
織田信長といえば、日本史上でも屈指のカリスマ武将。革新的な戦術や圧倒的な行動力で戦国時代を駆け抜けたが、最近では「織田信長は身長が高かった?」という話がよく話題になる。
「織田信長の身長は180cmだった!」という説がある一方で、「いやいや、そんなに大きくない」と反論する研究者もいる。実際のところ、信長の身長はどれくらいだったのか? この記事では、歴史的資料や最新研究をもとに、織田信長の身長を徹底検証する。
また、信長の身長が戦国時代においてどのような意味を持っていたのか、そして彼の人物像にどのような影響を与えたのかも考察していく。
1. 織田信長の身長に関する代表的な説
織田信長の身長については、歴史的資料や研究者の見解によって様々な説が存在する。大きく分けると、「180cm以上説」「170cm前後説」「165cm前後説」の3つがある。以下、それぞれの根拠と問題点について詳しく見ていこう。
(1) 180cm以上説:「信長は戦国時代の巨人だった?」
この説の最大の根拠となるのは、ポルトガルの宣教師ルイス・フロイスによる記述である。フロイスは『日本史』の中で、「信長は非常に痩せていて、背が高かった」と述べている。この「背が高い」という表現が、現代基準で180cm以上と解釈されることが多いのだ。
また、信長の肖像画を見ると、他の武将と比較しても顔が小さく、スタイルが良いことが特徴的であり、「長身だった」と解釈されることがある。特に「狩野元秀筆 織田信長像」(長興寺蔵)では、スラリとした姿が描かれており、これも信長の長身説を補強する材料となっている。
180cm以上説の主な根拠
- ルイス・フロイスの記述:「非常に痩せていて、背が高い」
- 肖像画:「現代人と比較してもバランスが良く、長身に見える」
- 戦国時代の平均身長との比較:当時の日本人の平均身長(約157~160cm)よりも圧倒的に高かったと考えられる
180cm以上説の問題点
- フロイスの「背が高い」は相対的な表現であり、数値として180cmを示しているわけではない
- 戦国時代の記録には、具体的な身長を示す数値が残されていないため、誇張の可能性も否定できない
- 鎧のサイズや遺品のデータと矛盾する可能性がある
この説を信じるならば、織田信長は戦国時代の中でも特異な高身長の持ち主だったことになる。しかし、後述する鎧のサイズなどのデータとは必ずしも一致しないため、慎重に考える必要がある。
(2) 170cm前後説:「信長は当時の基準では十分に高身長」
180cm説に対して、より現実的な推測として支持されているのが「170cm前後説」である。この説の根拠となるのは、信長が使用したとされる鎧のサイズや、当時の日本人の平均身長との比較である。
例えば、愛知県の清洲城信長館に展示されている「信長の遺品」とされる鎧のサイズを元に身長を推測すると、167~170cm程度になるという。この数値は、当時の基準からすると確かに「高身長」だが、180cmには及ばない。
また、戦国時代の一般的な武将の身長が160cm前後であったことを考えると、170cmの信長は十分に大柄な部類に入る。180cm以上とまでは言えなくても、戦国時代の基準では「ひときわ目立つ存在」だった可能性が高い。
170cm前後説の主な根拠
- 信長の鎧のサイズ:現存する遺品から167~170cm程度と推定
- 戦国時代の武将の平均身長との比較:信長は武将の中でも高身長だった可能性
- フロイスの「背が高い」記述を考慮:当時の基準では「背が高い」とされる範囲
170cm前後説の問題点
- 信長が実際に着用した鎧が100%彼のものである確証はない
- 170cm程度であれば、フロイスが「非常に背が高い」と評するほどではないのでは?
