紫式部は『源氏物語』の作者として名高いが、同時代の公的記録に名前が大きく残るタイプの人物ではない。呼び名の「式部」も官職由来で、本当の名ではない。生没年や死因は、決め手となる記録が少ない。
それでも女房日記や貴族の日記、贈答歌に、紫式部と思われる記述が点のように現れる。出仕の時期は推測できるが、晩年は空白が目立つ。
死因は、病気や流行病に巻き込まれた可能性、出家後に静かに亡くなった可能性などが語られる。産後の不調を想像する説もあるが、裏づけは乏しい。没年自体が定まらない以上、死因を一本に絞るのは無理がある。
大切なのは、推測を事実のように扱わないことだ。史料の性質と時代背景を押さえ、確かな部分と不確かな部分を切り分ける。そのうえで、広まった話がどこから来たのかも確かめたい。分からないことを残したままでも、誤解は減らせる。
紫式部の死因が特定できない理由
同時代史料に死の記録が残りにくい
平安時代の女性は、公式文書に個人名が残りにくい。とくに受領階級の娘として生まれた紫式部は、記録の中心から外れやすかった。宮廷でも女房は役名や親族名で呼ばれがちだ。
さらに記録自体が散逸しやすい。残っているのは日記や歌集、物語の周辺資料などの断片で、体調や病名を細かく書く習慣は強くない。亡くなった日を正確に記す必要も薄かった。
作者本人の文章は残るが、私生活を詳しく語る性質のものではない。『紫式部日記』も一定期間の宮廷生活が中心で、晩年の健康状態を追える形ではない。沈黙が続く部分に想像が入り込みやすい。
当時の貴族の日記も、死の場面そのものより儀礼や人事の記録が中心になる。誰かが亡くなっても、病名や経過が省かれることは珍しくない。医療用語も現代の診断名とは結びつきにくい。
その結果、断片的な事実に後世の物語が重なり、死因の話が広がっていく。史料が示す範囲を超えない姿勢が、紫式部の死因を扱うときの出発点になる。
「紫式部」という呼称と人物同定の壁
「紫式部」は本名ではなく呼び名だ。「紫」は『源氏物語』の人物名にちなむとされ、「式部」は父の官職に由来すると説明されることが多い。つまり呼称だけでは戸籍のような確実さがない。
同時代の記録では、女房を「父の官職+女」「国司名+女」のように書くことがある。個人名を避ける慣習や、女性の実名を表に出しにくい空気も背景にある。
この書き方は便利だが、同じ官職名が重なれば混線する。父の官職が変われば呼び方も変わり、別人のように見えることもある。写本や後世の書き添えで表記が揺れる場合もある。
そのため、ある日記に出てくる「為時の女」が紫式部だと言えるかは、文脈の検討が欠かせない。周囲の人名や役割、時期、場所が一つずつ合うかを確認していく作業になる。
死因の話は、本人だと確定できない記述に引っ張られやすい。人物同定が揺れる限り、病気の情報を拾っても、すぐに「紫式部の死因」と結びつけるのは危険だ。
呼称の揺れを理解すると、断定を避けやすくなる。
晩年の記録が途切れるタイミング
紫式部の晩年を語るうえで鍵になるのが、貴族の日記に現れる断片だ。ある時期までは宮廷での動きが追えるが、途中から長く途切れる。途切れ方そのものが、死因不明の大きな理由になる。
たとえば藤原実資の日記には、彰子への取り次ぎ役として「為時の女」が登場する。これが紫式部本人を指すと考えられる例があり、少なくとも一時期は宮廷で機能していたことがうかがえる。
一方で、同じ人物がいつまで在京し、いつから姿を見せなくなるのかは、断定しにくい。退職、病気、出家、地方への移動など、可能性が複数並ぶからだ。
当時は病気で長く籠もっても「死んだ」とすぐ書かれるとは限らない。逆に、亡くなっても身分が高くなければ記録が薄いこともある。記録が途切れるだけでは、原因を決められない。
だからこそ、最後に確認できる動きと、その後の空白を分けて扱う必要がある。空白を「病死」と埋める前に、空白の理由が他にもあると意識したい。
空白が多いほど、慎重さが要る。
後世の伝承が混ざりやすい事情
紫式部の死因をめぐる話には、後世に形づくられた伝承が混ざりやすい。生前の事実が少ないほど、人は物語で補おうとする。とくに有名人になるほど、その傾向は強くなる。
墓所や供養塔の伝承もその一つだ。京都には「紫式部の墓」と伝わる場所があり、隣に別の人物の墓が並ぶなど、土地の語りが積み重なってきた。中世の解説書が墓所に触れる例もあるが、成立時期は離れている。
こうした伝承は、信仰や地域の歴史の中で大切にされてきた面がある。けれども「そこに眠る=その時期にこの地で亡くなった」「だから死因はこれだ」と直結はしない。伝承は、真偽とは別の価値で生き残ることもある。
また、創作や講談で広まった筋立てが、いつの間にか事実のように語られることもある。死因の話題は印象が強いため、短い言葉で広がりやすい。
