「紫式部の本名は何だったのか」と聞かれると、つい答えがあると思ってしまう。クイズの答えのように一語で言いたくなるからだ。だが同時代資料は実名をほとんど伝えない。だから断定は避けたい。
紫式部は通称で、宮中での呼び名や後世の呼称が重なって定着した名だ。平安の女性は実名を表に出さないことが多かった。史料には「為時の女」など、関係で示される例が目立つ。女房名という仕組みが鍵になる。
その空白を埋めるように「香子」という推定や、創作作品での「まひろ」といった名が広まった。香子は近現代の研究者による推定で、まひろは作品側の設定だ。広く知られても確度は同じではない。混同が誤解の元になる。
本名に関して言える範囲と言えない範囲を線引きし、呼び名の仕組みと誤解が生まれる理由を押さえる。そうすると作品や時代の見え方が変わる。確かな点として、作者が藤原為時の娘であることなども整理する。読み手が迷わない基準を作る。
紫式部の本名が「不明」とされる結論
史料が示すのは「本名未詳」という現実
紫式部本人が残したとされる日記や歌集が伝わっていても、そこに実名が明記されるとは限らない。記録の目的が、実名の保存ではないからだ。
同時代の記録で目立つのは、父や夫などの関係で人物を示す書き方だ。「為時の女」といった形なら、周囲が誰のことか判断しやすい。
加えて、宮中で使われた女房名が後世まで残り、実名の代わりに流通する。結果として、名は有名でも本名だけが分からない、という状況が生まれる。
この状態は紫式部だけの例外ではない。清少納言や和泉式部なども通称が定着し、実名は確かめにくいとされる。
正式な女房名としては「藤式部」が挙げられることが多く、文献の記載からそう呼ばれていたと見る説明もある。
辞典類は、こうした史料事情を踏まえ、紫式部の本名は未詳と説明している。
だから最初に押さえるべき結論は「本名は分からない」であり、断定的な名を答えとして扱うのは危うい。
女房名「藤式部」と通称「紫式部」の意味
宮廷では、個人の実名より、家や官職に結びつく呼び名が実用的だった。女房名はその代表で、周囲が役割や身分を把握しやすい。
「藤式部」の「藤」は藤原氏を示すと解される。「式部」は式部省に関わる官職名で、父・藤原為時の官に由来する説がよく知られる。
一方で、同母兄弟の官位に由来するという見方もあり、断定よりも「複数の説明がある」と捉える方が安全だ。
広く定着した「紫式部」は、藤式部から派生した通称と考えられている。「紫」が何を指すかは確定しないが、『源氏物語』の紫の上に結びつける説明が有力だ。
呼び名の「紫」は、作者の作品世界と世評が結びついて生まれた可能性が高い。作家名のように見えても、当時の感覚ではあだ名に近い。
つまり「藤式部」「紫式部」は、家・官職・作品という手がかりから生まれた呼称であり、実名の代用品として働いたにすぎない。
「香子」説はどこまで言えるのか
「紫式部の本名は香子だった」という話は、断定形で語られがちだ。だが学術的には、香子は推定の域を出ない。
香子説は近現代の研究者が提唱し、古記録の記述や名前の用例から可能性を探ったものだ。提唱者名や根拠が語られる点で、単なる伝説よりは筋道がある。
ただし決定打となる同時代の明記がなく、推論の組み立てには反論も多い。だから「香子と断定できない」こと自体が、現在の到達点でもある。
実際、香子説を再検討する研究も早い段階から出ていて、論点は一枚岩ではない。
香子という名が魅力的なのは、人物像が具体化しやすいからだ。だが具体性は、史料の確実さとは別問題である。
なお香子の読み方も一定ではなく、こうし・たかこ・かおるこなどが挙げられる。読みの揺れも、確定情報として扱いにくい一因になる。
安全な整理はこうなる。本名は未詳、香子は推定説の一つ。使うなら「香子とする説がある」と言い切りの形を避ける。
「まひろ」は史実ではなく創作の名
「まひろ」という名は、映像作品で紫式部を表す呼称として使われ、一気に知られるようになった。だが史料に確認できる実名ではない。
制作側は、実名が分からない事情を前提に、物語としての名前を置いたという趣旨を示している。つまり、視聴者が人物に感情移入しやすいように作られた設定だ。
出版社の解説でも、当時の女性たちは本名が分からないことが多いとして、まひろを史実と混同しないよう促している。
もちろん創作が無意味という話ではない。史料の隙間に想像を差し込むことで、人間関係や時代の空気が立ち上がることもある。
ただし本名の問いに戻るなら、創作名は答えにならない。香子説と同様、確実さの段階を区別して扱う必要がある。
