翻訳する。宗達から光琳へ、光琳から抱一へという関係が典型例として挙げられる。
「尾形光琳の風神雷神」が象徴的とされるのは、まさにこの構造が見えるからだ。同じ主題を写しつつ、線や余白の感覚が時代の好みへ調整され、作品は古びずに更新される。
私淑の文化は、模写を単なる複製にしない。どこを残し、どこを変えるかという選択が作者の個性になり、鑑賞者はその選択を読み解く楽しみを得る。模写は学習であり、同時に創作でもある。
琳派という呼び名自体も、後世に整理されて定着した面があるとされる。だからこそ、固定した教科書より、作品どうしの対話として眺めるほうが、この流れの実感に近い。
風神雷神という図像の意味
風と雷は、人が避けられない自然の力である。強風や雷鳴は恐れの対象である一方、雨をもたらし実りを助ける面もあり、両義的な存在として神格化されてきた。
風神が風の袋を担ぎ、雷神が輪のように並ぶ太鼓を背負う姿は、日本の仏教美術でも広く知られる図像である。三十三間堂の風神・雷神像のように、雲に乗る姿で表される例もある。
風神の起源を示す名として、サンスクリットのヴァーユが挙げられる説明がある。雷神もまた外来の要素を含みつつ、日本の中世的な信仰と結びつき、太鼓を打って雷鳴を起こす姿が定着したとされる。
こうした図像が屏風に移ると、宗教的な枠を越えて、自然のエネルギーそのものが主題になる。袋と太鼓は視覚的な記号なので、見る人は「風」と「雷」を迷わず読み取れる。
「尾形光琳の風神雷神」では、その記号がさらに整理され、怖さよりも軽みが前へ出る。神々が人の世界へ近づいたように見えるから、鑑賞者は恐れと親しみの間で作品と長く付き合える。(国土交通省)
繰り返し愛される理由と影響
風神雷神の図様は、一度見たら忘れにくい。袋と太鼓、筋肉の誇張、金地の余白という要素が、記号として強く、時代を越えて再利用されやすい。
江戸時代には光琳本が模写され、さらに抱一が裏面を描いたことで、題材は「描き継ぐもの」という性格を強めた。連鎖が名声を広げ、違いを味わう楽しみも育った。風神雷神がシリーズとして語られる背景がここにある。
現代では美術館での鑑賞だけでなく、図録や教材、意匠の引用としても出会う機会が多い。構図がシンプルなので縮小しても崩れにくく、デザインのモチーフとして使われやすい。日本美術の象徴として海外向けに紹介される場面もある。
一方で、実物の魅力は金地の反射と屏風の折れにある。印刷物では平面になりがちな「間」が、展示空間では息をし、見る側の動きに反応する。名作が現物で語り直され続ける理由がそこにある。
「尾形光琳の風神雷神」は、模写でありながら独立した傑作として扱われてきた。先行作への敬意と、自分の線で更新する勇気が両立しているから、何度見ても古びない。
まとめ
- 尾形光琳の風神雷神図屏風は東京国立博物館に伝わる重要文化財である。
- 二曲一双の金地に彩色で二神を描き、画面は大ぶりで迫力がある。
- 右に風神、左に雷神を配し、中央の余白が気配の往復を生む。
- 源流は建仁寺に伝わる俵屋宗達の国宝の同題作として知られる。
- 光琳は手本を尊びつつ、輪郭を強めて形の切れ味を前へ出した。
- 金地の反射が余白を生かし、立ち位置で印象が変わる。
- 風神の袋と雷神の太鼓が記号となり、自然の力が直感的に伝わる。
- 後の世に酒井抱一が裏面へ夏秋草図を描き、両面屏風として扱われた。
- 保存のため表裏を分け、それぞれの屏風として守る処置がとられた。
- 遠近と角度を変え、宗達本や抱一本との差分も意識すると深まる。