この説は、現実的な推測として最も妥当なラインとされており、多くの歴史研究者が採用している。しかし、「フロイスの記述」とのズレをどう解釈するかが、依然として議論のポイントとなっている。
(3) 165cm前後説:「信長は実はそこまで大きくなかった?」
もう一つの可能性として、「信長の身長は意外と普通だったのではないか?」という説がある。これは、信長の遺品や当時の衣服のサイズから165cm前後と推測されるものである。
この説の主な根拠となるのは、「信長の鎧が想定よりも小さい」という点である。特に、京都・建勲神社に伝わる「天下布武の鎧」は、それほど大きなものではなく、身長を165cm程度と推測する研究も存在する。
また、戦国時代の記録の中には、信長が「長身」ではなく「痩せ型」だったという表現もある。つまり、フロイスの記述を「単に痩せていたので目立った」と解釈すれば、信長の身長が当時の平均より少し高い程度だったという可能性も出てくる。
165cm前後説の主な根拠
- 信長の遺品(鎧・衣服)からの推測:サイズ的に165cm前後が妥当
- 「痩せ型」という記述:背が高いのではなく、細身だったから目立った可能性
- 「誇張の可能性」:信長の威厳を強調するため、身長が大きめに伝えられたのでは?
165cm前後説の問題点
- 当時の日本人の平均身長(157~160cm)と比べると、165cmでも十分に高いが、「長身」と言うほどではない
- フロイスの「背が高い」という記述とやや矛盾する
- 165cmだと「戦国時代の巨人」というイメージが崩れる
この説は、「信長の身長が誇張されて伝えられた可能性」を考慮するものであり、意外と説得力がある。しかし、165cmでは「戦国時代のリーダーとしてのカリスマ性」がやや薄れてしまうという心理的な抵抗もあり、広く支持されるには至っていない。
織田信長の身長の真相に迫る
以上の3つの説を比較すると、現実的な推測として最も有力なのは「170cm前後説」である。これは遺品の鎧のサイズや戦国時代の平均身長を考慮した結果、最も妥当な数値と考えられるからだ。
信長は180cmの巨人ではなかったが、戦国時代の基準では十分に高身長だった可能性が高い。
2. 歴史資料から見る織田信長の身長
織田信長の身長を正確に知るためには、当時の記録や物的証拠に基づいて検証する必要がある。戦国時代の人物については、具体的な身長の数値が残されていることはほぼなく、信長の身長も例外ではない。しかし、歴史資料には彼の体格や容姿に関する記述がいくつか存在し、それらを分析することで、身長の推測が可能となる。
本章では、信長の身長に関する主要な歴史資料を徹底検証し、それぞれの信頼性を評価していく。
(1) ルイス・フロイス『日本史』:信長は本当に「長身」だったのか?
織田信長の身長に関して最もよく引用されるのが、ポルトガルのイエズス会宣教師ルイス・フロイス(1532年~1597年)の記録である。彼は信長と直接会った人物の一人であり、その観察記録は貴重な一次資料とされる。
フロイスは彼の著書『日本史』の中で、信長について以下のように記述している。
「信長は非常に痩せていて、背が高く、髭が少なく、顔が美しく、見るからに威厳のある人物であった。」
この記述が、「信長の身長は180cm以上あった」とする説の大きな根拠の一つとなっている。しかし、ここで重要なのは、フロイスは具体的な身長の数値を記していないという点だ。
フロイスの記述の解釈ポイント
- 「背が高い」=180cmなのか?
- フロイスの「背が高い」という表現が、どの程度を指しているのかは明確でない。
- 当時の日本人男性の平均身長が157~160cmだったことを考慮すると、170cmでも「非常に背が高い」と感じた可能性がある。
- フロイス自身はヨーロッパ出身であり、西洋人の視点から見た「長身」の基準が、日本人の基準とは異なる可能性がある。
- 「痩せている」ことが身長の印象を強調した可能性
- 痩せ型の人物は、同じ身長でも高く見える傾向がある。
- 信長は食事に対してこだわりが強く、あまり多くの量を食べなかったことが記録されており、これが「痩せている」印象を与えた可能性がある。
フロイスの記録の信頼性
- メリット:信長を直接観察した人物の記録であり、一次資料としての価値が高い。
- デメリット:主観的な表現が多く、数値的なデータではないため、解釈の幅が広い。
したがって、フロイスの記述は信長が戦国時代の基準で高身長だった可能性を示唆するが、具体的な数値として180cm以上と断定するのは難しい。
(2) 織田信長の鎧のサイズから身長を推測
信長の遺品とされる鎧のサイズを調査することで、実際の身長を推測する試みも行われている。
- 特徴:信長が使用したと伝えられる甲冑の一つ。
- 鎧の寸法:この鎧のサイズから計算すると、着用者の身長は約165cm~170cm程度と推測される。
- 特徴:信長の身長を知る手がかりの一つとされる鎧の複製品。
- 推定身長:この鎧を元にした推測では167cm~170cm程度とされる。
鎧のサイズから考えられるポイント
- 鎧のサイズは体格にぴったりとは限らない
- 鎧は動きやすさを考慮し、実際の身長より少し大きめに作られることがあった。
- 逆に、戦場での機動性を高めるため、ややコンパクトな作りの鎧も存在した。
- 170cm前後が妥当なラインか?