まひろを入口に関心を深めるなら、通称の仕組みや、日記・物語に残る表現を手がかりに、史実として何が言えるかを確かめたい。
紫式部の本名が残らなかった理由と誤解
実名を伏せる文化と、呼び名のルール
平安期の貴族社会では、実名は身内の領域に置かれ、外で呼ぶのを避ける感覚があった。名前は呪的な力と結びつくと考えられたとも言われる。
そのため公的な記録や日記は、実名ではなく、家・官職・居所などで人物を指すことが多い。女房名はその運用に合っていた。
女房名は宮中の人間関係の中で通用し、同僚や主君からも呼ばれた。呼び名が社会的な名札として機能したので、実名の必要が薄かった。
この仕組みを知ると、「本名が残っていない=情報が欠けている」と単純には言えない。記録文化の性質が、そもそも本名の保存に向いていなかったからだ。
一方で、古記録から実名が確認できる女性もいる。詮子や倫子のように、記録の性格や立場によって残り方が変わる。
紫式部は中流貴族の出で、生没年すら確定しにくいとされる。記録の網の目が粗い層にいたことも、本名不詳と響き合う。
だから紫式部の本名が不明なのは、隠された秘密というより、当時としては自然な帰結である。
記録に出る「為時女」「宣孝の妻」という呼び方
史料の人物表記は、現代の「姓名」に対応していないことが多い。血縁や婚姻関係で示す方が、当時の社会では分かりやすかった。
紫式部の場合も、「為時の女」というように父を添えた表記が見える。父の官職や学者としての名声が、人物特定の手がかりになった。
結婚後は夫の名で呼ばれたり、子の立場から語られたりする可能性がある。女性の名は、関係の網の中で浮かび上がる仕組みだった。
たとえば古記録の一部には「為時女」という語が見えるとされ、実名ではなく関係で記す慣行がうかがえる。
また物語類では女房名が使われることがあり、「藤式部」のような表記が本名の代わりに残りやすい。
辞典類の説明でも、家族関係や出仕先を軸に生涯が叙述され、本名が未詳である点が前提として置かれている。
この形式に慣れると、史料の「名前がない」は欠点ではなく、別の情報が優先された結果だと分かる。
本名を探すより、どの呼称がどの場面で使われたかを追う方が、歴史像はかえって具体的になる。
後世の伝記化が生んだ「本名があるはず」という思い込み
紫式部は『源氏物語』の作者として突出して有名で、人物情報への需要も大きい。需要が強いほど、空白を埋める物語が生まれやすい。
本名が分からないという事実は、現代の感覚では落ち着かない。そこで「本名があるはずだ」と考え、推定や創作の名が答えとして流通しがちだ。
香子説は研究上の仮説だが、紹介される場面によっては「確定」のように見えてしまう。読み方の揺れまで含め、仮説である点が見落とされることもある。
まひろのような創作名は、物語の中では強いリアリティを持つ。だが作品のリアリティは、史料の確実さとは別物だ。
誤解を減らす鍵は、情報の階段を作ることだ。史料で確かに言えること、学説として推定されること、創作として付けられたことを分けて受け取る。
その分け方ができると、本名の不明さを欠点と感じにくくなる。むしろ平安社会の価値観や記録の作法を知る入口になる。
今の時代に「紫式部の本名」を扱うときのコツ
「紫式部の本名」という話題で迷わないために、まず結論を固定する。本名は未詳で、確定した実名は伝わらない。
次に、呼称を二段に分けて覚えると混乱が減る。宮中での女房名として「藤式部」があり、そこから派生した通称として「紫式部」が定着した。
香子は、その未詳部分に対して提示された推定説の一つだ。紹介するときは「香子とする説がある」と言い、断定文で言い切らない。
まひろは創作作品での設定だと明示し、史料上の本名の話とは切り離す。作品を楽しむことと、史実を確かめることは両立できる。
最後に、確かな情報も押さえる。藤原為時の娘で、宮中に出仕し、『源氏物語』の作者とされる点は、辞典類でも共通して扱われる。
この整理を持っているだけで、話題が煽られたときでも落ち着いて判断できる。分からないことを分からないまま扱う姿勢が、歴史理解を強くする。
まとめ
- 「紫式部」は本名ではなく通称だ
- 本名は史料上は未詳とされる
- 公式に近い呼び名として「藤式部」が挙げられる
- 「式部」の由来には複数の説明がある
- 「紫」は作品世界に結びつける説が有力だ
- 「香子」は本名と推定する説の一つだ
- 香子説には決定打がなく断定はできない
- 「まひろ」は創作作品での設定名だ
- 実名を伏せる文化が不明の背景にある
- 確実な事実と推定と創作を分けて理解したい