伝承を楽しむことと、史料から言えることを混同しない姿勢が重要だ。区別がつくと、紫式部の死因についても、分かる範囲と分からない範囲が見えやすくなる。
紫式部の死因として語られる有力な諸説
病死説と当時の医療事情
紫式部の死因として最も語られやすいのは病死だ。平安中期は医療が限られ、長く寝込めば命に関わった。宮廷でも病気は日常で、祈祷や薬に頼る場面が多かった。
ただし病名まで特定できる材料は見当たりにくい。当時の記録に出る「わづらふ」「悩む」といった表現は、幅が広い。熱、腹痛、産後の不調、栄養の偏り、慢性的な疲労など、現代の診断名に直しにくい。
さらに、紫式部の没年自体が確定していない。1010年代前半に亡くなったとみる見方がある一方、もっと後まで生きた可能性も論じられる。没年が揺れれば、病死説の具体像も揺れる。
病死説を扱うときは、「当時の一般的状況から見てあり得る」程度に留めたい。病名を決め打ちすると、史料の薄さを超えてしまう。確かなのは、本人の最期を直接記した同時代の記録が乏しいことだ。
結局のところ、病死は可能性の一つだが、確定ではない。死因が分からないという事実を、先に置くほうが誠実な整理になる。
流行病や感染症に巻き込まれた可能性
病死説の中でも、流行病に巻き込まれた可能性を挙げる人がいる。平安時代は感染症が周期的に広がり、都の人口が集中する宮廷は影響を受けやすかった。貴族の日記にも、病人の増加や祈祷の記録が見える。
とはいえ、紫式部が特定の流行病にかかったと示す直接の記録は確認しにくい。流行の年と没年を重ね合わせて推測する方法は、筋が通って見える反面、裏づけが薄いと飛躍になりやすい。
当時の人々は、病気の原因を現代とは違う枠組みで捉えた。怨霊や穢れ、季節の変化を重ねて語ることもある。言葉だけで病名を復元しようとすると、誤読が起きやすい。
ただ、都で暮らし、出仕の場にも出入りした以上、感染症に接する機会はあったはずだ。家族や知人が病気になれば看病や弔いにも関わる。そうした接触の連鎖を想像することはできるが、史料から確定はできない。
流行病説を採るなら、「当時の環境を考えると起こり得る」範囲で語るのが無難だ。具体名を挙げて断定するほど、根拠の薄さが目立ってしまう。
出家・隠棲後に静かに亡くなった説
紫式部は晩年に仏教信仰へ傾いたとされる。贈答歌にも無常の気配が濃くなるといった読み方があり、宮廷から距離を取った姿が想像される。
平安の宮廷では、病気や不幸があれば祈祷や読経が行われ、信仰は特別なものではなかった。だから信仰の深まりは、必ずしも重い病だけで説明できない。
この流れから、出家や隠棲を経て、静かに亡くなったという像が語られる。宮仕えを中断する期間があったことも、そうした想像を後押しする。だが中断の理由は、病気とも家の事情とも取れる。
出家していたとしても、それは死因そのものではない。出家は生き方の選択であり、死の直接原因は別にある。出家=病死と短絡すると、説明がきれいなぶん危うい。
一方で、宮廷を離れた場所で亡くなれば、記録が薄くなるのは自然だ。地方に出た、寺に入った、親族のもとに身を寄せたなど、いくつかの筋は立てられるが、決定打にはならない。
この説が示すのは、死因よりも「記録の空白の作り方」だ。姿が見えなくなる理由を一つにせず、可能性の幅を保つと、紫式部の晩年像は現実に近づく。
没年が後ろにずれる説とその根拠
紫式部の死因を語る前提として、没年が揺れている点は外せない。辞典類では「1014年以降」「1014年頃」など幅を持たせる書き方が多い。確定できる死亡記事が見つからないからだ。
一方で、1010年代前半に亡くなったとみる見方は根強い。活動のピークや、貴族の日記に姿が現れる時期を踏まえると、説明がつきやすいからだ。ただ、それは推測の整合性であって、確定の証拠ではない。
没年を後ろにずらす説もある。彰子の周辺で行われた儀礼の時期まで存命だった可能性を示す読み方があり、1010年代以後も生きたかもしれないという立場だ。
没年が数年ずれるだけで、死因の推測も変わる。たとえば流行病と結びつけるなら年の一致が重要になるし、老衰のような想像も入り込みやすくなる。まず没年の幅を理解しておくと、話が過熱しにくい。
結論として、紫式部の死因は没年の不確かさとセットで「不明」と見るのが妥当だ。どうしても説を挙げるなら、断定を避け、根拠の強さに差があることを明示したい。
まとめ
- 紫式部の死因は確定できない
- 生没年や本名も不詳な点が多い
- 同時代の記録は断片的で散逸もある
- 女房は呼称が揺れ、人物同定が難しい
- 晩年の記録が途切れることが大きい
- 伝承や創作が事実に混ざりやすい
- 病死は推測として語りやすいが断定不可
- 流行病説も直接の裏づけは乏しい
- 出家・隠棲の像は死因とは別問題
- 没年の幅を理解し、慎重に語ることが要る