- 鎧のサイズから考えると、180cm説はやや難しく、170cm前後が最も現実的な推測となる。
鎧のサイズを根拠とした信頼性
- メリット:実物のデータに基づくため、比較的客観的な証拠となる。
- デメリット:鎧のサイズ=身長とは限らず、誤差が生じる可能性がある。
(3) 信長の着物の袖丈から考える身長
戦国時代の人物の身長を推測する方法の一つとして、「袖丈(たもと)」の長さがある。
信長の遺品とされる着物がいくつか残っているが、これらの袖丈からも彼の体格を推測する試みがなされている。
- 例えば、ある信長の直筆書状に添えられた羽織のサイズを元に分析したところ、
→ 「袖丈や裄丈(ゆきたけ)から推定すると、信長の身長は約168cm~172cmである可能性が高い」 という研究がある。
これは、鎧の推定値とほぼ一致しており、やはり信長の身長は170cm前後が妥当であると考えられる。
(4) 歴史資料から見た信長の身長の最も妥当な推定値
以上の歴史資料を総合すると、信長の身長について最も妥当な推定値は「約170cm前後」であると考えられる。
資料名 | 記録内容 | 推定身長 |
---|---|---|
ルイス・フロイス『日本史』 | 「背が高い」 | 170cm以上(主観的表現) |
建勲神社所蔵の鎧 | 鎧のサイズ | 165~170cm程度 |
清洲城信長館の鎧(複製) | 鎧のサイズ | 167~170cm程度 |
信長の着物の袖丈 | 袖丈の分析 | 168~172cm程度 |
このように、180cm説はやや誇張の可能性が高く、現実的には170cm前後が最も可能性の高い数値と考えられる。
3. 戦国時代の平均身長と比較!信長は高かったのか?
織田信長の身長を知るためには、戦国時代の日本人の平均身長と比較することが重要だ。もし信長の身長が170cm以上だった場合、それは当時の基準では「非常に高い」と言えるのか? あるいは、単なる誇張や誤解なのか?
本章では、戦国時代の平均身長のデータを詳しく分析し、信長が本当に「長身」だったのかを検証していく。
(1) 戦国時代の日本人の平均身長はどれくらいだったのか?
戦国時代(15世紀~16世紀)の日本人の平均身長については、主に発掘された人骨のデータや、当時の鎧や武具のサイズを元に推測されている。
① 発掘された戦国時代の遺骨データ
全国各地の戦国時代の遺跡から発掘された人骨の分析によると、当時の日本人の平均身長は157cm~160cm程度であったとされる。
- 江戸時代(17世紀以降)の遺骨の平均身長
→ 男性:約157cm
→ 女性:約145cm - 戦国時代(16世紀)の遺骨の平均身長
→ 男性:約158cm~160cm
→ 女性:約147cm
このデータを見ると、戦国時代の成人男性の平均身長はおよそ158cm~160cmであり、現代の日本人男性(約171cm)と比べて10cm以上低かったことが分かる。
つまり、戦国時代において170cm以上の身長はかなりの長身だったと考えられる。
② 当時の鎧のサイズから見た身長推定
戦国時代の武将や足軽が使用した鎧や兜のサイズも、当時の平均身長を推測するための重要な手がかりとなる。
- 一般的な「当世具足」(戦国時代の鎧)の胴回りや袖丈を元にした推定では、着用者の身長は約158cm~162cm程度が一般的だったとされる。
- 甲冑の首周りや肩幅の構造も、現代の体格よりも小さいことが多く、当時の日本人の平均的な体格を反映していると考えられる。
このデータからも、戦国時代の日本人の平均身長は160cm前後だった可能性が高い。
(2) 織田信長の推定身長との比較:どれくらい大きかったのか?
前章で検証したように、信長の身長はおそらく170cm前後だった可能性が高い。この場合、戦国時代の平均身長(158cm~160cm)と比較すると、約10cmほど高いということになる。
戦国時代の基準での「高身長」ライン
身長 | 戦国時代の基準での評価 | 現代の身長に換算(参考) |
---|---|---|
~158cm | 平均的な体格(標準) | 171cm(現代の標準) |
160cm~165cm | やや高め | 175cm~178cm(現代で言うと少し高い) |
166cm~170cm | 高身長の部類 | 180cm~185cm(現代で「背が高い」と言われるレベル) |
171cm以上 | 極めて大柄な部類 | 185cm~190cm(現代の大柄なスポーツ選手並み) |
このように、信長が170cmだった場合、戦国時代では「非常に高身長」とみなされていた可能性が高い。
現代で言えば、185cmの長身のスポーツ選手やモデルのような存在だったと考えられる。
(3) 戦国時代の他の武将と比較!信長は本当に突出していたのか?
織田信長の身長が高かったかどうかをより正確に判断するために、他の有名な戦国武将たちの推定身長と比較してみよう。
武将名 | 推定身長 | コメント |
---|---|---|
織田信長 | 170cm前後 | 高身長の部類 |
豊臣秀吉 | 150cm~155cm | 小柄だったと言われる |
徳川家康 | 159cm~160cm | 平均的な体格 |
武田信玄 | 160cm~165cm | やや高め |
上杉謙信 | 165cm前後 | 戦国時代ではやや高身長 |
伊達政宗 | 159cm~163cm | 平均的な体格 |
この表を見ると、信長の170cm前後という推定身長は、戦国時代の武将の中でもかなり高い方だったことが分かる。
特に、ライバルである武田信玄や上杉謙信が160~165cm程度だったと推測されることを考えると、信長が170cmあった場合、彼の長身は戦場でひときわ目立つ要素になっていた可能性が高い。
また、信長と豊臣秀吉(150~155cm程度)の身長差は20cm近くあり、これが「信長は大柄で、秀吉は小柄」というイメージを強くした要因の一つかもしれない。
(4) 信長の身長が戦国時代において持っていた意味とは?
① 戦場での威圧感
- 信長は、戦場で敵を圧倒するために、長身と痩せた体型を活かして堂々とした態度を取っていた可能性が高い。
- 兜や鎧を身につけることで、さらに身長が高く見えたと考えられる。
② カリスマ性の源泉
- 戦国時代において、身長が高いことはリーダーシップの象徴になりやすかった。
- 信長の「天下布武」の思想にも合致するように、彼の威厳を示すために「長身の信長」というイメージが作られた可能性もある。
(5) 信長の身長は戦国時代では「巨人級」だった!
- 戦国時代の平均身長は158cm~160cm程度だった。
- 信長の身長は170cm前後と推定されるため、戦国時代ではかなり高身長の部類だった。
- 戦国武将の中でもトップクラスの長身であり、特に豊臣秀吉(150cm前後)と並ぶとその高さが際立った。
- 現代基準で考えると、戦国時代における信長の170cmは、今でいう185cmクラスの長身に匹敵する。
織田信長は、戦国時代において文字通り「一際高い存在」だったのかもしれない。
7. まとめ:織田信長の身長の真実とは?
以上の検証から、織田信長の身長はおそらく170cm前後だったと考えるのが妥当である。180cm説はやや誇張されている可能性が高いが、戦国時代の基準では十分に高身長であったことは間違いない。
信長のカリスマ性が、彼の「長身伝説」を生み出したのかもしれない。